大粟神社宮司です。



神社にて、神々に奉仕する「専門職」を神職といいます。

神職はかつては、「神官」とも呼ばれていました。

近代の神道はまさに、政策によりいわゆる「国家神道」と言う体制でした。

(この概念は突き詰めると大変細かい議論となるので本日は一般的な呼称として用いています)

「官」と言う呼び方からもわかるように、神社で神々に奉仕する専門職はまさに「公務員」でありました。


古代は祭政一致といって、神祭りと政(まつりごと)は不可分でした。日本書紀を読んでいると、天武天皇の時代に官社の語がみえ、国家が諸社に奉幣をしています。
神祇官に神名帳が備え付けられ、いわゆる式内社が選定された例から見ても、古代は国家的な祭祀が朝廷によりなされていた、といえます。

この制度をならって、近代は諸社を官幣、国幣、などといって国家的な奉幣を行うために「序列化」されました。

このことによって、国家的な奉幣がなされる神社と、それ以外の神社では神職の呼称にも差異がみられます。


地方の村や町人が信仰した神社や、由緒正しい古社も、近代の序列からもれると、郷社、村社、無格社などとなりました。


粟最古の上一宮大粟神社は、あろうことか社号を埴生女屋神社とされ、郷社とされてしまいました。

(この経緯についてはかつて宮司が論文化しております。)


我が社は、改悪に対して猛烈に抗議し、なんと25年もの戦いの結果、ようやく上一宮大粟神社の社号を取り戻した歴史があります。また、社格についても、度重なる運動の結果昭和20年8月に県社昇格が決定していましたが、終戦となり制度自体がなくなりました。



式内社や、国史に記載ある神社は信仰の伝統を伺う上で欠かせない事実として尊重される傾向があります。
社格というのも、ある点では尊重すべきものです。

しかし、こと近代に関しては大粟神社宮司としてはあまり気持ちのいい歴史ではない、といえます。

理由は紹介した通り、近世までの神社固有の歴史と何よりも信仰の事実を無視した社号改悪があったからです。

祖先の熱い信仰により、誇り高い上一宮大粟神社の社号を取り戻した歴史を宮司は大切にしています。
そして、専業として神職に就いてはおりませんでしたが、代々我が神社を守り続けた近代の歴代宮司の苦労を思うと、襟を正したくなります。


便宜的な呼称ですが、
よく地方の神社を「民社」とか「無格社」とかいう呼称で近代社格制度で分類する例をみます。
わたしは非常に違和感を感じており、このような呼称は使いません。

神々と人は古くから不可分の関係であり、神社とは人が神を敬い、恐れ、報恩しようという真心から存在するものです。
ですから、本来は神社にこのような呼称は相応しくありません。


無論現在の神職は、官吏ではありません。

現代における神職は、まず第一に、いや本質的なる普遍な存在意義として、神にお仕えする霊的な(超自然的な)力と人を繋ぐ存在です。

信仰への確信と覚悟がない者は神職とは言えません。

また、神職には神社を護持する使命があります。この使命を背負うのは神職の中でも宮司の職責を担う者たちです。

神祭りをいかに繋げ、信仰をいかに広げ、神々への人々の祈りを精神の充実と、外面的には人類の平和や発展に繋げるのか、、

これは神職の世俗的な責務です。宮司は神社の護持と人々の信仰の深化に対する責務があります。

規模の大小に関わらず、この確信と覚悟がなければ神職とは言えない。
私はこう考えています。




神様を敬い、神様へお礼をする。
ありがたいことだと、神さまにたいしてお返しをする。これが神道の信仰実践の伝統であり、この信仰実践に「国家」や「庶民」の区別はありえない。

共同体に祭祀といえども、突き詰めると神さまから命をわけていただき、この時代に何らかのみこともちを持った一人一人が、神聖なるものに気づき、神道を受け継ぐことが根本です。



神聖なるものに驚き、感動する。

この最も重要な気づきによって、神道は継承されます。




いま、神社は危機の時代といえます。
少子高齢化で地方は人口が減り、徳島では消滅集落も実際に生まれています。

神職の後継者もおらず、いたとしても神社に常駐できない神職が沢山いるのが現状です。

若者の神社離れも指摘されます。


しかし、はたしてそうなのか。

神山町は少子高齢化がすすみ、他ならぬ私が宮司をつとめる11社の神社はますます少子高齢化がすすんでいるのは事実です。

現状だけみると、神社は危機です。

しかし、神職として宮司として大切なことは何かとわたしは日々自分に問いかけています。


神職とは神への確信と覚悟をもつ人間です。

誰でも初めは苦難からスタートします。

何もないところから、私たちは確信と覚悟によって祈りを開始するはずです。

私は粟最古の神社を継承する宮司です。
揺るぎない歴史。
しかし、それだけでなく、超越した神聖な霊威をたたえた上一宮大粟神社への確信があるのです。



たしかに神山は人口減になりました。
しかし、グローバル時代において、私たちは物理的な距離を心理的に克服することが沢山あります。


祈りをつきつめ、祭を深く深く究めていく。

勤勉であり、愚直に信仰を追究する修行者である。

この先にわたしは、「今」と神社を固く繋げる解法があると思うのです。



わが神領には、小さな祠がたくさんあります。

小さな祠の神々は、偉大なる我が女神さまをお守くださる粟の神々です。

上一宮大粟神社は、当たり前のことですが
神々への祈りを大切にします。

祈りを大切にすることは、まさしく信仰です。
お一人お一人のお参りに来られる方々の祈りを繋ぐ。

お一人お一人の真心、大神さまへの清らかな実践により「大社」は息吹を取り戻す。わたしはそう確信しております。


過疎化だから、ライフスタイルの変化が止まらないから神社が消滅するのではありません。

過疎化でもライフスタイルの変化があっても神道は必ず継承できます。

神職として私は学び、ますますに追究してまいります。