大粟神社宮司です。


当たり前なことが実は一番難しい。

大粟神社は、阿波最古の大社であり、社殿も立派な地域の中核となる神社ですし、
大宜都比売大神の本宮ですから、本来は唯一無二の食物の神の大社です。


ただ、昭和平成と神職職員が常駐してお宮を守る仕組みを整えていません。

祖父、父、そしてわたしもいわゆる兼業として週末に祭祀をおこなう状況でした。

宮司に就任して2年目。

わたしはこの状況をまず第一に変えていきたいと思います。

兼業だからといってどの神社も神職の信仰心はなんら専業と遜色はありません。
兼業だからこそ、わたしに関して言えば毎日気が気ではありません。

お参りのかたにご不便をおかけしてしまう。
神社は大丈夫か?

心配は尽きません。

宮司になる以前と比べて、
肉体的にも何倍もの負荷はかかっています。
毎週金曜日に徳島にもどり、日曜日の夜に帰る。これを2年続けています。

修行とはいえ、やはり
二重生活は無理が生じます。


宮司と事務員と、ささやかながら家族で社務を回すことになっても、まずは神社として明確に財務をしっかりして神社の活動を維持発展させる。

これが私の復興です。



一生懸命宮司として祭祀を復興させていけば行くほど、兼業から専務に移行していくために様々な取り組みが必要だと痛感しました。


徳島にもどり、違う仕事をしながら宮司をすれば良いではないか?という話もありましたが、それでは神社は本当の意味では守ることができません。

悩み惑い、何かを求めて大粟山を訪れる方には、平日も土曜もありません。


宮司として悩み惑い、やはり私は常に皆さまを万全な状況でお迎えしたいと思います。



極めて自然な願いであり、当たり前の事の確認とも言えますが、
現状として私は深くこの事を思わざるを得ません。



過疎化という現状はありますが、かと言ってこれまでの経緯から人口が沢山あった時代から宮司常駐ではなく、これは発想自体がなかったといえます。



そう考えると、神社復興は新たな取り組みがやはり必要で、神社の祭祀をしっかり深めながら、沢山のご支援や崇敬を全国から賜わっていくことが大切かと思います。




月次祭をはじめ、沢山の復興を続けております。
しかし、やはり次の課題は神職や事務員が常駐し、維持管理や祭祀を継続させる社務所の実現です。

毎月の月次祭

4月の春の大祭、夏の各摂社の大祭、秋の大粟神社例大祭、冬の大祭。

これらの祭を全県、いや全国からのお参りや崇敬者が集うものにしたいとおもいます。

一年目は目の前の課題で精一杯でした。
二年目は宮司として本当の苦しみといいますか、責任者としての課題に対峙しはじめました。


全ての方々の幸せ、徳島の平安、食の守護を祈る神社として、宮司は復興を目指します。


足りなかったのは
お知らせできていなかったこと。
そして、神社の活動を維持継続する
当たり前の仕組みを一生懸命復興させるバイタリティです。



まだまだご不便をお掛けしていますが、
御祈祷やご参拝を誠心誠意御奉仕させていただきます。

多くの方のお力をお貸しいただき、また崇敬をいただきたくおもいます。



上一宮大粟神社

を輝く女神さまの真の本宮として復興いたしたくおもいます。