何を今更と言われるかもしれないが、WJが旗揚げされた背景には、栄光の90年代を新日本にもたらしたブッカー、長州・永島コンビの退団が起因となっている。ゼロ年代に突入後、業績不振の責任をとらされる格好で団体内の隅に追いやられていた両者は、後ろ足に砂どころか糞をぶッかけるように退団。長州の腹心である越中、保永、愛弟子の健介も程なくして後を追う。
※WJはその後健三、馳、天龍、大森と濃い面々が集結した。
2001年の橋本らゼロワン勢の離脱を皮切りに、武藤全日本勢、さらに長州らWJ勢と年々選手が離脱する一方の新日本の中で、最も頭を抱えていたセクションがマッチメイクである。
長州・永島コンビが退団後のマッチメイクは合議制によって決められていた。永島曰くトロイカ制だ。
「『東京ドームでノアの秋山を使います、これはGHC選手権にします』って。俺は『何でそんなマッチメイクするんだ、バカ野郎!新日本が勝てるわけねえじゃねえか。もう好きなようにやれば』って辞めたんだよ。-中略- 要はね、プロレスのオタク。でもオタクがマッチメイクしたら絶対うまくいかないの。プロレスが好きだからとか、こういうカードが観たいからとか、それで商売になるという問題じゃないのよ。そういう感覚でやってたら、絶対にマッチメーカーは務まりませんよ。そういうのが今もずっと続いてんじゃないの(苦笑)」
カ、カテェ!
…当たり前の事かもしれないがカード編成はプロレス団体の肝。魅力的な対戦が組めないのなら客足はどんどん遠のくばかり、日々の巡業の不振は悪化し、そこに輪をかけてグレートムタを代表に好調だったグッズや映像販売も大打撃をうけている。とはいえそれでも国内No. 1の規模を誇る新日本、この大所帯を維持するためには一発逆転を狙い続けるしかない。これまで何度も団体のピンチを救ってきた東京ドームを超満員にするほどの刺激に満ちた興行が実現できれば…
あの伝説の10.9が首脳陣の脳裏をよぎる。誰もがかつての栄光、新日本が天敵Uインターをリング上で圧倒し、興行面でも最大動員数レコードを更新した一夜を忘れることができないのだ。
この時にはじまったことではないが、新日本のカルテには「メジャー病」という消える事のない病が書かれている。そもそも新日本は総合や立ち技勢よりもはるかに観客を動員していた。生粋のファンも格闘技なんかそんなの1時のブームさ♫とタカを括っていた節があったのだが…気がつけば話題性、試合内容、動員数などあらゆる面で遅れをとっていることに気がついた頃には全てが遅すぎた。
感情はどんどん屈折していく、過去の優越感と現在の劣等感が入り混じった感情だ。前述した興行面の焦りと、それとが複雑に絡み合い、最終的にたどり着いた結論が「アルティメット・クラッシュ」。純プロレスと総合を一つの興行内でぶつけ合うというとんでもない企画である。
…続く