-東成岩(8:20発)-武豊(9:02着)
高架化工事が始まった半田駅から南へ進み、工場地帯と面する東成岩駅に着きました。
次の駅は武豊線の終点・武豊駅です。
東成岩駅の駅前通り、東側は大工場と繋がっていますが、
西側を望むと工場地帯の感じはしませんね。
線路と国道の間の道を南へ。
ちょっとわかりにくいですが、この橋は2つの川を渡っています。
手前に見える土手の先にもうひとつ川がある…。
看板はありませんでしたが、
武豊(たけとよ)町に入ったみたいです。
住宅地の中に工場が混じるようになりました。
踏切渡るところでちょうど列車が通過。
スピードが少し落ちていたということは、終点が近いのかな?
左手はグラウンド。
サッカーしている子供がいたような…。
ちょっと工場地帯っぽくなったと思ったら、また住宅地に。
工場地帯は目と鼻の先なのに、ここまで工場地帯を歩いていません。
せっかく来たんだから、バリバリの工場地帯を歩いてみたい。
…でも、あまり派手に寄り道できる時間はない。
そう思いつつも、やっぱり歩いてみたい。
そこで200メートルほど東の工場地帯まで行ってみることにしました。
5分ほど歩いて、工場地帯に到着。
本当は駅側の右車線を歩きたかったけど、歩道が無かったのでこちら側を。
絵に描いたような工場地帯ではありませんが、
右も左も工場ということはよくわかる風景。
目標の電車が出るまであと30分を切りました。
駅までの距離がわからなかったのでちょっと不安でしたが、
どうやら橋を渡らず右折して少し進めば駅みたいです。
良かった、間に合いそう。
武豊駅へ向かうべく、川沿いを西へ。
写真奥のマンションあたりが武豊駅のはず。
…そして、
武豊線のゴール・武豊駅に着きました。
終着駅にしてはシンプルな駅舎ですね。
コロナ前の1日利用者数は約700人。
例によって、500メートルほど西に位置する
名鉄線の知多武豊駅に大きく水を開けられています。
ホームは1面1線の単式。
線路は駅のすぐ先で途切れています。
1886年の開業当初は1kmほど南東の武豊港に面した場所にありましたが、
1892年には現在地に移転したそうです。
ちなみにこの駅名、某有名騎手と全く同じ漢字なんですよね。
それが故に武豊線を「たけゆたかせん」と言う人がいたような…。
実際に二度ほど一日町長に任命されたことがあったそうで、
駅にもサイン色紙がしばらく掲示されていたそうですよ。
というわけで、武豊線を全線踏破しました。
ちょうど入ってきたこの列車で大府駅へ戻りました。
30分ほど乗ってる間ウツラウツラしていましたが、
気づけば4両編成でも座席がすべて埋まる程度の乗車率になっていました。
(GPS止めるのを忘れて、軌跡が線路上を高速移動していたのは内緒。)
(その25へ続く)
東成岩駅から武豊駅までのGPSログ(1/25,000)です。
3日目前半のGPSログ(1/75,000)です。
電車に乗ってる間に記録してしまったログは消しました。
ちゃんと線路上なぞっていたからやっぱり正確だ。
追伸:
土曜日から1週間、北海道へ行ってまいります。
行き先は昨夏の続き…そう、アレ。
廃止が決まったあの区間。
特に旗とか幟とか立てて歩いているわけではありませんが、
見かけたら生暖かい目で見守ってやってください。
旅行中はブログの更新や皆様のブログへの巡回が不規則になりますので
なにとぞご了承ください。