風向きが変わってきたのはPRIDEの運営がKRSからDSEへ移行した99年からゼロ年代はじめの頃である。小川が(橋本も)嫌悪していたのはPRIDEの怪人こと百瀬氏。猪木のポエム集をプロデュースしたりPRIDEのエグゼクティブプロデューサーに祭り上げたりと、猪木の行動の裏では百瀬氏が糸を引いていたといわれているが、そんな百瀬氏にコントロールされる我が師の姿を見るに耐えなくなった小川はDSEから、そして猪木から徐々に距離を置きはじめた。同じ頃、新日本の現場とも折り合いがつかず宙ぶらりんな存在となっていた小川だったが、かつての抗争相手であり自身が最も信頼を置いていた橋本真也のゼロワンに馳せ参じる事となり、猪木イズムとはまた違ったプロレスの味や懐の深さに触れる…
これまで大会場でしか試合をしてこなかった男がようやく目にした地方巡業の光景?土地土地の熱、おらが村にやってきた大物小川を間近で見れるファンの熱い視線や歓声、日米対決の妙、そしてOH砲。これまで殺伐とした印象しかなかった小川のファイトスタイルが徐々に変化していったのがこのゼロワン時代である。柔道由来の巴投げを披露したり、ザ ・プレデターにチェーンで絞首刑にあうなどプロレスに溶け込んでいった。(と同時に圧倒的な圧や怖さも半減していったのだが)こうして橋本と共に巡業をまわるうちに小川が本来持っていた思考性が徐々に現れ始めた。その最たる例がゼロワンUSAに登場したハルク・オーガンか。そう小川は元来アメプロファンでもあったのだ。
小川を取り巻く環境は目まぐるしく変わっていったが、ハッスル始動において、小川はこれまで猪木や橋本に遠慮して抑えてきた部分をいよいよ曝け出す時が来た。と考えていた節がある。DSEとゼロワン、小川の間を取り持っていた当時紙のプロレス編集長山口日昇の存在も大きい。彼はDSEの資本を投下することでゼロワンUSAの世界観をさらに拡張して開く世間に打って出れるのではないか?とも考えていた。この機会を逃す手はない。小川に新しい世界観を構築するチャンスが今やってきたのだ。メインイベント直前。控え室で入念にシャドーを繰り返すゴールドバーグ。そこへマネージャー気取りの高田が声をかける。
「heyビル!どうやって小川を倒すんだい?」