…すると答えは直ぐに見つかった。
時の流れは残酷だ。そのインタビューの収録日は2000年11月28日。4年後ゼロワンはあっけなく消滅し、橋本はいま一度自身の人生を始めることになる。
2004年11月25日正午 ホテルインターコンチネンタル東京ベイ4階「アムステル」
大谷、高岩らゼロワン所属選手がバタバタと駆け込んで来た。彼らはこの日の夜後楽園ホールで試合を控えており、自分たちの団体の活動停止が発表されることを誰も知らなかった。(橋本から正式に知らされたのはなんと会見の30分だったという)橋本
「有限会社ゼロ・ワン代表取締役としての橋本真也は、ここにZERO-ONEの活動停止をみなさんにお知らせいたします。」
この日から橋本は経営権を放棄、一億円を超える負債額は全て橋本本人が被ることに。そして橋本を除く全所属選手・社員は同月30日付で解雇となり、有限会社ファーストオンステージを母体として「ZERO-ONE MAX」が立ち上げられた。
もう後戻りはできないのか…
袂を別つことになった橋本と大谷の握手でこの会見は締めくくられた。そして大谷のプロレスの教科書には新たな1ページが刻まれた。「いろんな人生あるだろうけど、自分の決めた道が真実である。」
そして12月15日号発行の週刊プロレス、表紙には「崩壊・創造・誕生」の文字が記されていた。
続く