ヨコハマタソガレバナナスタンド -3ページ目

ヨコハマタソガレバナナスタンド

都内某劇場勤務。
ミュージカル、映画、将棋、落語、特に志ん朝、音楽、なかでもクレイジーケンバンド、ビートルズ、野球、わけてもベイスターズ、These are a few of my favorite things

2アウト満塁から白崎タイムリーツーベースで先制して浩康の盗塁から高城がダメ押しのスリーベースで浜口が7回を102球1四球とスキのない省エネで無失点で筒香は3三振だったけどパリーグのチームに勝ってセ・リーグ3位に浮上&交流戦首位に立ちました。。。。。マジか?

はい、すべてホントの出来事です♪

I love\ 横浜優勝!/ is my ERA !! ( ≧∀≦)ノ

オーウェル「1984年」がアメリカでバカ売れしてるんですってね。
現実がフィクションに描かれたディストピアを模倣するかのよーなヤバイ感じはアメリカだけじゃないですねぇ。。。

 

 

「マイノリティーリポート」フィリップKディックの原作短編をトムクルーズ主演でスピルバーグが監督した2002年だから15年前の映画。
トムクルーズがコンピューターのディスプレイを操作する場面がかっこよくて、うわあ、未来っぽい!と思ったんだけど、アッとゆーまにタッチパネルとか有機ELとかが実用化されて、未来は現在になりましたねえ。

 

 

お話はプリコグ(予言者)と呼ばれる3人の子供の予知能力を頼りにトムクルーズ隊長の“犯罪予防局”が、犯罪が起きる前に対処、処罰して、犯罪を未然に防ぐとゆー活動が試験的に行われている“未来”が舞台です。
この実験を正式に全国的な法律にする&けれども自分の犯罪は闇に葬りたい司法長官が悪だくみ。
司法長官の陰謀に巻き込まれたトムクルーズ隊長は、殺人の予知をでっち上げられ、取り締まる側から一転、冤罪を背負わされて逃亡者となり。。。。
これ、タッチパネルと同じく、もう全然“未来”じゃないよねぇ。。。いやな渡世でござんすねえ。

“共謀”して「数の暴力団」のゴリ押しで“ご意向”を可決させた人たちは、成立させた法案の字義通り意味で有罪ではなかろーか?

以前のブログで取り上げた1963年ワールドシリーズ第3戦で、ドライスデールと投げ合って、盗まれたよーなスミ1の1対0で敗戦投手になったのがジム・バウトン。

今回は、そのジム・バウトンのお話です。

 

 

1962年にメジャーデビュー。

1963年にはシーズン40登板249イニング1/3投げて21勝7敗防御率2.53と大活躍。

伝説の1963年ワールドシリーズでドライスデールとヒリヒリの投手戦を演じ、翌1964年の3ワールドシリーズでも2先発2勝。

翌65年からヤンキース大暗黒時代が始まったのでワールドシリーズ登板は結局この計2年3試合だけですが、24と1/3イニング投げて防御率1.48と圧倒的。

大試合に強い一流投手だったので、もう10年早く生まれてたら黄金期ヤンキースでホワイティーフォードに負けない成績を残した可能性もあったかもしれませんね。

ただ輝かしい成績を残した63,64年の2シーズン以降は、すっかり輝きを失い凡庸な成績しか残せず、いくつかの球団を渡り歩いた後ヒューストン アストロズに在籍した1970年シーズン限りで一度引退します。

ところが、バウトンが本領発揮して誰にも真似できないワン&オンリーな伝説を残しまくるのは、この一度目の引退の後なんですねえー。

選手として先細りの未来を予感したバウトンは、“ダッグアウトの向こう側”の会話、出来事をせっせと収集、引退して即「Ball four」(ボール・フォア : 大リーグ衝撃の内幕)とゆー大リーグ史上初の暴露本を出版、これがベストセラーになります。

ヒーローたちの、すなわち神々の世界としてアンタッチャブルだったメジャーリーグの内側が初めて暴露されたわけですから、そりゃもーアータ大騒ぎですよ。

特に薬物関係。

例のグリーニーってヤツ。

 大一番を前にグリーニーを大量摂取したら、試合は雨天中止。

ありあまった元気を発散すべくバーでナンパするも撃沈。

ひとり悶々とのた打ち回るなんておまぬけ面白エピソードを披露するわけですが、暴露された側は超控えめに言ってもオダヤカジャナイですよね。

この本をめぐる騒動でコミッショナーからも元同僚たちからも睨まれることになるのですが、これがメジャーリーグにおける薬物使用の問題提起となってコミッショナーが初めて重い腰をどっこいしょすることになり。。。。。ま、いまだに解決してないんですけどね。

ちなみにこれが1971年の出来事なので、江本“ベンチがアホやから”孟紀が引退して「プロ野球を10倍楽しく見る方法」を発表する10年前とゆーことになりますね。

そーいえばエモヤンもこの本で時の人となった勢いで俳優業にも手をひろげミュージカル「くたばれ!ヤンキース」の主役として歌い踊ったり、国会に進出して歌い踊ったりしてますが、ジム“元祖マルチタレント”バウトンも、ロバート・アルトマンがチャンドラー原作を映画化した「ロング グッドバイ」なんかで俳優業やってます。

 

 

日本語字幕はないですが、俳優バウトンの見事な撃たれっっぷりをご堪能くださいな↓↓↓


さてさて、バウトンもなかなかのモンですが、元野球選手で一番成功した映画スターといえば、なんたってカート・ラッセルです(きっぱり断言)。

と、極めて自然な流れでカート・ラッセルに寄り道しますね♪

あ、もちろん後にバウトンのキャリアに繋がる話になりますので、お付き合いくださいな。

イシヅカサンが食べるごはんも旨そうだがカートラッセルが吸うタバコのがもっとまいうー♪

 

えーと、そんな訳で、昨日公開初日、我が溺愛の「ガーディアンズ オブ ギャラクシー」の続編「ガーディアンズ オブ ギャラクシー リミックスでも「キャー♡こんな役、この人にしかできない!」って役を怪演してましたね♡

大ヒット祈願でリンク張っておくぜ♪↓↓↓

 

 

えー、でこのカート・ラッセルが独立球団ポートランド・マーベリックス所属の元野球選手なんですね。

で、マーベリックスと野球選手カートラッセルを語るにはお父さんのビング・ラッセルに触れないわけにはいきません。

ビング・ラッセルさんは子供の頃、ヤンキースの名選手たちに可愛がられて育ち、自分も野球選手になる。その後俳優に転身。テレビシリーズで人気を博す。

けれど、熱烈野球バカの魂百までとゆーことで、息子カートに野球英才教育、プロも参考にする超マニアックな野球教則ビデオを自主製作、息子カートを模範プレイのモデルとして出演させて、ピボットプレイの二塁手の足の運びなんかを懇切丁寧に解説ナレーション。

さらに熱烈野球バカをこじらせ、遂に独立リーグのチームをたちあげオーナーとなる。

マイナーリーグのチームが移転して野球ロスを嘆くポートランドにマーベリックスとゆーチームを作る。

それまでポートランドとは縁もゆかりもない落下傘オーナーとして。

息子カートラッセルは選手1号兼広告塔兼副社長。

地元の若い女の子をゼネラルマネージャーに仕立てて。

茨城ゴールデンゴールズの欽ちゃんもびっくり、なんでそーなるの?ヒヒヒヒヒっで、選手もグランドもないゼロからのたちあげ。

MLB機構に頼らない独立球団なので、選手も独自に集めなければなりません。

新聞広告でトライアウトを告知して選手集め。

ドラフトにかからなかった者、一度は野球をあきらめた者、組織からはじかれた者。

ところがこのアパッチ野球軍感たっぷりのこのチームが奇跡をおこす。

その一部終始はNetflixオリジナルのドキュメンタリー作品「バタード・ベアード・ベースボール」におさめられています。

これ、超傑作野球ドキュメンタリーです。

事実より奇なるエピソードには事欠かない野球界でも、ホント、感動的、奇跡的、&チョー楽しい野球映画です。

ああ、野球っていいなあ♪楽しいなあ♪に刹那さが掛け合わさって、涙腺決壊です。

“出師の表を読んで泣かざるは男子にあらず”なんて言いますが、“バタード・ベアード・ベースボールを観て泣かざるは熱烈野球バカにあらず”です。

 

 

 

 

で、この愛すべき奇跡のチームに「俺にも野球をやらせろ!」と伝説のメジャーリーガーがやってきます。

誰あろうジム・バウトンです♪

ミッキーマントルもホワイティーフォードも球団の言い値で働いていたヤンキースで賃上げ闘争を行い、狩猟を趣味とする者が多いMLB唯一の銃規制法支持者の“新人類”としてフロントから疎まれ、“ボールフォア”出版で、球界出入り禁止状態だったバウトンは、しかしベースボールへの想い断ち切り難く、このはみだし球団マーベリックスにやってきて、投手としてのキャリアを再スタート。

1977年にホワイトソックスとマイナー契約、1978年にはブレーブスで、8年ぶりにメジャーのマウンドにカムバックします。

しかも若い頃は一球ごとに帽子を飛ばすのがウりの力投派だったのが、ナックルボーラーとして復帰するあたり、したたかな野球小僧ですねえ。

ここまでの話でもかなり異色なキャリアですが、なんといっても“紙の野球”の名選手バウトンのハイライトは1995年に 傑作野球ノンフィクション  「エイトメン アウト」の著者エリオット・アジノフ と共著した野球小説「ストライクゾーン」です。

 


 

 

「ストライクゾーン」が野球小説として傑出しているのは、野球とゆーゲームとストーリーが分かちがたく融合している点です。

一言に野球小説といっても、野球界が舞台であるとか、野球選手が主人公であるだけで、野球とゆーゲームとはまるでリンクしない小説もあります。

「ストライクゾーン」は野球のゲームそのものを描くことで、人間、人生、生き方なんつー小説が描くべき普遍的テーマをあぶりだします。

 自らのキャリア最後の試合で八百長に加担せざるを得なくなった老審判VSシーズン終盤に思わぬ大舞台で先発するとゆー千載一遇のチャンスを得た鳴かず飛ばずのロートルピッチャー。

いやあ、すごい設定ですねー。

ロッキーの対戦相手がアポロだけじゃなくて、レフェリーも敵みたいなことで、もー手に汗握りまくりで、美味しいおむすびできちゃった♪ですねえ。

そしてアポロ圧勝と思われた試合でロッキーが奇跡をおこしたよーに、ロートルピッチャーが一世一代の投球をするのですが。。。。。

で、この特異なシチュエーションの試合が、八百長アンパイアとロートルピッチャーのイニングごとに交代する一人称で語られ進行してゆくんですよ。

アジノフとバウトン、二人の共著者の役割分担は定かではありませんが、厳しい判定を受けながら粘り強く投球を組み立てていくピッチャーの心理は、バウトン担当でしょーね、きっと。

さきほども言いましたが、野球と分かちがたくある物語として、野球小説の最高峰と思うわけです、僕は。

まったく呆れるマルチタレント、ジムバウトンは、Wiki情報によると、 「近年は、19世紀に行われていた素朴な「ヴィンテージベースボール」の復活活動に力を注ぎ、〖ヴィンテージ・ベース・ボール連盟(Vintage Base Ball Federation)の理事長を務めている。 」 そーな。

投げてよし、喋ってよし、演じて、書いてよし、のジム・バウトンのお話でした。

 

 

 

 

そんな訳で、我が溺愛の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の続編「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー/リミックス」が公開されたぜ♪
早速仕事帰りに109シネマズ二子玉川IMAX3Dの最終回に。
と!!!
キタ━(゚∀゚)━!(゚∀゚ 三 ゚∀゚)「スターウォーズ 最後のジェダイ」の予告編❗
ちょっと奥さん、ガーディアン観に来てスターウォーズがついてくるんですよ!
これはお得‼
更にフライパンとペティナイフとタラバガニの脚一本だな♪
そーか、今年も始まったか。
年末の公開に向けて、チヒチビ情報公開して焦らして煽る作戦。
まったく!
ふん!誰がその手におもいっきり乗るぜ!
ん?
日本語おかしいっすか?
ま、とにかくあれだ。
待ちに待ってやるぜ!




「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー/リミックス」の方はとゆーと。。。
大傑作の前作が、お宝争奪戦とゆー冒険活劇の王道中の王道ストーリーだったのに比べ、ちょっと哲学しちゃってる分、観客を選ぶかも。
僕は大いに堪能しました。
だって、カート・ラッセルにスタローンって反則だよね(笑)
役がどーこー言う前に、役者のキャラが立ちまくり。
ま、これを“存在感”と言う(笑)

続編を観に来た人のために作られた続編で、僕は続編を観に来た人なので、とりあえず満足の巻。


中学生の頃ビートルズばかり聴いていました。

僕は1962年生まれなので、中学生の頃はすでにビートルズは解散してました。

DVDもビデオも、ましてyoutubeもない時代です。

で、“動くビートルズ”を観に、よくファンクラブ主催のフィルムコンサートなるものに出かけていきました。

ファンクラブは何団体かあって、それぞれが年数回フィルムコンサートを主催していたので、首都圏なら月一くらいで、ビートルズのフィルムコンサートが観られる環境だったと記憶してます。

朝10時か11時くらいにスタートして、夜6時、7時くらいまで延々ビートルズの映像。

名画座3本立てを基準に考えれば、特に長丁場とも感じませんでした。

とにかく“動くビートルズ”であれば、なんでもアリの雑多なプログラム。

インタビューフィルム、今で言うPV的なフィルム、ニュース映像、テレビ出演映像、そしてもちろんコンサートのライヴフィルム、主演映画、実験映像。。。

あ、解散後のソロの曲のプロモフィルムも必ず上映されてて、ジョージの「クラッカーボックスパレス」とリンゴの「ヘイ ベイビー」はフィルムのコンディションが良かったせいか、かなりの頻度でみました。。。。ってことは、逆に言うと、コンディションが劣悪なフィルムが大半だったのですが、それはあくまでも“今振り返れば”とゆーことであって、当時は動くビートルズが観れるとゆーだけで大満足、音や画の質なんてどーでもいいって感じでした。

アダルトビデオがいくらでもみれる現代からは考えられないブルーフィルム秘密上映会の時代とゆーことです。

今と違って、映像のソースはとても少ないので、行けば毎回のよーに観ることになるヘビロ、権藤権藤雨権藤な映像がいくつかあって。。。。

「ストロベリーフィールズフォーエバー」「レボリューション」のプロモフィルムは、散々観ましたねえ。

今でも「レボリューション」のイントロ聴くと、、パブロフわんちゃん的にプロモフィルムの映像がパッと脳裏に浮かびますねえ。

定番は、ワシントンDCコンサートの白黒フィルム、シェアスタジアムのコンサート、武道館ライブ、

あ、今は“シェイ”スタジアムと表記され、先日のロン・ハワード監督のビートルズ映画「エイトデイズ ア ウイーク」でデジタルリストア版がおまけ上映されて(あまりにクリアな映像と音に)ヒャッホーでしたが、昔は「“シェイ”スタジアム ライブ」ではなく「“シェア”スタジアム」と表記されてました。(ドジャースとジャイアンツが西海岸に引っ越してアメリカンリーグのヤンキースだけになったニューヨークに、ナショナルリーグのチーム“メッツ”を新設しよーと尽力したウイリアム・シェイさんを顕彰した球場名です。)

 なので、おじさんとしては、“シェア”スタジアムじゃないと、どーも感じが出ないんですねー、あの頃の。

本邦初公開がなんと俳優座劇場で、白黒版画的にしたヤアヤアヤアのジャケット転用の4人の写真に“日本初公開 於 六本木俳優座劇場”とプリントされたポスターが会場販売されてました。

もちろん“買い!”ですよね。

長いこと自分の部屋に飾ってたたけど、どこやっちゃったかなあ。。。。けっこーお宝プレミアじゃなかろーか?ネットで画像が出てこないもん。

 

それからフィルムコンサート雑多プログラムできつかったのが、ジョンとヨーコの「2バージンズ」だったけかな、「実験的映像」を延々見せられて、会場全体ミョーな雰囲気とかありましたねえ。

そーそーそー(copyright 19×× 横山剣さん)。

「バングラディッシュのコンサート」を初めて観たのもフィルムコンサートでした。

映画「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」とのファーストコンタクトもフィルムコンサートでした。。。。字幕なしだったけど。。。

 

昨今、声だし上映とか応援上映なんて形態の映画鑑賞が流行っているそうですが、フィルムコンサートはまさに声だし上映です。

僕はいつもおとなしく観てましたけど。

てか、基本男子は声を出さず、女子が黄色い声を出しまくるのが、当時のビートルズのフィルムコンサートでした。

「ジョージ!!」「ジョージ!!」「ポール!!」 「ジョージ」「ポール!!」「ジョージ!!」 「ジョージ!!」「リンゴー!!」「ポール!!」「ジョージ!!」くらいの割合いで、たまに義侠心にかられた男子が「ジョーン!!」と。

男子はひとりで声を出す勇気がないので、連れ立ってきた仲間と声を揃えてイッセーノセっ!と、子供の声、野太い声、絶賛声変わり中の声の即席混声絶叫団で。

 

さて、そんなわけで行ってまいりました。

5月1日お台場はダイバーシティーのZeppで、ビートルズ初主演映画「ハードデイズナイト」の声だしオッケーの爆音上映会。

 

要はフィルムコンサートってことですよね?

“応援上映”とか“声だし上映”なるものが流行っていると聞いた時、なんかヘンなモノが流行りだしたなあ、俺には縁のないものだよなあ、と、なんとなく思っていたのですが、ん?待てよ、往年のフィルムコンサートと思えばレッツゴーじゃん、と。

ま、どっちにしろ僕は当時と同じく声だしせずにおとなしく鑑賞とゆーことになるんですけどね。

前売りで全席自由整理番号順チケットを買ったら、整理番号93だったので、ん?公演3日前でこんな整理番号とれちゃって大丈夫?と逆に心配になりましたけど、入場開始5分前に行ったらなかなかの盛況。

僕も含め年齢層は高めで、推定平均年齢50歳てな感じ。

たぶん、あの頃黄色い声でキャーキャー叫んで女の子たちが思えばいと疾しこの年月を経て再集合な訳だな。

音域は変わっただろーけど、声だし、よろしくね。

 

ロビー展示は世界各国の「ハードデイズナイト」のアルバムカバー。

階段下、隅の目立たない暗がりに顔出しパネル。。。

きっと愛だな。

愛と労りなんだな。

女優ライトでがっつり照らすか、暗がりかの2択で、暗がりを選択したんだな。

ラブ&ピース!

 

上映前のトークイベントは懐かしの星加ルミ子さん。

こーゆーの難しいよね。

10年満たない活動期間に10枚をちょっと超えるアルバムを残して解散したバンド。

“ビートルマニア”なんて言葉が生まれたほど、コアなファンがゴロゴロいるバンド。

けれど何世代にも渡って世界中で最も聴かれ、今も聴かれつづけている音楽。

どの層をターゲットにトークしたらいいか。。。

だって、「昨日までのポールのコンサートに行った方いらっしゃいますか?」の問いに半数以上手が上がっちゃうんだもん(笑)

 

結局、初心者にも気を使って、きっと客席の大多数のツワモノどもが何度も読んだり聞いたりした話をする星加さん。

その話をニコニコうんうん噛みしめる往年のツワモノども。

なんとも優しい空間。

愛だな。

All you need is loveだな。

 

20分ほどの星加トークが終わって、「それではご覧ください!ビートルズ初主演映画『ビートルズがやってくる ヤア! ヤア! ヤア!』」

暗転。

じゃ====んんんん!!!!

。。。。。オペミス?頭のギター音ちっちゃ!

すぐにボリュームあがって爆音になったけど、そこ超大事!

ま、いいや。

このユルさも往年のフィルムコンサートの風情か(笑)

新たにデジタルで磨かれた音は、超イイ。。。とゆー感じではなかったものの、あんまりイイ音になっちゃっても感じ出ないもんね。

その昔、黄色い歓声をあげていた元少女Aたちも、立ち上がることもなく静かに鑑賞。

オッケー。

いいよ、いいよ。

 

その昔、ビートルズのLiveは、圧倒的な歓声の中、ほぼビートルズの演奏も歌声も聞こえなかったという。

それどころか失神者続出だったわけで、それからトライ&エラーの幾年、オーディエンスはLiveの楽しみ方を洗練させ、機材は格段に進化。

今はイヤモニなんてものもあるけど、リンゴは3人の後ろ姿から音を想像してドラムを叩いていたんだもんね。

これもビートルズが切り開いた道だぜ。

 

そんなわけで、すっかり大人になっちゃった僕らは、スクリーンに躍動する4人の若者と、あの頃の僕らを慈しむよーに、愛でたのですの巻。

 

 

ロドリーゲス!!

 

えーと、今回は妄想全開妄言満載でーす。

僕の溺愛する2つのロドリゲスのお話です。

 

一つ目は「大好きロドリゲス」とゆー曲です。

もー大好き大好き「大好きロドリゲス」なんです。

我が溺愛のクレイジーケンバンド。。。。とゆーか横山剣さんの楽曲様なんですけど、

残念ながら公式アルバムには未収録。

「自宅録音シリーズ第三集 香港的士」とゆー、なんつーかセルフ海賊版なキャセット!(カセットテープ)に収録されていて、「Kissは目にして」のカバーヒットでお馴染みビーナスのコニーさんに楽曲提供されてシングル発売されてます。

 

 

 

 

 

 

 

昨年8月発売されたクレイジーケンバンド17枚目の公式アルバム「香港的士」は、他のアーチストに提供した曲をクレイジーケンバンドで新録したセルフカバー集なので、すわっ!「大好きロドリゲス」カモ==ン!!と色めきだったのですが、残念ながら落選。。。ま、完成したアルバム聴いたら実に完璧な構成でスキのない名アルバムだったので、なるほど、これは仕方なしの納得させられましたけどね。

なんせ「大好きロドリゲス」じゃ、すでにタイトルにスキがあるもんね。。。わかるかなあ。。。わかんねえだろーな♪シュビドゥビドゥ~イェー♪(copylight1974松鶴家千とせ)と、俺が夕焼けだった頃の昔話になっちゃいました、すんません。

 

 

 

 

 

 

 


で、大好きな「大好きロドリゲス」のどこがどー好きかとゆーと、ま、いろいろ能書きはあるんですが、とどのつまりが、とにかく好き、大好きってことなんですよ。

“好き”に関する理屈ってそーゆーもんじゃないでしょーか。

“惚れたが悪いか”です。

まず“好き”があって、理屈は常に後付け。

で、後付けの理屈の一つが、もうひとつの大好きな「ロドリゲス」とリンクするのですが。。。その話をしよーかと。

 

もうひとつの大好き「ロドリゲス」は2012年度アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作「シュガーマン 奇跡に愛された男」の主人公、ロドリゲスです。

えーと、このドキュメンタリーに関しては、なるべく予備知識なしに観る方が、驚きも感動も大きいので、

もしご覧になる気、予定がある方は、ここでハイ、サヨナラ、サヨナラです。

昭和のテレビ洋画劇場的には、ここまでが本編前で、次の行から本編後の淀チョーしちゃいますからね。

とゆーことで、観た人限定のテイで進めるのにおかしなことですが、一応予告編張っときますね。

 

 

はい、いかがでしたか?。。。。と、淀チョー節で書き進めようと思ったら、意外にフレーズが出てこん。

あっさりあきらめて、フツーにいきますが、えー、とにかく、既にご覧になった方なら激しく同意していただけると思いますが、何度見ても、ライブ会場で名曲「I wander」のイントロのベース音が鳴り響いた瞬間、鳥肌→アゲアゲ多幸感→涙腺大決壊ですよね。

 

 ここからが妄想。

僕、好きなモノと好きなモノ結びつけて妄想する癖があるんですよ。

憧れのスターが自分と同じものが好きと知ってウレピー♪って時ありますよね。

そこを更に推し進めて、、そのウレピー♪体験を妄想ロジックで無理やりでっち上げるて、多幸感を味わい楽しむワケです。

 

そこで2つもしくは2人のロドリゲス、もしくは1つと一人のロドリゲス。

 

大好きな「大好きロドリゲス」は、大好きな横山剣さんが大好きな「シュガーマン」のロドリゲスに捧げる曲として作った曲と設定して、妄想の中でロジックを組むんですよ。

 

すると、おや?あながち無くはないか?と。

まあ、ロジックの穴を段々忘れて、自分の組み立てたロジックに酔ってゆくとゆーことなんですがね。

僕、お酒を一滴も飲めない下戸なんで、このよーに妄想に酔っぱらって、ま、一種のストレス発散、リフレッシュするんですよ(笑)

妄想は百薬の長ですな。

これ、大穴の馬を軸馬にする予想をたてる時の心理と似てますね。

もし仮にこーきてこーなってこの馬がコケた場合。。。おや?無くはないか。。。ん?充分あり得るな。。。てか、おそらく正解じゃない?。。。おいおい、他に考えようないだろ!やべー!金持ち不可避!!

で、ちょこっと100円だけ遊ぶつもりが、思ってもいなかった額の馬券を買って、発走までの間、豪勢な蔵をたてる妄想に浸って楽しむ。

ま、たいていは痛い目にあったり。。。しかし、ごく稀に。。。痛い目にあったりするんですけどね(笑)

 

 

「シュガーマン」のロドリゲスの奏でる音楽にはロドリゲス感はありません。

 

ロドリゲス感って何?

狂剣的世界 (Crazy ken's world) ではロドリゲス(又はロドリゲス様)は単に人名ではなく、ひとつの概念であり、音楽ジャンルであり、合いの手だったりします。

ま、ラテンミュージック、ラテン的なるもの、もしくはラテン濃度をグッと高める合いの手と考えていただければ、おおむね間違いじゃない。。。ってな感じです。

我が溺愛の「大好きロドリゲス」は、そんなロドリゲスとゆー概念の“はじめの一歩”的楽曲様で、人名に見せかけた合いの手としてのロドリゲスが秀逸です。

で、 「シュガーマン」のロドリゲスさん の奏でる音楽には、そんなロドリゲス感は表面上は一切ありません。

「シュガーマン」のロドリゲスさん。。。。えーと、いちいち“シュガーマンの”と断るのは煩わしいし、シクスト・ロドリゲスとゆー名前が“一応”あるんですけど、ま、映画をご覧になった方なら、「一応」とつける感じわかっていただけると思いますが、フルネームで呼んじゃうと、どーも感じが出ないので、以降“ロドリゲスさん”とゆーことにしますね。

「シュガーマン」のロドリゲス=ロドリゲスさんで、狂剣的世界の概念としてのロドリゲス=ロドリゲス様でいきます。

で、一見ロドリゲスさんの音楽にロドリゲス様は不在ですが、映画から窺い知るロドリゲスさんの“ココロの深いトコロ”にロドリゲス様が棲んでいる気がしますし、何より(ここから一段と妄想が深くなります。。。ヒック)えー、自分が女性だとしたらですねえ、ヒック、そんでもってロドリゲスさんとお付き合いしたらですねえ、ヒック、「大好きロドリゲス」の歌詞が意外ににしっくりくるんですよねえ。。。
ついて来てますかー?(笑)
僕、酔っ払いどもの妄言をニコニコ聞きながら朝までウーロン茶すすることしばしばなんですよ。
ですから、もしあなたが少しでもお酒を嗜む方であるなら、「トラの恩返し」っつーことで、シラフの妄言にもう少しお付き合いくださいね。
おっと、「大好きロドリゲス」の歌詞は、こんな感じ↓↓↓

バナナの皮ですべって
転んでケガしたアナタ
大丈夫かしら

たんこぶ作って
可愛想に

 

ショコラータみたいに甘い

甘い甘い口づけを

してあげたけれど

それどころじゃ

ないよねきっと

 

朝から晩までずっと

一緒にいられるなんて

働き者のアナタにはちょっと

苦痛かもね

 

今夜はRed hotな

料理つくってあげる

ずっと大好き

ホントに大好き

アナタだけを

ロドリーゲス!!

 

まあ一筆書きのよーな、チャチャっと書いた感あふれる他愛ない歌詞なんですけど、

元来僕は一筆書きのよーな曲が大好きなんですが、そこに無理やり理屈をつけると、そーゆー曲にこそ作家性が現れると思ってまして、例えばビートルズで言えば“I will”とか。。。。えー、段々話が本筋から外れていく悪癖が顔をだしてきたトコで、あわてて引き返しますが、この「大好きロドリゲス」の歌詞が、絶妙なシンクロ具合で、ロドリゲスさんの胸ポケットに花を飾るよーに。。。聴こえてしまうわけです。。。僕には。

 

ドキュメンタリー映画「シュガーマン」の製作が2012年

「大好きロドリゲス」収録「自宅録音シリーズ第3集香港的士」のカセット発売が1998年

「大好きロドリゲス」がいつ着想され、いつ作られ、いつ録音されたのか。。。は無視するとして(笑)、最低限1998年までには剣さんがロドリゲスさんの音楽に触れたとゆー妄想ロジックが必要ですよね。

 

1970年デトロイトの場末の酒場で見出されたロドリゲスさんは、2枚のアルバムを出すものの、さっぱり売れず、ミュージックシーンからあっとゆー間に姿を消す。

どんだけうれなかったかとゆーと全米で6枚だけしか売れなかったとゆー2枚のアルバムの版元サセックスレコード元社長である クラレンス・アヴァントの証言が出てきます。

ま、これが裁判だったら陪審員12人中100人が、しかもその100人全員が偽証と受け取るであろーとゆー怪しさオーラぷんぷんのヘンリーフォンダもソッコーでさじ投げるレベルの証言なんですけどね。

にしろ、てってー的に売れなかったらしいのは確か。

ま、つまりフツーならリアルタイムで剣さんがロドリゲスさんと繋がる可能性は、ほぼZeroですよね。

 

ところが所変わって、がアパルトヘイト真っ盛りの南アフリカでは、ロドリゲスさんのアルバムはバカ売れ。

 

ロドリゲスさんはビートルズ、サイモン&ガーファンクルと並び称されるミュージシャンとして神格化されていた。。。

突破口発見♪

 

よし、妄想の海に更に深く潜行。

妄想の潜水艦が軋む。

 

 

 

横山剣さんは知る人ぞ知る世界をまたにかける天才ジャケ買い師であり、アルバムジャケットが帯びる微弱電波にビビットに反応して、ある時は韓国、ある時はバンコクのレコードショップでジャケ買いしては、この世界の片隅のワールドミュージックを産直もしくは剣さん直営のCKB音楽工場で加工して、我々リスナーに届けてくれるんですよ。。。。

 

その剣さんは、山下埠頭7号上屋で、主に自動車の輸出検査官として働いていた。。。

 

「中古車」って曲の歌詞が脳内に鳴り響く

 

カーステレオから(得体の知れなぃ)
得体の知れない(ビートが流れる)
これは懐かしい(これは素晴らしい)
これは素晴らしい(これは美しい)

以前の持ち主が忘れていったカセット カセット カセットテープ。。。。

 

おいおいおい、「輸入」じゃなくて「輸出」の検査官だよね、「中古車」って国産車を歌った曲だよね等々の脳内セルフツッコミが入りまくって、妄想レッドオクトーバーのあちこちがピキピキ、ピキピキと音を立て水を吹く。

妄想乗組員が絶叫する。

「艦長!持ちこたえられません!このままでは圧潰です!」

 

妄想ショーン・コネリーが決断する。

「ニェット!。。。仕方あるまい。かくなるうえは、アレを発動させるのだ。」

妄想ショーンコネリー自らコントロールパネルの前に立ち、平時は決して押すことのないボタンのプラスチックカバーを上げてボタンに指をかける。

 

「かっ艦長!そのボタンはっ!」

「ダー!その通り。このボタンこそM・U・S・H・I即ち“無視”だあ!!! 」

と、艦長がボタンを押して“無視”を発動させたので、都合の悪い情報は全て無視!

 

しかし妄想ロジックでは毎回このボタン押すんだから、プラスチックカバーなんかしなきゃいいのにね♪

 

かくて妄想レッドオクトーバーは海面に浮上するや、更に浮上し続け、猛毒入り隕石を求めて、火星のやつらが暗躍し猿軍が巧妙な罠を張り巡らす銀河の彼方に飛び去るのであった!

OH!妄言!と小川ローザのパンツ丸見えの巻。

 

大黒ふ頭のジャンクヤードに打ち捨てられた赤くさび茶けたフォードムスタングの残骸に、前の持ち主が忘れて行ったロドリゲスさんのカセットの発する微弱電波を感受した剣さんが。。。。

 

てなわけでね、「大好きロドリゲス」をナマで聴ける最大のチャンス、長者町フライデーのクレイジーケンバンド定期演奏会開演前、リクエストカードにせっせと「大好きロドリゲス」と書きながら、脳内は妄想が炸裂しているのですよ。

 

 あーすっかり酔っぱらっちゃった(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【前回までのあらすじ】
僕 「私はディマジオの出てくる大好きな野球ソングのことを調べましたネットを用いて。」
相棒「そうですか。」
僕「私は驚きました。何故ならずいぶん検索したのにもかかわらず私はその曲の野球ソングとしての魅力について解説したものを発見できなかったからです。」
相棒「そうですか。」
僕「私はとても残念です。何故ならこの曲はとてもよくできた野球ソングで私が熱烈野球バカであるからです。」
相棒「私はあなたに提案します、あなたがブログを開設してその件に関して記述することを。」
僕「いいえ。私はブログを開設しません。何故なら私は面倒くさいからです。」
相棒「だったらグダグダぬかすなボケ!カス!引退間際の堀内の高目に抜けるカーブみたいに煮え切らないやっちゃのう。山下埠頭から蹴り飛ばして海に沈めたろか?四の五の言わずにやらんかい!」
僕「はい。私はブログをやります。何故なら私はあなたによって引退間際の堀内の高目に抜けるカーブと思われたくないからですとても。私はあなたによって全盛期の佐々木のフォーク或いは鈴木 尚典のライトフェンス直撃の二塁打と思われることを欲していますとても。」
 

ディマジオに乾杯 トム・ウェイツ「想い出に乾杯」論④

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論③

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論②

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論①

 

カルフォルニアの オールド・ドライスデール

そんなわけで、やっとドライスデールについて語ります。

トムウェイツ「想い出に乾杯」のキーパーソンです。
 右投げ。
スリークォーターに近いサイドハンドから魔球レベルのスライダー。
ドン・ドライスデール投手は、左オーバーハンドのサンディー・コーファックスとの強力強烈二枚看板で60年代ロサンゼルス・ドジャースに黄金期をもたらした大投手です。
もちろん両雄とも殿堂入りしています。
ドライスデールは54年にブルックリン・ドジャースと契約。
ワールドシリーズ初制覇翌年56年にメジャーデビュー。
翌57年、つまりブルックリン最終年にローテーションピッチャーとして4完封を含む17勝9敗。
若手最有望株、エース候補として、ブルックリン・ドジャーズの明るい未来の象徴でした。
一方サンディー・コーファックスは同じく54年に契約。
翌55年メジャーデビュー。
2勝2敗ですが、その2勝が両方とも完封勝ちなので、大器の片りんは充分みせつけました。
但し、41 と2/3イニング投げて30四死球なので、コントロールに難ありといった感じでしょうか。
コー ファックスが初めて2ケタ勝利を挙げたのが、ロサンゼルス移転後の58年、歴史的大投手にふさわしい活躍をするのは61年、もしくは62年からなので、ブ ルックリン時代は、いわゆる“未完の大器”、ベイスターズファンが好んで使う表現を借りれば“ロマン枠”とゆーヤツですね。
僕も含めベイスターズファン、いや野球ファン全般に共通する傾向だと思うのですが、なまじ実績を残した選手より“ロマン枠”に大いに魅了されメロメロになることが多々あります。
我が溺愛のベイスターズに寄せて言えば、古木選手、那須野投手ですね。
ま してブルックリン・ドジャーズファンの合言葉は、「ドジャース、ブルックリンに還る」最後の一行&ドリス・カーンの著書のタイトルそのまま「来年 があるさ」(wait till next year)ですから、そーゆー気質のファンにとって、コーファックスはとても魅力的な投手に見えたことでしょう。
更にいろいろと見事に対照的な両雄の、もうひとつの、そして決定的な違いは出身地です。
ドライスデールはロサンゼルスのバンナイス。
ドラマ「24」にヘビロで登場するバンナイス空港で耳に馴染みありますよね。
一方コーファックスは、ちゃきちゃきのブルックリン子。
つまり地元出身のフランチャイズプレイヤーとゆーことになります。
これも万国共通だと思うのですが、地元出身選手とゆーのは、特別な 寵愛 を得るものです。
さきほどベイスターズ喩えで古木、那須野と言いましたが、本格化以前の筒香選手のほーが、近い喩えかもしれないですね。
コーファックスは1966年に30歳の若さで突然引退するのですが、「サンディー・コーファックスの引退をもってブルックリン・ドジャースは完全に消滅した」とゆーファンもいます。
それにしても本格化してたった4,5年で引退したにもかかわらず殿堂入りして、史上最高の左投手と評す人も多数とゆーことは、その4,5年の活躍がどれほど圧倒的で輝かしかったのか、推して知るべしですね。
因みに最終年66年の成績は323イニング投げて27勝9敗27完投5完封で防御率1.73奪三振317WHIP0.98です。
まさに突如の引退でした。
コーファックスはブルックリンのフランチャイズプレイヤーですが、対してドライスデールはロサンゼルス移転とともに、突如としてフランチャイズプレイヤーになった格好です。
数々のハイライトの中でも“フランチャイズプレイヤー”としてのドライスデールが最も輝いた瞬間が1963年のワールドシリーズの第3戦ではないでしょーか。

移転後5年間、ドジャースはロサンゼルス・メモリアル・コロシアムとゆーフットボール場で無理やり試合開催してました。
そして1963年、念願かなってドジャースタジアムとゆー全米一美しいと評判のホームグラウンドが完成しました。
前回引用しまくった「来年があるさ」や「ドジャース、ブルックリンに還る」のエベッツフィールドの描写を見てもわかるよーに。。。てか、見なくてもわかる自明の理として、ファンにとってホームグラウンドは特別な場所です。
僕にとっての横浜スタジアムであり、あなたにとっての神宮球場であり、甲子園球場であり、マツダスタジアムです。
僕にはわかりませんが、ジャイアンツファンにとっては、あの小石川の密閉空間も、きっと特別で神聖なパワースポットと感じていることでしょう。
ロサンゼルスのファンは遂にドジャースとゆー地元チームだけでなく、ドジャースタジアムとゆーとびきり美しいホームをてにいれました。
その記念すべきファーストシーズンで、ドジャースはナショナルリーグを制してワールドシリーズに進出します。
対戦相手は、もちろんヤンキース。
第一戦はヤンキースタジアム。
ヤンキースはホワイティーフォード、ドジャースはサンディー・コーファックスが先発した試合は、5対2でドジャース先勝。
(また、ちょこっと外角にボール球を投げますが、この時のヤンキースのスターティングメンバーには、大洋ホエールズの名三塁手クリート・山下大輔の師匠・ボイヤーとヤクルトアトムズの元祖“お騒がせダメ外人”ジョー・ハゲヅラ・ペピトーンとゆー僕世代の野球ファンにはチョー懐かしい名前があります。ちなみに日本では聖人ボイヤーとトラブルメイカーペピトーンはルームシェアしてたそーです。ボイヤーきつっ!)
えー、でもって第2戦も勢いに乗ったドジャースが連勝。
移動日をはさんで、“ロサンゼルス”ドジャースファン夢のホームグラウンド、ドジャースタジアムで初めて開催されたワールドシリーズの試合が第3戦です。
ドジャースの先発はもちろん“フランチャイズプレイヤー”ドライスデール。
短期決戦の常套戦術として、順番はさておきコーファックス&ドライスデールを1,2戦に持ってくるのが自然だと思うのですが、やはりドジャースタジアム初のワールドシリーズとゆーことを強く意識した演出が、第3戦ドライスデール先発とゆーローテーションになったのではないでしょーか。
対するヤンキースの先発はジム・バウトン(この人はドライスデールとは別の意味で伝説の選手なので、そのうち詳しく語りますねー。)
ここで地元の英雄ドライスデールは見事なピッチングを披露します。
数ある試合展開バリエーションの中でも、最も投手が輝く“スミ1”の完封をこの大舞台でやってのけたのです。
念のため野球にあまり詳しくない方のためにご説明いたしますと、“スミイチ”とは、初回に奪った虎の子の1点を最終回まで守り抜いて1対0で勝つヒリヒリの試合のことです。
念のため動物に詳しくない方のためにご説明いたしますと、“トラノコ”とは食肉目ネコ科ヒョウ属の。。。すんません悪ノリしました。
えー、とにかくその白熱の投手戦を制し、メジャーリーグ大嫌いなハリモトさんも“アッパレ!”10個レベルのピッチングで完封しました。
しかも“スミ1”の取り方が四球→暴投→内野安打と、かっぱらったよーな1点ですから、もースミもスミのオースミケンヤ、ひやひやヒリヒリぎりぎーり!の慰謝料1億な試合でした。
スタジアムに集まった地元ファンには堪らない試合ですよねえ。。。
しかしスタジアムに集まらなかった、テレビ観戦した遠く東海岸の野球ファンにとっては、別の意味で“タマラナイ”試合だったことでしょう。
数年前まで溺愛のブルックリンドジャースの輝かしい未来の象徴だった投手が、西の果ての美しい新球場で、西の果てのフランチャイズプレイヤーとして、東の正横綱を土俵に叩きつけたのです。
この頃野球中継のカラー放送はすでに始まっていました。
テレビモニターに映るカラーの映像。
カルフォルニアの青い空。
緑の芝生。
白球。
白地にドジャーブルーのユニフォームをまとった、昔なじみのあの若者のピッチング。
東海岸の人々の落胆&千路に。。。どころ か万路、億路に乱れる心、いかばかりか、ですね。

 

 

 
この時ロサンゼルス在住のトム・ウェイツ少年は14歳。
この出来事は心に強く刻まれたことでしょう。
鋭い観察眼と豊かな想像力で、後に名曲を数々残すことになる詩人が、一般的にはもっとも多感といわれる14歳の時の出来事。
もしかしたら快哉すべき地元チームの快挙としてだけではなく、遠く東海岸の人々の心情を想像して、詩情をゆすぶられたのではないかと妄想しちゃいますのう。
 
そして第4戦再びコーファックスとホワイティ・フォードの投げ合いとなった試合は、ドジャースが5回にフランク・ハワード(レオ・ドローチャーと並ぶ太平洋クラブライオンズの黒歴史を彩る懐かしのビッグネーム)の先制ホームランで先制。7回ミッキーマントル意地のホームランで追いつくも、その裏名手クリート・大洋ホエールズの影のスカウト部長・ボイヤーの送球を一塁手ジョー・トンヅラ&ハゲヅラ・ペピトーンが後逸して決勝点、2対1で、なんと4タテ、スイープ、コテンパン、4連勝でドジャースがワールドシリーズを制しました。
心折れるわニューヨーク。。。
そしてこれははヤンキースの大暗黒時代到来を予感させるシリーズとなりました。

このワールドシリーズについて、「来年があるさ」にも「ドジャース、ブルックリンに還る」にも一切の記述がありません。
どころか、ドライスデール、コーファックスという名前も、「ドジャース、ブルックリンに還る」には1回か2回、申し訳程度に登場しますが、「来年があるさ」には一切登場しません。
ブ ルックリン時代の1957年には4完封を含む17勝をあげてエースに名乗りをあげたドライスデール、地元ブルックリン出身の期待の星、将来殿堂入りする2 人を完全無視とは、有能な歴史学者にあるまじき態度ですが、それだけに著者ドリス・カーンズの深い悲しみ、強い憤りをおもわずにいられませんね。
また引用します。
 

私の個人的な喪失感は、時間と様々な出来事のおかげでずいぶんやわらいだ。

しかし、オマリー.オーナーの裏切りに対する怒りだけは、どうしても消えなかった。
<コルピーカレッジ>時代も、<ハーバード大学>-の1年生だったころも、野球を断固拒否しつづけた。

『ロサンゼルス・ドジャース』だか、『サンフランシスコ・ジャイアンツ』だか知らないが、そんな訳のわからないチームの成績が載っているスポーツ欄は、さっさと飛ばして読んだ。

 (来年があるさ)

 

「私たちはともに二十五年近く彼らのことを無視した。彼らがロサンジェルスくんだりへ出ていったことを憎み、連中はもはやドジャースですらないのだというふりをした。」

 (ドジャース ブルックリンに還る) 


ちなみにドジャースが去って以来50年以上、プロスポーツチームのなかったブルックリンに、2012年NBAのプロバスケットチームが引っ越して来ました。

ブルックリン・ネッツ。

今はヨワヨワだけど、そんなこと、たいした問題じゃないですよね。めでたい‼

 


 


ヤンキースの大暗黒時代と60年代カウンターカルチャー

ベーブルースが移籍加入した1920年シーズン以来、ヤンキースは毎年のように優勝争いに絡んできましたし、その多くをものにしてきました。

特に1949年に始まるワールドシリーズ5連覇、連覇途絶えた1954年のリーグ2位を挟んで再び4年連続リーグ優勝、1959年リーグ3位を挟んで、更に5年連続リーグ優勝と、まさに「くたばれヤンキース」な最強チームの黄金時代でした。

「ヤンキース」とゆー名前も絶妙で、強いアメリカの象徴的チーム。

もし、「ドラえもんUSA」が製作されたら、最強のいじめっ子の名前は「ヤンキー」になる筈です。

ところが1963年ドライスデール&コーファックスのドジャースに完敗。

翌1964年もやっとこさリーグ優勝しますが、ワールドシリーズではセントルイス・カージナルスの軍門に降ります。

このシリーズ第1戦で先発したホワイティー・フォードは、3点リードの6回に打ち込まれ同点に追いつかれると、“猛烈な肩の痛み”で降板、これが数々のワールドシリーズレコードを持つ伝説の大エースのワールドシリーズ最後の登板となりました。

もう一人の生きる伝説、ミッキーマントルも慢性的な膝の痛みで満足にフルスイングできない状態でした。

それでもそんな状態で、このシリーズ通して3本のホームランを打ったのはさすがですが、これがマントルの白鳥の歌となりました。

以降4年間現役を続けますが、毎年のように3割を打っていた大打者が再び3割を打つことはなく、この4年の低打率のせいで生涯打率が3割を切ってしまいました。

18年間プレーして通算2割9分8厘。

通算538本のホームランを打った強打者の通算打率としては見事な数字に思えますが、この数字はマントル生涯のコンプレックスとなったそです。

投打の大看板が峠を越えたことがハッキリしたこの1964年のシリーズを境に、ヤンキースはとめどなく凋落してゆきます。

ヤンキースの次のリーグ優勝は1976年、ワールドシリーズ制覇は1977年まで待たなければなりません。

常勝ヤンキースにとっては、史上初の大暗黒時代とい言っていいでしょう。

本稿の大テーマであるトム・ウェイツの「想い出に乾杯」が収録されたアルバム「異国の出来事」のリリースが1977年9月なので、ヤンキースが大暗黒時代からまだ抜け切れていない時期の作品とゆーことになります。

これ、けっこー重要な点じゃないかと。

そして何より重要なポイントは、ヤンキースの凋落、ミッキーマントルの選手としての晩年が、アメリカの歴史と見事&残酷にリンクしていることです。

公民権運動、ケネディー暗殺、ベトナム泥沼化。。。

“古きよきアメリカ”幻想の崩壊、ヤンキース、マントル。。。。。

 

 

 

 

不 朽の名作「ベスト&ブライテスト」でベトナム戦争とケネディー政権を徹底取材してニュージャーナリズムの道を切り開いたデイビッド・ハルバースタムは、ス ポーツライターとしても極めて優秀で、スポーツ関連の著作も数々ありますが、その中でも名作の誉れが高いのが、「男たちの大リーグ」(Summer of '49)と、「さらばヤンキース ―運命のワールドシリーズ 」( October 1964 )です。

前者はニューヨーク、ヤンキースの黄金期の端緒となる1949年のヤンキース対レッドソックスの激闘をテーマに、後者がまさに大暗黒時代突入前夜の1964年のヤンキース対カージナルスのワールドシリーズがテーマです。

うーむ、この着眼、この嗅覚、ハルバースタム恐るべし!

この2冊セットで「ベスト&ブライテスト」と別のまるで角度から、アメリカの古きよき時代幻想と、その崩壊を活写してみせたわけですね。

 

 

 

特に「さらばヤンキース」は、ハルバースタムの真骨頂60年代の変わりゆくアメリカとヤンキースをリンクさせる手腕がお見事なのですが、ヤンキース没落の原因を、巨大帝国の価値観とシステムの経年劣化、硬直化、思考停止とゆー普遍的な問題に集約します。
具体的には、ジャッキー・ロビンソンを皮切りに二グロ・リーグの優秀なアフリカ系選手がメジャー入りして大活躍する中で、偏見を克服できなかったヤンキースが取り残されていくのですね。
そーいえば、日本でも“栄光の巨人軍”V9時代には「純血打線」なんておぞましい言葉が、ヘイキでスポーツ新聞等に使われてたっけ。。。ハイル・ジャイアンツ!おっと!

そして、1977年、ヤンキースが15年ぶりにワールドシリーズ制覇した時のMVPは伝説の3打席連続初球ホームランの“アフリカ系アメリカ人”選手レジー・ジャクソンだったとゆーのも象徴的ですね。
ついでにちょこっと脱線すると、このシリーズで本来DHのレジージャクソンを守備につかせるために、スタメンから外れたレギュラー外野手がロイ・ホワイト。
“栄光の巨人軍”史上初のアフリカ系アメリカ人選手です。
うーん、味わい深いですねえ。


「想い出に乾杯」解釈のための極めて恣意的な年表

1949年、ブルックリン・ドジャースはナ・リーグ制覇。ヤンキースはワールドシリーズ5連覇の一年目。ブルックリン郊外の住宅街では6歳のドリス・カーンズがベースボールに恋をして、カルフォルニア州ロサンゼルス郡モボナでトム・ウェイツが、まだしゃがれてない声で産声をあげる。 
1950年朝鮮戦争勃発。1951年ホワイティーフォード従軍、ディマジオ引退。
1952年ヘミングウェイ「老人と海」発表。
1953年ソ連水爆実験、ホワイティーフォード鮮やかにカムバックで、ヤンキースのエースに。ヤンキース5連覇
1954年ブラウン判決、ニューヨークジャイアンツ、アフリカ系アメ リカ人選手ウイリー・メイズの「ザ・キャッチ」でワールドシリーズ制覇
1955年キング牧師バスボイコット、ドジャースワールドシリーズ初制覇
1956年ミッキーマントル三冠王、ジャッキー・ロビンソン引退
1957年ドジャース、ジャイアンツGo west !
1960年\大洋ホエールズ優勝!/
1961年ケネディー大統領アポロ計画発表演説「60年代の終わりまでに、人類を月に送り、マントルの放った特大ホームランのボールを回収する」
1962年キューバ危機
1963年ドジャースタジアム完成、初のドジャースタジアム開催のワールドシリーズでドライスデール快投でヤンキースこてんぱん、「ドジャースタジアムの熱い日」と「ダラスの熱い日」と「世界で一番熱い夏」が流行語大賞を争う(不謹慎)カルフォルニアのトム・ウェイツは14歳、声変わり始まる(テキトー♪)1964年公民権成立、ボブ・デュラン「時代は変わる」リリース、ヤンキース2年連続でワールドシリーズ敗退、カルフォルニアのトムウェイツ初めてボトル一本空けて童貞卒業(妄想)
1965年ベトナムでコッポラ監修のもと北爆開始、ヤンキース40年ぶりのシーズン負け越し、カルフォルニアのトム・ウェイツ高校中退、ピザハウスの店員となる(ホン ト)
1966年“コーファックス引退、ブルックリンは遠くなりにけり”の句Life誌の俳句コンクールで特別賞(嘘)1967年ゲバラ銃殺、ワシントンでベトナム反戦大集会、「卒業」「俺たちに明日はない」公開、元アメリカ軍ホワイティーフォード通信兵、ベースボールプレイヤーを引退
1968年キング牧師暗殺、ミッキーマントル引退、チャールトン・ヘストン砂浜に埋まる朽ち果てたディマジオを発見して膝から崩れ落ちる「ここはアメリカだったのかあああ!!!」
1969年「イージーライダー」公開、ウッドストックフェスティバル開催、ドライスデール引退、アポロ11号月面着陸、アームストロング船長月面にミッキーマントルのホームランボールを発見(陰謀説)
1972年ウォーターゲート事件、トム・ウェイツ デビュー、デビュー曲は「酒と涙と男と国道55号線」(だいたいはホント)
1974年大統領執務室に忍び込んだジャックバウアーに脅されニクソン辞任(リアルタイムドラマ)
1975年サイゴン陥落(ミュージカル)もう若くないジミーカーターは就職が決まって髪を切る(言い訳)
1976年ジミーカーターの髪が伸びる
1977年ロッキーがニューシネマにKO勝ちしてアカデミー賞のチャンピオンベルトを巻く。同刻、ルークスカイウォーカーがニューシネマの反応炉の排熱口にキツーイ一発をお見舞いしてとどめを刺す。ドナ・サマーの「時代は変わる」のディスコアレンジのカバーが大ヒット(ショーモナイウソ)、「異国の出来事」リリース(大事)レジージャクソン3連発でヤンキース優勝(象徴的)

 

A Sight for Sore Eyes

さて、トム・ウェイツの「想い出に乾杯」(A Sight for Sore Eyes)を野球ソングとして味わうための材料は出揃いました。
いかがでしょうか?

もちろんこの曲の舞台を、ブロンクスの酒場とする解釈もアリだと思います。

けれど、ディマジオとマントルの間にドライスデールを置いたことで、これはやはりブルックリンの酒場と解釈するのが自然ではないでしょうか?

 

【僕の結論】

1970年代中頃、ブルックリンの酒場、60年代に青春時代を過ごした中年男、もしかしたら初老男。。。もしかしたらベトナム帰りかもしれませんね。

旧友と再会して、ままならない人生のアイロニーに苦笑いしながら杯を重ねる。。。。

 

頻繁に引用したドリス・カーンズ「来年があるさ」から、もう一行だけ引用します。曰く。。。

 

私たち全員が、やがてその一部になる。「50年代の子供」が、「60年代の若者」になっていく。

 

一言つけくわえれば、そして70年代の中年になっていく。。。。でもって80年代の壮年になって、90年代にして耳したがう。。。なんじゃそりゃ?(笑)

 

自分のしょーもない冗談の後に(笑)を足すのは見苦しいと、若い子に注意されたんですけどねえ。。。

ま、いいや(笑)

 

 

えーと、で、ここで改めて「想い出に乾杯」の歌詞の他の部分に目を向けるとですねえ、二番の出だしに

“no the old gang ain't around everyone has left town ”

(馴染みの奴らも誰もいないよ、もうとっくに街から出てっちゃったよ)

とあります。

この“ gang”とゆー単語をわが愛用の英辞郎on webで検索すると

【名】 1.群れ、集団

    2.遊び仲間

    3.非行集団、ギャング、暴力団

とあります。

 the old gang で、まあ2の遊び仲間、昔馴染みの遊び仲間とゆーことでしょうが、トム・ウェイツの十八番ダブルミーニングで、 街を出て行ったthe old gang =ブルックリン・ドジャースではないでしょか?

 

それからタイトルの“A Sight for Sore Eyes”は慣用句で、

珍客{ちんきゃく}、見るもうれしいもの、目の保養{ほよう}になるもの

とゆーことですが、直訳すると Sight (光景)、Sore(痛い、ヒリヒリする、心を痛ませる)、Eyes(目)ですよね。

ヒリヒリ痛い目のための光景???

。。。チョー強引な解釈を承知で、いちおう言っときますね。

東海岸のスポーツバーのカラーテレビに映る青空、白球、ドジャースタジアムの緑の芝生、ドライスデール。。。これ、Sore eyesなSightだよなあ、と。

ま、さすがにこじつけか(笑)

 

それからイントロの「蛍の光」ですが、前回引用したドリス・カーンズの記述にもあったエベッツフィールド最後の試合のオルガン奏者のエピソードを思い起こします。

再度引用。

 

19年間、オルガン演奏によってドジャースを支えてきた彼女が、今日の日を自分なりに締めくくろうと決心したからだ。
『蛍の光』のイントロがグラウンドに流れはじめると、ファンたちはいっせいに立ちあがり、腕と
腕を組んだ。

手放しで泣いているファンも、そこかしこにいる。
やがてひとりずつ、または小さなグループを作りながら、最後の観客がスタジアムから姿を消した。
彼らの背後で、エベッツ フィールドは永久にその扉を閉じた。

 

。。。。さて、計5回、ずいぶん長々と、グダグダと、あれこれ書いてきましたが、それは僕が2017年の日本の熱烈野球バカで、これらのことがまさに「異国の出来事」だからです。

「異国の出来事」がリリースされた1977年の、アメリカの。。。ニューヨークの。。。。少なくとも野球ファンなら、並べられた4つの名前から、この仕掛けを直感的に察知したのではないでしょーか。

どーでしょう?

たった4つの名前づくしで、これほど雄弁に物語りを紡ぐトムウェイツの手腕、恐るべしと思いませんか?

 

 

おっと、一番のお気に入りのエピソードを挟み忘れたので、最後に。

 

ディマジオはヤンキース黄金時代まっただ中1951年に惜しまれつつ引退したことで、伝説となり、“古きよきアメリカ”の象徴となりました。

ポールサイモンは、ニューシネマの金字塔「卒業」の挿入歌「ミセスロビンソン」の中で、その象徴としてのディマジオとゆー名前を用いて

「ジョー・ディマジオは何処へ行った

 国中があなたにさみしげな目を向けている」

と歌いました。

実はポールサイモン自身はミッキーマントルの大ファンで、親交もあったそーです。

ある時、マントルがポール・サイモンに聞きました。

「あの曲、なんで俺じゃなくてディマジオなんだい?」

困ったポール・サイモンはとっさに「音節の問題なんだ」と答えてごまかしたそうです。

 

そこで、ちょっと妄想。

マントルがトム・ウェイツにも尋ねます。

「なんでディマジオの次に僕じゃなくドライスデールを挟んだんだい?」

字余り、字足らずも自在に歌うトム・ウェイツが答えます。

「音節の問題なんだ。。。」

ドライスデールのトコにミッキーマントルを入れて、マントルのトコにヨギベラもしくは(ビリー)マーチンを入れても、トムウェイツなら楽勝に歌えるはずですよねぇ。

 

ミッキーマントルの選手としての晩年は、ヤンキースの凋落、“古きよきアメリカ”幻想の崩壊と、あまりに相似形を描いたために、ディマジオのよーな伝説を纏うことができませんでした。

マントルはディマジオとはまた違う、別の何かの象徴なのだということかもしれませんね。

 

 

 

【前回までのあらすじ】 

トムウェイツの「想い出に乾杯」はバーソング、酔っ払いソングとしても名曲だけど、野球ソングとして飛びぬけて素晴らしい曲だなあ。
4人の野球選手、ディマジオ、ドライスデール、マントル、ホワイティーフォードの名前を並べるだけで、いろいろなことを語ってるなあ。
そのあたりについて、サックと書いてみよーっと。。。。。思ったら、グダグダして、なかなか話が核心に至らんのう。。。。

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論③

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論②

ディマジオに乾杯 トムウェイツ「想い出に乾杯」論①

 

ドジャース ブルックリンを去る

そんなわけで、トム・ウェイツの名作野球ソング「想い出に乾杯」に登場する最重要人物ドン・ドライスデールについて知るには、是非とも理解していただきたいのが、1950年代、60年代のニューヨーク野球事情です。

が、どーも頭の悪いヤツの文章の典型で、語り口の効率が著しく悪く、なかなか前に進まないので。。。お!そーだ!じゃ、頭のいい人の書いたテキパキした文章を引用しまくって話を進めちゃう作戦発動!うーん、俺って頭イイじゃん!と、簡単に立ち直って、おもっきりアテにしちゃうのが「来年があるさ」と、 「ドジャース、ブルックリンに還る」 の2冊です。

一冊目「来年があるさ」は著者ドリス・カーンズ・グッドウィンのブルックリン・ドジャーズを溺愛した日々を縦軸にした自伝。

 

 

ドリス・カーンズ・グッドウインはスピルバーグの「リンカーン」の原作者として有名な、ピュリッツァー賞受賞歴のある歴史学者、伝記作家ですが、実はカンペキにケイティー・ケイシーな筋金入りの野球狂で元ブルックリン・ドジャースファン。

優秀な歴史学者が当時熱烈応援してたチームとの日々を描いたわけですから、こんなに頼りになる本はないですね。

ちなみにケイティー・ケイシーとは、7イニングス・ストレッチの曲、ご存じ「野球に連れてって」の主人公です。

1949年、6歳の誕生日に熱狂的ドジャーズファンの父親から、赤いスコアブックをプレゼントしてもらった著者が、将来のピューリッツァー賞歴史学者的資質を遺憾なく発揮、そのスコアブックに記録をとりながら、どんどんドジャースにのめりこんでいく。

ドジャースがブルックリンを去った1957年かぎりでベースボールと決別。。。レッドソックスファンとして再びベースボールマッドとなり、自分のこどもたちにベースボールの魅力を伝えていく。。。までの自伝です。

こ の本の素晴らしいトコは、ドジャースと自分の少女時代だけを描くだけでなく、赤狩り、ローゼンバーグ事件、リトルロック高校事件、等のアメリカ的出来事、 あるいはブルックリン郊外の住宅街、ドラックストアや肉屋さん、ご近所、避暑地等の風俗を、ドジャースの日々と並列的に活写してるトコで、さすが腕のある 歴史学者の自伝ですね。

 

 

 もう一冊のタネ本は「ドジャース、ブルックリンに還る」はブルックリンドジャースファンの喪失感を癒すファンタジー小説。。。なので、とーぜんフィクションなのですが、この種のフィクションこそ、ディティールのリアリティーがキモですよね。

で、この作品も、そーそーそー、熱烈ファンの心情ってこーだよなあ、と納得の鋭い心理描写が端々に溢れています。

「ド ジャースが西海岸へ移って30年、大リーグに異変が起きた。ドジャースを古巣ブルックリンへ連れ戻そうというのだ!その中心となったのは50年代の熱狂 的ドジャース・ファンの2人。球団を買いとり、計画は滑りだした。ただし戦力は最低のお荷物チーム、それでもブルックリンを、エベッツ・フィールドを目ざ して、二人の男の夢の旅はつづく。 」(amazon「BOOK」データベースより)

 

 

 

 

 

さて、その誕生以来ベースボールとニューヨークは相思相愛、ベースボール国の首都はずっとニューヨークでったのですが、わけてもヤンキース5連覇初年度にあたる1949年からニューヨーク・ジャイアンツとブルックリン・ドジャースが西海岸に移転する57年までは、特別な時代でした。

ここから長々と大引用大会となりますが、野球ソングとしての「想い出に乾杯」を理解するためには、ニューヨーク、ブルックリン・ドジャース、そのファンのビビット&熱い機微がとても大事なポイントになりますので、お付き合いください。

「アメリカ野球史」とゆー授業があったら、はい、ここ試験でるよー!ってトコです。

 

 

 

「幸運なことに私は、ニューヨークの野球ファンが心底いい思いをした時代の、まさに幕開けともいえる時期に、野球への恋におちている。
私が子供時代をすごした時期にあたる、1949年から1957年までの9シーズンは, ニューヨークを本拠地とする3つのチーム、ドジャース、ジャイアンツ,ヤンキースの黄金時代だったのだ。
私たちは毎シーズン、地元3チームのいずれかがワールドシリーズに出場するのをたんのうした。
この黄金時代に、ヤンキースはワールドシリーズを5連覇し、ジャイアンツはリーグ優勝2回、ワ-ルドシリーズ制覇1回という成績をあげている。
そしてわが最愛のドジャースは、ワールドシリーズ優勝を1回、リーグ優勝を5回、なし遂げてくれた。ただし,シーズン最終戦の最終イニングという,文字通りのどたんばで, 2回もリーグ優勝を逃すというおまけつきだ。
フリーエージェント制が生まれる前のことだから, スターティングラインナップは基本的に何年
間も固定されていた。だからファンは、ひとつのチームに忠誠を誓った。ひいきの選手が毎年,同
じポジションをキープしていたし 愛すべき癖やとんでもない悪癖を,またきっと披露してくれると
いう, 一種の安心感があったからだ。」 (来年があるさ)

 

そのニューヨークの3チームには、それぞれ特色があって。。。

 
「近所の野球狂は、ヤンキースファン、ドジャースファン、ジャイアンツファンの3派に分かれてい
る。
初期の移民たちが、民族的な結束をアメリカにもちこんだように、郊外の移民たちも,出身地によってひいきのチームを決める傾向にあった。ブロンクス出身はヤンキース、マンハッタン出身はジャイアンツ、そしてもちろん、ブルックリン出身はドジャースだ。
各家庭でも、ひいきのチームは父親から子供へと受け継がれ、チームの歴史的瞬間も、教会の祈祷書のようにくりかえし語られた。
やがて、チームとファンをまとめてパターン化する. じつにわかりやすいアイデンティティーが誕生した。チームの特徴とファンの性格をひとことで言いあらわす、おおげさで滑稽な愛称が生まれたほどだ。
ヤンキースの連中は、「ブロンクスボンバーズ」と呼ばれた。縦縞のユニフォームはエリートを象徴し、支持層は、'ウォールストリートの証券マンやお偉方のビジネスマンなど,もっぱら金持ちの人生の成功者たち。
ドジャース一派の愛称は、「デム·バムズ」。
バカなやつら、気取らない道化者、のニュアンスをこめた言葉で, ファン層は、下品な言葉を使うみすぼらしいブルーカラー、というイメージが強い。
ジャイアンツは、1919年の昔からストーンハム一族が代々受け継いできた保守的なチームだ。
ファンは中小企業のビジネスマンが多く、シャツにネクタイ姿で、スタンドから行儀よく観戦している。この連中のアイデンティティーはややあいまいで、「持つ者」のヤンキースと、「持たざる者」のドジャースとの、いわば中間にあたる。」  (来年があるさ)

ちなみにバムスのビジュアルイメージ↓(笑)


そのバムスファンから見たヤンキース。
 
「彼らはファシストだ」父はよく言い言いした。「血も涙もないファシスト以外の何者でもない」彼の言っているのはヤンキースのことだった。

それがーファシストという言い方がー彼らを名ざしするときの父の決まり文句だったが、私とボビーがその 言いまわしを覚えたのもそこからだった。

以来、生涯にわたり、私たちにとってヤンキースはファシストということになった。

たいがいのことについては父はものわかりがよかったが、ことファシストに関してはそうでなかった。

やつらは敵だ。やつらは庶民を毛嫌いしている。

金めあてに野球をしるにすぎない。

それに引き換え、ドジャースの選手はわれわれと似た者同士だ。

彼らは野球が好きでやっている。

彼らは地の塩であり、黒人選手にプレーを許しているが、ファシストどもはそうじゃない。

そして、ここまでくると、話は往年のドジャースの回顧談になるのだった。

(中略)

父はまだドジャースの話をしていた。「あのチームには人の心を打つものがある。負けたときでさえ感動させる。だからこそブルックリンの人間は彼らをこんなに愛しているんだ。
この区を牛耳っている根性曲がりの政治家たちの半分でも、あの野球選手たちのような頭をも
っていたら,われわれはもっと暮らしやすくなるんだがね」 (ドジャース、ブルックリンに還る)

 

ちょっとベイスターズファンからみた巨人軍みたいですね(笑)

続いてホームグラウンド、エベッツフィールドの描写。

 

「それは夜の闇のなかに黒々と孤独に立っていた。見れば見るほど美しい球場だった。それが
まるでキャンディ·ストアか学校のように、さながら友人のように、身近な場所に立っているのだ。

じっさいそこには、エベッツ·フィールドには、人格があった。」 (ドジャース ブルックリンに還る)

 

世界中どこの野球ファンもフランチャイズ球場に対する想いは特別なものがあります。

続いて「来年があるさ」のエベッツフィールド描写。

 

スタジアムへ通じるトンネル状の通路を歩きながら,父は私に予告した。
「いいか!もうすぐ世界一きれいなものが見えてくるぞ」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに......ホントだ見えてきた!
赤茶色のダイヤモンドと、信じられないほどきれいなグリーンの芝生と、空席などひとつもなさそ
うな超満員のスタンド。
私は本能的に父の手をつかみ、ホームプレートとファーストのあいだの席に向かってゆっくりと
歩いていく。
グラウンドに近い席だ。選手たちが走ってポジションに向かいながら交わす会話が聞こえるし、ウ
エイティング サークルで次の打席を待つ選手のジェスチャーや癖までが、手にとるようによく見える。
居心地のいい小さなさな球場のことだから,そういう席はごまんとあったのだ 。 (来年があるさ)

 

相手バッターが三振してダグアウトに引っこめば、『ウジ虫が出たり入ったり』をかなで、選手がベ
チにすわったとたん、大太鼓をドーンと打ち鳴らす。敵のピッチャーがリリーフ投手に交代させら
れば、『誰かに場所を奪われた』というセレナーデで、マウンドを去る投手を送り出す。
こういう悪ふざけに、対戦相手がイライラをつのらせればつのらせるほど、ドジャースファンの仲間意識は高まって、エベッツ·フィールドに行った思い出が、忘れられないものになる。(来年があるさ)

 

愛ですねえ。

文章の隅々から、エベッツフィールドとバムスに対する愛が、にじみ出ています。

その愛するドジャースが1955年に遂にワールドシリーズ初優勝します。

それまでは、リーグ優勝はしても、最後の最後に悉くファシストに煮え湯を飲まされ続けたバムスが、そのヤンキース相手に最終第7戦を制してのワールドシリーズ制覇!

嬉しかっただろーなー。

 

1898年に、ブルックリンが誇り高い歴史と独立の立場を捨て、ニューヨーク市に併合されて以来
ブルックリンっ子たちは、マンハッタンの陰で肩身の狭い思いをしてきた。
この年(1955年) の3月に、ブルックリンの誇る日刊紙『ブルックリン·イーグル』
が廃刊を余儀なくされたときには、”二流市民 の烙印を押されたような屈辱感さ
え味わった。
しかし,今夜は「ブルックリンの夜」だ。マンハッタンではなく,ブルックリンが世界の中心なのだ。
ドジャースファンは,「来年があるさ」となぐさめ合う必要がなくなった。ワールドチャンピオン
の栄冠を、今年こそ手に入れたのだ。 (来年があるさ)

 

ところが、悲願のワールドシリーズ制覇からわずか2年後、チームはブルックリンを去り、ロサンゼルスに移転してしまいます。

 

1956年にも、ドジャースはリーグ優勝をなし遂げたが、この年は不穏なシーズンだった
夏のあいだに、チームの将来が危ぶまれ、間近な優勝の喜びに水を差すような事件が起こっ
だ。
8月、ドジャースがワールドシリーズに向けて優勝街道をばく進していた。その真っ最中に
オーナーのウォルター·オマリーが爆弾発言をして、街じゅうにショックの嵐を巻き起こしたのだ。
ニュージャージー州のジャージー·シティで、ドジャースが7戦か8戦の"ホームゲームを行うことを,ナ·リーグ本部が許可した、という。
これはとりもなおさず、オマリーがドジャースの新しい本拠地探しを始めたということだ。
チームの目覚ましい成績とは裏腹に、エベッツ·フィールドの観客動員数が、年々、減少の
たどっているのは事実だった。 

  (来年があるさ)

 

評論家たちは、エベッツ·フィールドは古すぎる、狭すぎる、と文句ばかり言っている。中流家庭は
次々に郊外へ移り住み、貧しい黒人やプエルトリコ人ばかりがあとに残されて、球場周辺の環境が
急速に悪化しているのはたしかだ。
郊外居住者となった人々は、夜にわざわざ物騒な街へ出かけていくよりは、テレビで試合を観戦す
るほうが安心だと思いはじめている。だいいち、駐車場にたったの700台しか車を収容できない球場が、今のご時世に生き残れるわけもない。
私個人としては、エベッツ·フィールドの悪口は聞きたくない。あの古い球場が大好きなのだ。ド
ジャースがほかの場所に引っ越してしまうなんて、想像するだけでもいやだ。 

 (来年があるさ)

 

いま思えば,野球が変化のときを迎えていたのだ。
ファンが同じ街の同じチームを応援できた時代、すなわち, 50年にわたる”安定期が終わった今、
大リーグの3つのチームが,次々によその土地へと引っ越していった。収益を上げるために、長年の
ファンを捨てて。
ボストン・ブレーブスがその先陣を切って1953年にミルウォーキーに移った。

翌年、セントルイス・ブラウンズがボルチモア さらにその翌年, フィラデルフィア アスレチックスがカンザスシティ・アスレチックスに変わった。
どのオーナも、みずからの決断を経済的事情と正当化しているが、こうした移転は、その後,
国民的娯楽に商業的打算がずかずかと入りこむ,まぎれもない前兆だった。
1957年。ブルックリン ドジャースがファンを裏切る兆しは ますます濃厚になってきた。
ついにオマリーオーナーが, ニューヨークを離れてロサンゼルスに行くかもしれない と言い出
した。 

 (来年があるさ)

 

いくら嘆願書を山のように提出しても、長年のファンの気持ちや伝統をいくら引き合いに出してもオマリーの決心をくつがえすことはできなかった。
ロサンゼルスが彼に、300エーカーの一等地を提供するばかりか、球場への交通を確保するため
に、市の予算500万ドルを投入して新しい道路を建設する、と約束したからだ。

 (来年があるさ)

 

2012年、13年と、わが溺愛の横浜ベイスターズがあわや横浜から移転してしまうという危機を体験してるので、ほんと身につまされますねえ。。。

そして涙なしには読めない、一番悲しい場面。

ブルックリン・ドジャースの

エベッツフィールドの

最後の試合。

 

1957年9月24日火曜日の夜、ドジャースはエベッツ·フィールドで最後の試合をおこなった。
ドジャースがこの球場で二度とプレーしないのは、周知の事実にもかかわらず、ドジャースは、公式な送別会を故意に設けなかった。その結果、球場に足を運んだファンは7000人にも満たなかった。
それが一層、よるべのない寂しさをつのらせた。
デューク·スナイダーがのちに、こう回想している。
「照明が故障しているのかと思ったよ。まるで、たそがれの光の中で試合をしている感じだ。
キャプテンのピー·ウィー·リースが,チームメイトたちをグラウンドに導くのもこれが最後だ。
ドジャースは2対0で勝ったが、喜びはなかった。

リーグ優勝したミルウォーキー·ブレーブスに10ゲームも水をあけられて、ドジャースは結局3位に終わっている。
オルガン奏者のグラディス グッディングが、しっかりとした演奏で最後の試合を誇り高く締めくくろうと、彼女なりに努力した。
ノスタルジックな曲のメドレーだ。

ドジャースが1点を入れたときには、『あなたは憂鬱』と『あなたが去ったあと』を、2点目が入ったときには、『私が去る理由を聞かないで』を演奏。

最終イニングにさしかかると、『思い出をありがとう』、『夜のブルーが朝のゴールドに変わるとき』,さらに『ケセラセラ』を,そして最後のアウトがコールされたときには、『あなたに神のご加護がありますように』を選んで弾いた。
ところが, ファンに対する彼女のささやかな心配りは、ドジャース首脳陣の野暮な行為で踏みにじ
られた。

試合終了後のいつものテーマ曲『ドジャースにドンとついてこい』が、スピーカーから流れてきたのだ。
しかし、最終的にはミス・グッディングに軍配が上がった。

19年間、オルガン演奏によってドジャースを支えてきた彼女が、今日の日を自分なりに締めくくろうと決心したからだ。
『蛍の光』のイントロがグラウンドに流れはじめると、ファンたちはいっせいに立ちあがり、腕と
腕を組んだ。

手放しで泣いているファンも、そこかしこにいる。
やがてひとりずつ、または小さなグループを作りながら、最後の観客がスタジアムから姿を消した。
彼らの背後で、エベッツ フィールドは永久にその扉を閉じた。

 (来年があるさ)

 

泣けますねえ。。。何度読んでも胸が痛い。

そして、このエピソードに登場した「蛍の光」は、「想い出に乾杯」のイントロにつながるのですが、

その件はひとまず置いておいて、引用を続けます。

 

 

こいつは、金のあるやつならだれでもロングアイランドへ逃げ出せるように、 ロバート・モーゼズがブルックリンから外へつづくハイウェイ建設したときにはじまったパターンと軌を一にするんだ。

あの道路のおかげで古い近隣のよさが台なしになった。

ついで,オマリーがドジャースの本拠を移した。

ブルックリンが怖くて逃げ出したがっている人間が大勢いたとしても、やつほど肝っ玉の小さいやつもいない。
尻に帆をかけてはるばる太平洋まで逃げていったんだからな。

 (ドジャース、ブルックリンに還る)

 

 

われわれが野球に必要としているものは共感です、それが真実だ、ゲームや、選手たちや、なかんずく精神的にも道徳的にもチームを所有する共同体への共感なのだ。

かつてそのような共同体が存在したことがあった。

その名をブルックリンと言ったが、私に言わせれば、そのような人々が自分たちのチームを奪われたとき、野球は魂を失ったのです。  

(ドジャース、ブルックリンに還る)

 

ブルックリン·ドジャースのファンの心の中で、オマリーは「歴史的裏切り者」の列に名を連ねる
ことになった。

古くは、キリストを裏切ったイスカリオテのユダ,独立戦争でウエストポイントを敵に売り渡そうとしたベネディクト·アーノルド、そしてウオルタオマリーだ。

ドジャースのオーナーを模した人形が、ブルックリンのあちこちの路上で燃やされた。
すべてが終わった。
 (来年があるさ)

 

 

そんなわけで、1957年ドジャースとジャイアンツは西海岸に引っ越しました。

ブルックリンの野球ファンは、これから先どーやって野球と付き合ったのでしょうか?

ニューヨークに残ったのは、よりによって、にっくきヤンキースのみ。 

 

あなたならどーしますか?

 

裏切り者(と思わずにいられない)ロサンゼルス・ドジャースなるチームを応援する?

すくなくともホームゲームは球場で観ることもできないチームを。

二股かけられて手ひどくフラれた異性に文通を申し込むよーなもんですよねえ。。。

さんざん“ファシスト”呼ばわりして目の敵にしてきたヤンキースを応援する?

野球なんか観なくなる?

。。。。うーん。。。。

 

今でも、著書のPRや講演のために旅行すると,行く先々で、かつてのドジャースのファンや、「父がドジャースのファンだった」という人たちに出くわす。

彼らは一様に,ブルックリン·ドジャースの愛好者たちが過去に共通して味わった、苦痛と喜びの入り交じる複雑な思いを、昔話をしながらわかちあおうと、熱心にもちかけてくる。

 (来年があるさ)

 

私の個人的な喪失感は、時間と様々な出来事のおかげでずいぶんやわらいだ。

しかし、オマリー.オーナーの裏切りに対する怒りだけは、どうしても消えなかった。
<コルピーカレッジ>時代も、<ハーバード大学>-の1年生だったころも、野球を断固拒否しつづけた。『ロサンゼジャース』だか、『サンフランシスコ·ジャイアンツ』だか知らないが、そんな訳のわからないチームの成績が載っているスポーツ欄は、さっさと飛ばして読んだ。

 (来年があるさ)

 

「私たちはともに二十五年近く彼らのことを無視した。彼らがロサンジェルスくんだりへ出ていったことを憎み、連中はもはやドジャースですらないのだというふりをした。」

 (ドジャース ブルックリンに還る)

 

結局、ドリス・カーンズの結論は、ベースボールに一切近寄らないとゆーものでした。
そして十数年の後、ボストン・レッドソックスにかつてのブルックリン・ドジャース的な何かを見出し、ボールパークに復帰します。
そんなに長いこと野球絶ちできるかなあ。。。。
熱烈野球バカの僕には無理ですね。
火・火・水・木・金・土・日♪野球のない月曜日なんかなければいいのにってクチですもん。
“贔屓チームより野球の方が大きい”と、時たま嘯いてみたりしますが、口だけです。
贔屓チームなしにスポーツ観戦するのって、難しいですよねえ。
オリンピックの突発性ナショナリズムや、高校野球に都市対抗なんかの人気は、競技そのものの魅力だけでは説明つきませんもん。
我が溺愛のベイスターズが新潟に移転か?とゆー時期、スワローズやマリーンズファンに鞍替えすることを3秒想像してムリっ!!!となりましたもん。
。。。けど、いたでしょうね、口にこそ出さねど、ベースボール禁断症状に耐えかねて、ヤンキースに鞍替えした人。
或いは、ロサンゼルスに行ってしまってからもドジャースを応援し続けた人。
もう野球なんかに興味ないって公言しながら、熱心な野球ファンであり続けた人。。。
この人たちにとって、1963年のワールドシリーズ第3戦は強烈なトラウマ体験となってしまいます。
そして、その試合の主役こそ誰あろう「想い出に乾杯」最重要人物ドライスデール投手なのですが。。。。

すんません。。。

なんか、この先の全文を入れると、アメブロ規定の容量を超えちゃうらしく、うまくアップできません。

きっと、やり方があるんでしょーが、そっち方面に極めて昏いおじさんは、2回に分けるとゆー一番イージーな選択をしちゃいます。

なので、またも尻切れトンポの次回に続くの巻。

仕事も休みなので明日、続きをアップしますので、よろしかったら、また遊びに来てくださいな。

 

 

 

 

 

 





 

遅ればせながら「キングコング 髑髏島の巨神」を観て参りましたので、手短に感想を述べます。。。
ウッハーウハウハウッハッハァア~❗
ウッハーウハウハウッハッハー‼
ヒヤッホー‼‼‼‼


http://www.nhk.or.jp/curling/
うーむ、惜しい戦いでしたねえ。
カーリング男子日本代表は、大事なトコで、アメリカ代表に敗れました。
なんとか盛り返してオリンピック出場を勝ち取ってもらいたいものです。。。と、解説敦賀さん口調になっちゃうくらい、観ちゃいますねえ。。。カーリング。
野球は、今でも声がかかれば草野球に参加しますし、サッカーも、バスケも、ラグビーも真似事ならやったことがある。。。と考えたら、僕が熱中観戦するスポーツの中で真似事すら経験のないのがカーリング。
あれが、どれくらい難しいことやってんのか、見当がつかない。。。だけに、「あの石をあーして、こーして。。。」なんてことがむしろ無責任に言えたりする(笑)
で、素人なりにあのストーンをあーしてこーしてと考える間があるのが、カーリング中継の楽しいトコですね。
しかし、カーリング中継の中毒性を最も高める要素は別にあります。。。

えー、唐突ですが、カジノのギャンブル種目といえばは、ポーカー、ルーレット、ブラックジャック、クラップス等色々ありますが、その中でも一番の大金が動くのがバカラ。
クジラもしくはハイローラーと呼ばれてる、とんでもない金額を賭ける人の専攻種目は、ほぼ例外なく、バカラだそーです。
10億円以上の借金を残して失踪した元狛江市長もバカラ、ハマコーが一晩に四億六千万円スッたのもバカラ、大王製紙前会長が106億円溶かしたのもバカラ、伝説の大富豪ギャンブラーケリー・パッカーがラスベガスのグランドMGMホテルで一晩に30億円勝ったのもバカラ、もーみーんなバカラ、そんなバカラ!
ご存じない方のために説明致しますと、バカラってゆーのは日本の「おいっちょかぶ」にチョイ似のカードゲームです。
で、カジノのバカラには二通りの方式があって、1つがミニバカラで、もう1つビッグバック(ビッグバカラ)とゆーヤツなんですが、上記の常軌を逸したギャンブルき◎ガイを含む、ほぼ全てのクジラ達は例外なくビッグバックがご専門だそうです。
じゃ、ミニバカラとビッグバックとでは何がどー違うのかと言えば、
実はたった1つ、カードが表向きに配られるか、伏せた状態で配られるか、とゆー違いだけ。
ミニの方は表向き、大金の動くビッグは伏せカード。
で、「しぼる」(スクィーズ)とゆーんですけど、大金を賭けた本人が絞るよーにカードをちょっとづつめくってゆくわけです。
気合いを込めて、念力を送りながら、縦にゆっくり。。。オープンするかと思いきや、もう一度伏せて、今度は横からゆっくり絞りあげて。。。なんてーことを「カモーン‼」とか「チョイヤー‼」とか「そら来い❗」とか英語、中国語始め色んな言語の色んな掛け声を発しながらやるんですね。
大の大人が、顔を真っ赤にして。
馬鹿ですねー、カードが配られた時点で結果は確定してるんだら、さっさと捲ればいーのに。。。どんだけ気合い込めても、その結果はかえられませんから(笑)。。。と、思った貴方、おめでとうございます❗貴方がギャンブルで破産することは、絶対ありません。
反対に、わかるなあ〜その感じ!とゆー貴方!お気を付け下さい、一歩間違えると大金持ちになっちゃいますよ(笑)
畏れながら、
祈りながら、
念じながら、
ゆっくりゆっくりカードを絞る。
望み通りの良いカードを引き当てた瞬間、快楽物質が大量に分泌して脳ミソ溺死、しまいには失禁するひともいるとか、いないとか。
いやあ、わかるなあ。。。つまり、僕にも、失踪した狛江市長と同じ資質があるとゆーことかも。。。。

で、カーリング。
あの氷の上を滑っていく石の速度、スポーツにあるまじき遅さだと思うわけですよ。
あんなにゆっくり動く物をずーっと観てるスポーツ観戦、他に思い浮かばない。
まるでスローモーション。
スローモーションて興奮しますよね。
ほら、「マトリックス」でキアヌ・リーブスがエビ反って銃弾を避けるトコ、あれ、スローモーションだからこそアガる訳ですよ。
スポーツで言えば、ホームランやゴールの瞬間をスローモーションで見るの、アガりますよね。
でも、あれは確定された過去を振り返ってる訳で、カーリングのあのスローな石は、live、まだ確定されてない未来に向かって現在進行形で氷の上を滑っているんですよ。
興奮しちゃうなあ。
もちろん、選手達は、石がゆっくり動いてる間、その進路を掃除のオバチャン100人分の運動量で掃いてますし、それはバカラのカード絞りに比べたら遥かに科学的根拠のある動作なんですけど、TV観戦してるこちら側としては、畏れ、祈り、念じるのみです。
ええ、我ながらバカラことだと思いますが、バカラでゆっくりカードを絞るのって、こんな感じかなあ、と、チラッと思ったりしたのですよ、寝不足でボーっとした脳ミソで。
えー、つまり何が言いたいかとゆーと、誠に不謹慎ながら、大金を賭けてカーリング観戦したら、さぞや興奮するだろーなー。。。とゆーことに、ジャイアンツ選手一同が気付かないことを切に祈りますとゆーことです。
なんだそれ(笑)

 

 


リンクは、僕がカーリング観戦にハマった長野オリンピック日本VSアメリカの死闘のクライマックス。
今はTV解説で「〜していただきたいものです。」とゆー丁寧なフレーズで独特の味わいを醸す、日本代表スキッパー敦賀 信人の「生涯最高の」ラストシヨットを巡る攻防です。