今回の全駅間歩きは両毛線です。
両毛線は、小山から新前橋までの84.4kmを結んでいます。
100km弱の距離を誇りながらも、駅数は両端をあわせても18駅しかありません。
駅間平均距離は約5kmと、関東では駅間距離が長い路線のひとつです。
両毛線は、「140円関東一円大回り」をする方にはおなじみの路線ではないでしょうか。
ただ、起伏が激しい路線ではないですし、電化路線だし、乗り通せば時間も結構かかります。
正直なところ、旅の「耐えどころ」だったりする方も多いのではないでしょうか。
自分も、大回り旅行するときはよく眠気に襲われる路線なんですが…。
今回はそんな両毛線をじっくり歩いて、
電車に乗ってるだけでは分からない、新しい発見をしてみたいと思います。
昨年、上越線と吾妻線を歩いた時は新前橋で前泊しましたが、
今回は、高崎まで朝イチの新幹線を使うことにしました。
この時期だから越後湯沢へ向かうスキー客が多いだろうと予想はしていたのですが、
予想通り、東京駅は朝からスキー客で混雑していました。
新潟行きの一番列車は、東京駅出発時点で座席がほぼ全部埋まり、
大宮を出る頃には、立ち客が通路をふさぐほどに混雑していました。
もちろん立っている人たちも多くはスキー客です。
スキー板や大きな荷物を抱えており、座席から出口まで移動するのも一苦労でした。
新幹線は時間通り高崎駅に到着しました。
6分後に出る両毛線の電車にも余裕で間に合いました。
あの混雑に比べれば、両毛線の電車は天国同然でした。
[そのほかの両毛線シリーズはこちらから]
2回目: 桐生-佐野
3回目: 佐野-小山
2月25日(土) 歩行区間:前橋-桐生 天気:晴れ
前橋(7:31発)-前橋大島(8:31着・8:40発)-駒形(9:30着)-
スタート駅・前橋駅に到着しました。
乗ってきた列車は、小山に向けて出発しました。
隣のホームに止まっていた湘南新宿ラインの電車もまもなく駅を後にしました。
前橋駅の南口です。
北口に比べるとデザイン性がありますが、それでもやっぱりシンプル。
今日はここからスタートします。
気温は-2℃。
水飲み場も凍っていました。
両毛線全駅間歩き、スタートです。
駅前広場を後にすると、いきなりこんな雰囲気でした。
大型ショッピングモール「けやきウォーク」の横を通りました。
ロードサイド店が建ち並ぶ通りを東へ進みました。
左手に公園が現れました。
公園の中央には「土の山」がありました。
一見すると、子どもの遊び場のようにも見えるのですが…
実はこの「土の山」、「前橋二子山古墳」と呼ばれる古墳なんです。
表面には川原石が敷き詰められ、その上に薄く盛土がなされているそうです。
この地域には、かつて大小数百にものぼる古墳があったそうです。
その多くは都市開発などによって消滅したそうですが、現在もいくつか残っているそうです。
公園の一角では、早咲きの桜が花を咲かせていました。
せっかくなので、もう一枚。
さらに東に進んで、広瀬川を渡りました。
館林方面へ向かう県道に入りました。
道幅が広ければ歩道まで広かったのですが、
通るのは車ばかりで、道行く人をほとんど見かけませんでした。
おまけに青信号の時間がやたらと長く、渡るのに随分とまぁ待たされた…。
振り返ると、背後の山々が雪化粧していました。
あの山々は谷川連峰…なのかな??
県道を外れると、そこは工業団地でした。
ここまで来れば前橋大島駅まであと少しです。
前橋大島駅に着きました。
駅前まで工場や倉庫が建ち並んでいて、
駅が工業団地の中にあるといえそうな立地です。
この駅が開業したのは1999年のこと。
両毛線の駅としては一番新しい駅です。
付近に木工団地があるためか、駅舎は「木」を意識した造りをしています。
実際は南口から入ったんですけど、写真は北口です。
ホームは2面2線の相対式です。
都市近郊の駅らしい造りをしています。
駅を出て、木工団地の中を進みました。
貯木場には、たくさんの丸太が積まれていました。
やがて住宅地の中に入りました。
さらに進むと、農地が目立つようになりました。
県都の駅から1駅あまり進むだけで、こんな風景が広がっていました。
主要道路に合流すると、再び歩道が現れました。
梅の花も見頃を迎えていました。
整然と並んだ梅の木が何列も連なっていました。
ここの梅は、花というより果実が目当てなんでしょうね。
さらに東へ進みました。
ここら辺は農地半分、宅地半分といった感じです。
県道40号線に合流しました。
さっきの県道同様、片側2車線の広い道でした。
こっちも信号変わるまで時間がかかるだろうと思っていたら、
意外と早く信号の色が変わりました。
駒形駅へアプローチするため、県道を外れました。
左奥に見える建物は共愛学園の校舎です。
駒形駅へと続く「駅前通り」です。
こんな感じの風景が駅前まで続いていました。
1,000~2,000人くらい利用する駅の「駅前」といえば、
できて間もない駅でもない限り、大なり小なり商店街っぽいものがあったり、
それらがなくとも、民家が密集していたりとそれなりの変化があるはずなんですが、
両毛線の駅はそういった変化が乏しく、かえって驚いてしまいました。
群馬県は日本有数のクルマ社会といわれています。
そういう場所では、駅前が担う役割は小さいのかもしれません。
(その2へ続く)
前橋駅から駒形駅までのGPSログ(1/66,000)です。
前橋大島駅の少し南東、ログ線がいったん線路と接している場所に、
50年ほど前まで「東前橋」という駅があったそうです。
東前橋駅が廃止された後に木工団地が立地したため、
30年以上の長きにわたって新駅の誘致活動が続けられたそうです。