東急世田谷線全駅間歩き(三軒茶屋-下高井戸) その1・「踏切」で電車が止まる | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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今回は東急世田谷線を歩きます。

世田谷線は三軒茶屋から下高井戸までを結ぶ5.0kmの路線です。

かつては「玉川電車」の支線だったため、「生き残った玉川電車」ともいえる路線です。

併用軌道こそないものの、今でも路面電車の雰囲気を色濃く残しています。

 

 

実は、このタイミングで別の駅間歩きをするつもりだったのですが、

今回歩いた2週間ほど前に足を痛めてしまい、思うように歩けなくなってしまいました。

だいぶん良くなってきたのですが、痛みが少し残る中で本格的な全駅間歩きは心細いので、

リハビリがてら、この路線を歩くことにしました。

 

実はこのとき、いつものペースで歩くのはまだ困難な状態でした。

でも、いつもよりゆっくり歩くことで見つけられることもあるはず。

そういうポジティブな思いで、この路線を歩くことにしました。

 

 

8月27日(日)  歩行区間:三軒茶屋-下高井戸  天気:晴れ時々曇り

三軒茶屋(9:56発)-西太子堂(10:02)-若林(10:19)-

-松陰神社前(10:43)-世田谷(10:51着・10:55発)-

 

 

田園都市線の三軒茶屋駅から地下通路を進むと、こんな場所に出ました。

正面に見える高層ビルは「キャロットタワー」というそうです。

…やっぱり色、ですかね。

 

今回のスタート地点まであと少しです。

 

 

 

今回のスタート駅・世田谷線の三軒茶屋駅です。

キャロットタワーの足下に駅があります。

 

 

 

構内は頭端式2面1線です。

右側のホームが降車ホーム、左側のホームが乗車ホームです。

乗車ホームには「改札口」がありますが、降車ホーム側に改札は無く、

ホームをそのまま通り抜ける人をよく見かけました。

 

 

 

電車が踏切を渡り、三軒茶屋駅へと入線します。

折り返しの電車が出発したと思ったら、すぐ次の電車がやって来ます。

 

軽く準備体操をして、駅間歩きスタートです。

 

 

 

スタートしてまもなく、こんな場所を通過しました。

この右手に関東三十六不動霊場の最勝寺(教学院)があります。

 

 

 

そのまま住宅地に入りました。

 

 

 

まもなく最初の駅・西太子堂駅に到着しました。

三軒茶屋からの鉄道距離はたったの0.3kmしかありません。

これは、三軒茶屋駅周辺の再開発で、

三軒茶屋駅が西太子堂駅寄りに移転したためなんだとか。

 

 

 

西太子堂駅のホームです。

世田谷線のホームは25メートルほどしかありません。

 

 

 

次の駅へ向かいました。

このあたりは三軒茶屋駅が近く、

直接歩いて三軒茶屋駅へ向かう人をよく見かけました。

 

 

 

烏山川緑道に入りました。

この緑道には、かつて烏山川が流れていたそうです。

 

 

 

緑道の脇には、河川時代の名残が見られます。

 

 

そして、環七通りでは世田谷線随一の見所が待っていました。

それがこちら。

 

若林踏切を渡る世田谷線です。

「踏切」といっても、ここに遮断機はありません。

 

 

だって、ここでは電車も信号待ちするんですから。

 

 

別のアングルからもう一枚。

信号待ちしている様子は、こっちの方がわかりやすいかと。

 

かつては、「若林踏切」にもちゃんと遮断機があり、

電車が来る度に環七の車を止めていたそうですが、

環七の交通量が増えるにつれて渋滞が酷くなってしまったために、

こういう方式に変えたんだとか。

 

 

 

若林駅に着きました。

入口の写真撮り忘れて、出発するときに慌てて撮ったのは内緒。

 

 

 

ホームは2面2線の相対式で、出口はホーム両側に設けられています。

 

 

 

少しずつ線路から離れながら西へ進むと、

小さな丘と森が見えてきました。

 

 

 

「丘と森」の正体は松陰神社でした。

その名の通り幕末の思想家・吉田松陰を奉った神社で、

1882年に吉田松陰の門下生らによって創建されたそうです。

 

 

 

吉田松陰といえば松下村塾。

「実物」は萩の松陰神社にあるので、こちらはレプリカですが…。

 

実際に吉田松陰が指導にあたっていたのはわずか2年半ほどだったそうですが、

松下村塾そのものは明治時代に入っても存続していたそうです。

 

 

 

神社から駅に向かって商店街が続いていました。

今日は午後から縁日があるようで、出店の準備が行われていました。

 

 

 

松陰神社前駅に着きました。

 

 

 

ここも通り抜け可能な構造になっていました。

これまでの駅に比べると、ひときわ賑わっていたような気がしました。

 

 

 

さらに西へ進みました。

 

 

 

閑静な住宅地が続きました。

 

 

 

世田谷駅の近くで小さな踏切を渡りました。

 

世田谷線の線路には夜になるとタヌキが出るという話を聞いたことがありますが、

その話を裏付けるように、沿線には緑あふれる寺社がたくさんあります。

 

 

 

世田谷駅に着きました。

 

 

 

世田谷区役所や国士舘大学は、前駅・松陰神社前との中間にあるため、

どちらの駅も最寄り駅という扱いとなっています。

 

…ただ、松陰神社前の方が賑わっていたかなぁ。

 

 

 

線路に沿って進むのも面白くないので、少し南へ下ってみました。

 

 

 

ボロ市通りに入りました。

12月と1月の15・16日になると、この通りにたくさんの露店が並び、大いに賑わうそうです。

 

「ボロ市」の由来は、安土桃山時代に世田谷城下で行われた楽市まで遡るそうです。

世田谷城の廃城によって当地周辺は衰退の一途をたどりましたが、

市場の伝統は根強く生き残り、年末には農機具や正月用品が売買されたそうです。

その後、年末の市場において補修用のぼろ布が広く売買されるようになり、

「ボロ市」という名前が定着するようになったそうです。

 

 

 

ボロ市通りの一角には、世田谷代官屋敷が建っています。

入館は無料で、屋敷の敷地内には郷土資料館も建てられています。

 

 

 

母屋の土間は通り抜けられます。

ぱっと見るだけでも、長い歴史を感じられる家屋です。

 

 

その2へ続く

 

 

三軒茶屋駅から宮の坂駅までのGPSログ(1/22,500)です。

世田谷線は駅間が短く、ゆっくり歩いても10分から20分ほどで次の駅まで歩けます。

立ち寄りたいスポットが集中しているのも、この路線の魅力だと思います。

 

 

 

追伸:

北海道から帰ってきました。

長らく更新が滞って申し訳ありませんでした。

今回は根室本線を芽室から釧路まで歩いてきました。

これまでブログにはダイジェスト版を掲載していましたが、今回は本編を掲載する予定です。

スタートまでもうしばらくお待ちください。