星がきれいですね。 番外編 | 珈琲にハチミツ

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悲劇の大晦日となった2003年12月31日。止めることのできない新日本崩壊を決定的なものにしたその日は、別の見方をすると新日本の世代交代を一気に推し進めたとも言える!

2002〜2003年の新日本は永田裕志が中心であった。橋本真也の跡を継いでIWGPヘビー級最多防衛記録を打ち立てた永田だったが、流石に2年連続お茶の間で醜態を晒してしまった以上、もはや玉座に座ることは許されない。だが永田の他にシリーズの柱を担う人材はいるのだろうか?闘魂三銃士で唯一残留していた蝶野はコンディションが優れない。永田と同世代の天山や中西では集客力に難がある…ここで後年、悪名高い外敵(高山、みのる、天龍、健介、ジョシュ、サップ、藤田等)中心のマッチマイクと呼ばれる土下座外交が花開いてしまうわけだが、ほんの僅かだが希望も残されていた。(いや当時はそれが希望と言っていいのかどうかも半信半疑であったが。)
その希望とは、アレクセイ・イグナショフの膝蹴りの餌食となり、永田と同じく大晦日に傷物にされてしまったもう一人の戦犯・中邑真輔である。

アントニオ猪木の後継者、選ばれし神の子とそれはそれは大層な触れ込みを付けられながらもあまりファンに支持されていなかったこの男が、キングオブスポーツといった説得力ゼロのお題目を掲げることなどおこがましい程骨抜きになってしまった新日本プロレスを救った。

2004年1月4日東京ドーム

奇しくもIWGPとNWFの統一戦となった中邑真輔対高山善廣の一戦は、これがタイトルマッチなのか?と耳を疑うほど静寂の中、試合開始のゴングを聞いた。それほど皆冷め切っていたのだ。やるせない空気が充満するドームのメイン。

が、徐々に中邑の身を削るような本気の闘いぶりが見るものを惹きつけていく。
イグナショフ戦で負った傷は深い。鼻の骨が折れているにも関わらず高山に食い下がる中邑、そして高山もここで容赦するような甘い男ではなく、当然のようにボロ雑巾のように叩きのめされることになる中邑。
とにかく凄惨な試合だった。中邑はまさに肉を切らせて骨を断つ。を体現するような捨て身のファイトでなんとか勝利をもぎ取ってみせた!

しかし、ある意味戦犯の烙印を押された者の勝利に手放しで喜べない場内。すぐ様重苦しい雰囲気が充満する。だがK-1に交渉の末無効試合となりイグナショフとの再戦の抱負を訊かれるとなんとも頼もしい言葉が飛び出した。

「ケツは自分で拭くんで!」
「今日はどうもありがとうございましたァ!これからも、新日本プロレスはファンに、夢と希望を与え、ますます強くなっていきます!よろしくお願いしまあす‼︎」

…このマイクに救われた。中邑の嘘偽りのない言葉によって新日本に光が差したように感じた。

数ヶ月後、中邑は有言実行を果たす。生涯の師匠ともいえる雀鬼・桜井との出会いを経て、心身共に仕上がってきた中邑は見事にイグナショフに雪辱。それだけじゃない。(この後しばらく迷走期に突入してしまうのだが)高山とミルコから受けた膝蹴りを見事自分の中で昇華して必殺のボマイェを習得し、新日本暗黒期と決別すべくアントニオ猪木にリング上で宣戦布告するに至る。

2009年神戸大会のタイトルマッチ後
「猪木ーッ‼︎旧IWGPのベルトは俺が取り返す!時代が変われば、プロレスも変わります。付いてくるやつは、付いてきてください!」


…結果この中邑の仕掛けは新日本内部で総スカンを喰らいしばらく中邑自身も半ば干されてしまうような事態に陥ってしまうが、この頃棚橋が完成させつつあった脱・ストロングスタイルの形態は加速度を増し、気がつけば棚橋、中邑、真壁、後藤(?)を中心としたかつて暗黒期には箸にも棒にもかけられなかった若手が新日本の屋台骨に成長していた。

ゼロ年代初頭に我が物顔で新日本を蹂躙していた鈴木みのるは2011年に久しぶりに(2010年まではノアや全日本がみのるの主戦場だった)新日本へ参戦した際に率直な感想を述べている。

「…ここの若手は成長していたよ!強くなったよ!」