奥羽本線全駅間歩き1(福島-米沢) その1・まずは小手調べ | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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今回の全駅間歩きは奥羽本線です。

福島駅から山形県の米沢駅を目指します。

 

奥羽本線は、福島から山形、秋田を経由して青森を結ぶ路線です。

今回歩く区間を含む福島-新庄間と大曲-秋田間は、

東北新幹線に直通する列車も運行する新在直通区間となっています。

 

今回歩く福島-米沢間で真っ先に思いつくのが板谷峠でしょう。

古くは板谷街道(米沢街道)の難所として知られ、

鉄道開通後は、赤岩から大沢までの4連続スイッチバックでその名が知れ渡りました。

山形新幹線開通に伴い、スイッチバックはすべて廃止されましたが、

JR最急勾配に迫る38‰区間が存在するなど、今なお鉄道運行上の難所となっています。

 

 

鉄道でもこんな区間なんですから、楽に歩けるはずがありません。

奥羽本線は板谷街道に沿うような形で敷設されました。

ところが、板谷街道はメインルートの座を追われて久しく、一部は廃道化してしまいました。

区間によっては、板谷街道を歩くことができず、大回りを強いられる区間もあります。

さらに、急勾配の山道、未舗装の林道、そして交通量の多い国道と、

嫌らしい要素がこれでもかとばかりに登場します。

 

実は、この区間は来年あたりに歩くつもりでした。

ところが今年のダイヤ改正で、JR山田線の浅岸駅と大志田駅が廃止されました。

同じような条件下にある赤岩駅だって、いつ廃止になってもおかしくありません。

赤岩駅が廃止されてしまうと、今回の区間を「駅間歩きする」意味が半減してしまいます。

赤岩駅があるうちに歩いておきたいと思い、予定を前倒しして歩くことにしました。

 

果たして、無事米沢にたどりつくことはできるのでしょうか。

 

 

[そのほかの奥羽本線シリーズはこちらから]

2回目: 米沢-山形

 

 

5月21日(土)  歩行区間:福島-板谷  天気:曇り一時雨

福島(7:55発)-笹木野(8:42着・8:55発)-庭坂(9:43着)-

 

 

朝一番の東北新幹線に乗って、福島駅に着きました。

 

山形新幹線の列車はここから奥羽本線に入ります。

駅名標の隣駅は今回の目的地・米沢を示しています。

 

東北新幹線に直通する山形新幹線の列車は、全て14番ホームから発着しています。

1つのホームから山形・新庄行き、東京行きの両方が発着しているわけです。

ホーム中程には、新幹線ホームでは珍しい色灯信号機も設置されています。

 

 

 

駅構内には、東北6大祭り(東北六魂祭)のひとつに数えられる、

「福島わらじまつり」にちなんで、大わらじが展示されていました。

 

 

 

在来線ホームにも足を伸ばしてみました。

奥羽本線(山形線)の在来線列車は、5番線と切欠きの6番線から出発します。

 

 

 

こちらの駅名標は、次駅・笹木野駅を示していました。

 

 

 

今回は西口からスタートします。

 

準備体操を終えたら、今日の目的地・板谷駅に向けて出発しました。

 

 

 

西口は後から新設された出口ですが、

駅前には数軒のホテルをはじめ、背の高い建物が建ち並んでいました。

 

 

 

まずは、駅前から一直線に伸びる通りを西へ向かいました。

中心市街地は長く続かず、ロードサイド店が建ち並ぶようになったかと思うと、

いつしか住宅地の中に入っていました。

 

 

 

国道13号のバイパスに入りました。

片側2車線の他に、側道が1車線設けられていました。

 

まもなくバイパスを離れ、

住宅や倉庫が建ち並ぶ道をさらに西へ向かいました。

 

 

 

奥羽線の踏切を渡りました。

新幹線も通過する踏切のためか、ずいぶん立派でした。

 

踏切から東側を眺めると、線路の先に列車のヘッドライトが見えました。

まもなく、庭坂行きの普通列車が踏切を通過しました。

 

 

 

最初の駅・笹木野駅に着きました。

入口に待合室が設けられ、跨線橋が入口とホームを結んでいました。

ホームでは、数人の乗客がまもなく到着する福島行きの列車を待っていました。

 

 

 

かつては長いホームが設けられていたようですが、

止まる列車にあわせて、ホームの長さも2両分(約50メートル)までリストラされました。

実際行ってみると、写真で見るよりもホームの短さに驚かされますよ。

 

 

 

笹木野駅の時刻表です。

昼間がぽっかり空いたダイヤになっています。

しかも、このうち約半数は、次の庭坂駅が始発・終点の列車です。

18きっぷのシーズンでも無い限り、県境越えの需要は限られるようです。

 

 

 

ホームで休憩していると、

山形新幹線の「つばさ」が颯爽と走り抜けていきました。

 

「つばさ」といえば銀色ボディーというイメージだったので、

こんなデザインになってしまったのかとちょっとびっくりしてしまいました。

 

 

 

次の駅へ向かいます。

 

住宅地をしばらく進むと、左手に石碑が見えてきました。

この石碑は板谷街道・笹木野宿の追分道標でした。

 

かつての宿場街も、

今ではすっかり住宅地に飲み込まれていました。

 

 

 

ここからはしばらく板谷街道を歩いてみることにしました。

フルーツ王国・福島県だけあって、住宅地が途切れると果樹園が現れました。

 

 

 

視界が開け、吾妻連峰が見えてきました。

 

最初、この光景には何の疑問も抱かなかったのですが、

この光景ができた背景には、どうやら福島県を襲ったある事故が関わっていたようです。

 

 

 

県道に合流して、踏切を渡りました。

道は山に向かって、ゆるやかに登り始めていました。

歩道はありませんでしたが、歩きにくいほど交通量が多いわけではありませんでした。

 

 

 

周囲が開けました。

左手には畑が、右手には果樹園が広がっていました。

 

正面に見える電柱の下に、工事などでよく見かける看板が立っていました。

その看板には「除染しています」と書かれていました。

ここに来るまでの間に、すでに何枚か見かけた看板でした。

 

 

かの震災によって原発事故が起きたのは、もう5年以上も前のことです。

震災直後、東京でも毎日のように流れていた原発事故の報道も、

現在ではたまに聞く程度まで減りました。

 

しかし、ここ福島市では、事故の影響はまだ残っているようです。

民家に限らず、果樹園や農地でも除染作業が続けられていました。

果樹の除染は、表皮をはいだり、高圧洗浄にかけたり、表土を入れ替えたり

といった方法で行われたそうですが、様々な理由で伐採された果樹も少なくないそうです。

 

除染作業は一歩一歩確実に前進しているようですが、

福島市から「除染」という言葉が消えるまでには、もうしばらく時間がかかるようです。

 

 

 

庭坂の集落に入りました。

街道までせり出している松の木が雰囲気を出していました。

 

 

 

庭坂駅に着きました。

福島側の平野部はここで終わります。

 

ここまではウォーミングアップ。

本番はここからです。

 

 

その2へ続く

 

 

福島駅から庭坂駅までのGPSログです(1/60,000)。

 

「へ」の字をかくように東西を横断する黄色い道が走っていますが、

大まかに言えば、これが本文でも少し触れた板谷街道です。

厳密に言えば、完全に板谷街道がこの道と一致しているわけでは無く、

笹木野宿の追分から先は今回歩いた道が板谷街道に相当するようです。