星がきれいですね。その1 | 珈琲にハチミツ

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ハッスルが始動した翌日の全日本プロレスの武道館大会に、忘れられつつあった存在…白覆面の男が突如現れた。その男はマイクを持ち甲高い声でこう叫ぶ。

「全日本プロレスファンの皆さん、目を覚ましてください!」
白覆面の正体が小川直也であるのとは間違いない。しかし、かつて1.4時変で物議を醸したあのマイクを安易にセルフコピーする小川と、それを歓声でもって応えてしまう会場の雰囲気を見るにつけ、もはやゼロワンと全日本プロレスの対抗戦にはヒリヒリとするような緊張感は感じられなくなっていた。開戦より約一年、そろそろこの抗争にピリオドを打たねばならない。決戦の舞台は12月14日の両国国技館大会。ゼロワン恒例の年末ビックマッチである。

橋本の肩の負傷が癒えない今、宙に浮いてしまった三冠戦線を棚上げにしてもう一つの温存されていたカード、小川と川田のシングル対決をついに切る時が来た。というより、すでにゼロワンには国技館級の弾が少なくなっていた。この一年で気がつけば自前でビックマッチを担えない状況に陥っていたのだ。橋本はどこかなし崩し的に始まったWJ…長州軍を迎え撃つ(試合形式は当日発表)ことが決定しており、改めてOHの真価が問われることになる。


時をほぼ同じくして12月9日、新日本プロレスではルーキー中邑真輔が天山広吉から金星をあげてIWGPヘビー級王座初戴冠!時代が大きく動き始た。だがその向かう先が暗黒の時代であることにこの時点で気づく者はいなかった。年の瀬にDSE、K-1、そしてアントニオ猪木によってテレビ局の視聴率合戦を背景にした大晦日興業戦争が勃発。関わった者達や駆り出されたファイター達は大いに翻弄され、ついにマット界は荒野と化す。


…ここで一旦話を少し整理してみたい。そもそもプロレスは日本プロレス創立以来、力道山の卓越した戦略によってテレビ局と二人三脚で発展してきた。その関係性はアントニオ猪木とジャイアント馬場の時代にも引き継がれ、それぞれの団体は観客動員のみならず、新日本プロレス=テレビ朝日、全日本プロレス=日本テレビの視聴率をめぐる代理戦争の様相を呈していった。その最たる例はアブドーラ・ブッチャー、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディらトップ外人の引き抜き頂点にした仁義なき企業戦争であった。だが結果的に長州力率いるジャパンプロレス勢の全日本参戦〜空中分解を経て新日本Uターンを最後に(UWF誕生という余禄もあった)事態は収束し、皮肉にも話題優先に端を発するこれはのゴタゴタは両看板の視聴率下落といった結果をもってプロレスとテレビ局の蜜月関係は終わった。

しかしながら、以後プロレスはテレビに依存しなくても成立できることを自ら証明してみせた。新日本はドームやG1、全日本は四天王プロレスを軸に再び黄金時代を築き、90年代は多団体時代に突入。それぞれがテレビ局を後ろ盾にしなくても興行を打っていけるという昭和になかった新しい光景がそこに広がっていた。

と、かなり駆け足で振り返ってまったが90年代後半からゼロ年代にかけてはさらに様相がガラリと変わる。メディア復権と同時進行で格闘技ムーブメントがマット界を席巻!K-1ブームを皮切りにPRIDE、さらにアントニオ猪木プロデュースのイノキホンバイエがその最たるものである。とはいえ、ある部分では -そもそもなぜ大晦日に?という疑問は置いといて- 大晦日にゴールデンタイムで格闘技をお茶の間で見れることはそれはそれで贅沢な話にも捉えるとができた。その時が来るまでは。。


続く