禍福は糾える縄の如し…か。
1月9日、PRIDEを運営するDSEの森下社長がホテルの浴室で謎の死を遂げる。翌月の2月3日、年末に脱税の容疑をかけられていたK-1石井館長が証拠隠滅教唆容疑で逮捕。以降この二大スキャンダルを引き金にPRIDE・K-1両陣営は崩壊へのプロセスをゆっくりと歩みはじめる事となる。
さらにリング上でも事件は続く。3月30日のボブ・サップ対ミルコ・クロコップ
試合結果は1ラウンドTKO。
ミルコの左ストレートによって一撃の元に葬られたサップ。前年MVPを受賞した時代の寵児、中西学、グレートムタに連勝し大晦日では高山善廣さえ歯が立たない程勢いに乗っていたのだが…つくづくミルコという男はプロレス界の天敵である。あれほどメイン格に祭り上げられていたサップをいとも簡単に沈めたことで、世間的(非・プロレスファン)には再びK-1・ミルコの存在がプロレスの上位概念として植えつけられてしまった。
※蛇足
未だにリベンジ戦の表明をしないIWGP王者・永田裕志に苛立ちを隠せなくなってきたのもこの頃である。実現するしないは別にしても、リベンジを果たす意思を永田から、あの悪夢の時から一度も感じとる事ができない。いくら団体内で防衛記録を重ねても、ストロングスタイルを旗印として掲げている以上はプロレス内プロレスで済まされてしまう。世間には響きにくい新日本の悲しい宿命がそこにあった…
ところが後にその「K-1」が大問題となってくる!
ミルコがDSEに引き抜かれる事件が発生。ここから両陣営(後に+アントン)の仁義なきドロ沼抗争が繰り広げられる一端となってしまう。その行き着く先は、わずか一年を待たずして悲しい結末が衆目の下に晒されてしまうことになるのだが、それは今語ることではない。
実はこの事件の余波を浴びてしまったのがなんと武藤全日本プロレス。
K-1と共同開催だったW-1でのビル・ゴールドバーグ招聘にあたって全日本側は5000万円(!)もの大金を負担していたのだが、選手の派遣等の協力関係にあったDSEがK-1と仲違いをする事でW-1そのものが空中分解、事実上開催不可能となってしまう。
次から次へと舞い込んでくる暗いニュース。3月は長州力のWJ旗揚げ、ノアの三沢対小橋、K-1MAXの同日トリプル興行戦争など一時活況を取り戻したかにみえたが、結果的にプロレスのど真ん中を謳いながらも何がど真ん中なのかよく分からず消化不良気味のWJ、行き過ぎた感のある三沢小橋の攻防…と再びマット界に暗雲が立ち込めるはじめる。なんというか、この時期独特の徐々に漂い始める閉塞感を思い出しただけで息が詰まってくるのは筆者だけだろうか?
また、スター不足に悩み依然停滞を続けていた新日本プロレスはこのタイミングで社運を賭けた一か八かの大勝負に打って出る!
5月2日 ULTIMATE CRUSH 開催
続く