昨日、ゼミの活動が一段落したこともあり久しぶりにじっくりと本読む時間がとれました。

そこで読んだのが博報堂さんが書いた「生活者発想塾」と「キッコーマンのグローバル戦略」の2冊です。
この二冊とも非常に示唆に富んだ本でした。

まず「生活者発想塾」のほうですが、正直な感想としては、割と一般の方に向けて書かれた内容ということもあり、個人的に物足りなさを感じました。しかし、その中には幾つかとても勉強になることが幾つか書かれていました。中でも気に入った言葉として「モノは分けると減るが、感動はシェアすると増える」というものです。確かにfacebookなどのイイネ!など、誰かに自分の感動を伝える、シェアするということの喜び、また映画などを見てこの感動を誰かに伝えたいという気持ちは皆さんにもあることと思います。
感動はシェアすればする程、共感が増える程、感動は増幅していくんですね。

では次の本「キッコーマンのグローバル戦略」について読んで感じたことをご紹介したいと思います。

先日ご紹介した東京でのワークショップでローカリゼーションについて書いたこととリンクしたこの本、改めてキッコーマンのマーケティング能力の高さにとても感動しました。

しょうゆは日本の伝統調味料ですが、知っている方もいるとは思いますが、実はアメリカ、ヨーロッパでももはや一般の家庭でも使われるほど一般的な調味料となっています。では一体どのように日本の伝統調味料であるしょう油が欧米の文化に溶け込む事ができたのでしょうか?

一般的に食文化というのは中々新しいモノを受け付けないという特徴があります。日本は比較的新しい文化、モノに対して寛容ですが、欧米の国々のほとんどは食に対してはかなり保守的な面が強い傾向にあります。例えば、生魚などは今でこそ、すしブームが到来しかなり受け入れられていますが、それもここ最近のことで、生魚を食べる習慣がないヨーロッパでは中々受け入れられるには時間が掛かったようです。私が、イギリスに行ったときのホームマザーは未だに生魚なんか食べようとも思わないというようなことを言っていたことを思いだします。

それくらいに食文化というのは新しいモノを受け入れるのに時間がかかるのです。しかし、ただ単にしょう油が欧米に受け入れられた背景には時間をかけた結果だと考えるのは違います。

キッコーマンがすばらしいのは日本の文化でもあるしょう油を現地に向けてローカライズしたことにあります。アメリカ人が刺身を食べるわけがない、故にそのまま日本の食文化を押し付けても受け入れられないという考えに達し、いかに彼らの食のコンテクストに当てはるようにしょう油をローカライズしていくのかが普及のカギであることを当時のキッコーマンは知っていました。

そこで、彼らはまず現地のスーパーマーケットで試食会を兼ねたデモンストレーションを行いました。そこでかれらが使った食材が肉でした。そこから生まれたのがそう『TERIYAKI』です。このようにして、しょう油のローカライズはされて行きました。

しかし、中にはこのローカリゼーションに対して否定的な面があるのではないかと考える人もいます。

例えば本来のしょう油の食べ方は肉ではなく刺身などの生魚につけてたべる又は和食で使われるべき、洋食の調味料として使うなど邪道であり、本来あるべき姿ではないと考える人もいると思います。

しかし、どうでしょう、実際に日本のモノ、文化を海外に輸出しようと思った時、日本人のロジックやコンテクストをそのまま現地に投げ込んでもが現地の人々の生活コンテクストにフィットするわけがありません。つまり、どんなにこちら側の価値観の電波を発信続けても現地の人はその電波をキャッチすることはできないのです。

現地の人のコンテクストとこちら側のコンテクストの共通項をまずは探しそこから徐々にこちら側のコアな部分を流していかなくていけないのです。これがローカリゼーションなのだと思います。

もちろん、100%現地の文化を理解することは不可能です。そこで、必要となるのがこのローカリゼーションの視点だと安西さん(ローカリゼーションマップの発案者)は言います。


最近、「前提」を疑うことの重要さというのを身をもって感じます。先日、大学のゼミでの発表がありそのことをとても強く感じました。

私たち、特に日本人によく見受けられる思考・行動の動機として「何となく」「常識」「当たり前」といったものがあります。簡単にいうと何か行動をするときに「なぜそれをするのか?」と問うたときに殆どの人が「みんながやってるから」「理由などない」といった非常に曖昧な答えが返ってきます。

つまり、日本人はハイコンテクストの国(言語化に重きを置かない)の為、喋らないことが美徳とされがちで「暗黙知」が広く共有されています。以心伝心や一を聴いて千を知るといった言葉のようにあまり語らずとも共感することができることはもちろん強みであり、日本の誇れる文化でもあります。

しかし、今日においてハイコンテクストだからといって当たり前を疑わない考え方では通用しない状況に立たされていると僕だけでなく多くの日本人の方が感じていることと思います。

何か議論をする時に相手の主張の前提となっている「暗黙知」となっている部分を問うことがこれからの時代必要だと思います。

昨日のプレゼンにおいても、院生の方からの質疑の時にその事をひしひしと感じた一日でした。

私たちの発表のテーマとして、とある理論を基に「選択」の質の重要さを発表したのですが、そこで院生の方が指摘したのは「なぜその理論を使ったのか?」というまさに前提を問うた質問でした。この疑問は正直僕も感じていたことでもありました。

しかし、グループワークで行っているせいか、やはり「集団」の中でやっていると、この「前提」を問いただすことの難しさを痛感します。当初、論文(僕たちが発表する際のカテゴリー)を書く時は「理論」を使わなければならないという「前提」がみんなの中にありました。故になぜ「理論」を使わなければならないのか?といった所をもう少し考えるべきだったと今では反省しています。

院生の方の質問はかなり鋭く、イシュー(問題の本質)を捉えているなと、とても驚きました。
私もこの院生の方のような鋭い視点を持てるような人になりたいと思います。






先日、夜行バスで東京まで行ってきました。というのも「マルちゃんはなぜメキシコの国民食になったのか」の著書の方のワークショップに参加するためです。

正直、僕のような実務経験のない学生が参加してもいいのか疑問があったのですが、それよりも実際にワークショップをやってみたいという強い期待感が不安を超えていたので気がついたら東京にいました。

それで夕方まで時間が空いていたので東京を散策し、六本木や赤坂辺りをブラブラ歩いていました。そして、東京ミッドタウンに行く途中に東京タワーを目にすることができました。恥ずかしいのですが自分は、以前から東京には何度も来てはいるのですが、まだ一度も東京タワーを生で見る事が無かったので初めて見たときの感動はやはりテレビなどで何度も見てるとはいえ大きかったです笑。

そうこうしているうちに日が暮れて、いよいよ待ちに待ったワークショップです。
場所は普通のオフィスの中の一室を借りて行われました。

やはり、参加者はいずれも社会人の方ばかりで終止肩の力が入りっぱなしでした。しかし、院生の方も数名参加していたので少し気持ちは落ち着きました。

ワークショップで行った主な内容は以下です。

主題;日本の製品を海外に輸出する際のローカリゼーションの考え方

まず、準備体操を兼ねてケーススタディを30分くらいかけて行いました。
題材は七味オリーブオイルでこの商品のローカリゼーションの分析をグループごとにポストイットと大きな紙を使ってKJ法などのやり方でディスカッションをやりました。

僕のグループは院生の方2名と社会人の方1名でした。皆さん、それぞれ独自の視点から意見をアウトプットしていてとてもグループワークとして充実したものだったと思います。

そもそも、このローカリゼーションというワードを知らない方が殆どだと思います。なので簡単に説明すると.........ローカリゼーションとはそもそも海外市場に自国の製品を輸出する際に考えなくてはいけない重要な視点だと言われています。

というのも、海外の人々の生活文化、習慣、価値観などの生活コンテクストを把握しなければ自国の製品をむやみにその国に投入してもなかなかうまくいかないことが多くあるからです。

つまり、いかに「共感」してもらえるような自社製品のコンテクストをその国の中で根付かせていかせるかがローカリゼーションなのです。

例えば、日本のしょう油は欧州ではもはや一般的な調味料として地位を築きつつあります。しかし、味としては全く日本とは違うようです。それはもともと欧州の生活文脈の中でしょう油というものが一切なく、ただ日本のしょう油をそのまま現地に輸出していただけではなかなか現地の人々に受け入れて貰えないからです。それゆえに、いかに現地のコンテクストに入り込めるかすなわち、ローカライズできるかが問われるのです。その結果として、肉料理に合うソースとして入り口をつくり、そこからしょう油という製品を定着させていこうとするのです。

このような視点を持つか持たないかでこれから先の日本の製品が海外で成功するかしないかのリスク度に大きく影響してくると思われます。


そして、ワークショップは本題に入り、日本の中の伝統品、お好み焼き、立ち食いそばなどが載った幾つかの写真を配られ、その中から一枚選びそれをイタリアに輸出するという状況設定でローカライズを行いました。

僕たちの班はあえて最もローカライズするのが難しい「立ち食いそば」を選びました。

というのも、イタリアのライフスタイルはいわゆるスローライフ的要素が主流であり、日本のような早い、安い、というような合理的な側面に価値を見いだすものではないからです。つまり立ち食いそばとは相反するものなのです。

しかし、このコンテンツを選択して僕は正解だったと今は思います。というのも一番矛盾するモノ同士だからこそ、その間をいくアイデアを見いだすことができればやりがいとして一番大きく、全く答えが予想できなきからこその面白さが味わえるからです。

また、僕はこの題材を選んだ事によって自分にとって重要な気づきを得る事が出来ました。

僕はこの時、まずイタリアのコンテクスト=豊かな暮らしという価値に向けてこの立ち食いそばをいかにローカライズしようかということを考えていました。そして、食という側面から豊かな暮らしという価値へ繋げようとしました。

しかし、ここで一番基本的でなおかつ本質的なことを僕は見落としていたのです。今振り返るととても恥ずかしいくらいの思考をしていました。

それは、ローカライゼーションの元々の目的というのは文化の輸出の為にあるということです。文化の輸出の時に一番大切なのは現地の文化に迎合しこちらの文化の本質を歪めてしまわないように、なおかつそれが逆に押し付けでないことが望まれるようにバランスがとても重要なのです。

僕はどちらかというとここでいう「迎合」の方に偏って考えていたために「立ち食いそば」という本来の価値、アイデンティティを考慮していなかったことが反省すべき点だと思っています。

つまり、「早い」「ただひたすら黙々と立って食べる」というところが立ち食いそばの価値であり本質で、なおかつそれが海外の方から見ればそういったある種の「異質さ」「滑稽さ」というのが感じられ、海外の人々にとって目新しく移る事なのではないか?というようなご指摘を受けました。ならば、「早い」「ただひたすら黙々と食べる」という要素はあえて変えないでそれをうまく活かすようなローカライズのやり方を考えて行くべきなのではないか?
結局、最終的なアウトプットは未完全で、レベルとしては最悪だったと感じていますが、学びとしてはとても大きかったと思います。

今回のワークショプで本当に僕は貴重な経験を得る事ができたと感じます。
そして、「行動する」ということの大切さ、行動を起こす事によって得られる結果はとても有益な価値の高いものであるということが改めて実感することができた一日でもありました。

これからもこのやりたい事、気になった事があれば現地に足を付けて5感を総動員して体で感じて行こうと思います!!

~答えはいつも現場にある~