泣き虫
スポーツライター著作による高田延彦の半生を綴ったノンフィクションである。高田は引退後にPRIDEの統括部長の肩書きで、いつの間にかフェードアウトしていたアントニオ猪木(その理由は同年大晦日の興行戦争によってPRIDEもとよりDSEとの確執が表面化する。)にとって代わって興行を盛り立てていた。かつてのUの同胞、前田日明や藤原喜明のプロレスへの想いと比較するに高田のそれはいたってドライであり、時には怨念めいた感情すら覗かせる時もあった。
そして「泣き虫」が世に出たことで、いよいよ高田はプロレスそのものと決別する時がきたのだと思われた。というよりも高田よ、もうプロレスと関わらないでくれ!といった方が正直なところであった。
だがしかし、同年12月に有り得ない事態が発生する。
12月4日 ハッスル1開催記者会見なんとDSEがゼロワン全面協力のもとに新しいプロレスイベントを発足させたのだった。会見の席上でハッスル1とPRIDE大晦日興業の開催日程を巡っていざこざを起こす小川と榊原社長。しかし、そのあまりにも都合の良過ぎる展開に早くも暗雲が立ち込める。。
事の発端は遡って1年前のW-1、DSE側が招聘していたビル・ゴールドバーグの選手契約があと1戦残っていた事であった。それでは契約金だけ払ってオジャンにしないでもう1試合組もうじゃないかと、ゴールドバーグ招聘の延長上に企画されたのがハッスル1である。さらにその裏では、暗躍する一人の男と、DSEのもうひとつの理由が存在した。
「…OH祭りあたりから水面下でハッスルが動き始めました。懐かしいなぁ。小川、橋本、高田延彦中心に話をしていって、高田延彦は最初は嫌がってたけどね。プロレスに関わること事態嫌がっていた。」
「…DSEの思惑としてはとにかく小川をPRIDEに引っ張り出したい。言葉は悪いけど引っ張り出すためのエサとしてハッスルをやるんだ、と。実はそれがDSEの最大の目的だった。」
元・紙のプロレス編集長 山口日昇談
相変わらず多方面に舵を切るゼロワンであったが(日米対決、対アパッチ、対全日本、対WJ)、ゼロワンだけではない、いよいよマット界の磁場がとんでもない方向に進み始めた。2003年の12月以降、マット界はその景色をガラリと変えることになる…!
続く