(その7からの続き)
3日目の朝を迎えました。
今日は、駒ヶ根からゴールの辰野駅を目指します。
地図を見る限り、昨日ほどアップダウンはありませんが、
歩行距離は昨日並みに長いので、まだ気を抜くことはできません。
無事にゴールを切り、翌日元気に職場に向かうことはできるのでしょうか(笑)。
[その他の日程はこちらから]
5月5日(木・祝) 歩行区間:駒ヶ根-辰野 天気:晴れ
宿屋(7:30発)-大田切(7:47)-宮田(8:18着・8:30発)-赤木(8:46)-沢渡(9:23着)-
出発前に、自室から中央アルプスの山々を撮ってみました。
市街地とはいえ、高原らしい清々しさが感じられます。
3日目の全駅間歩きは、ホテルからそのままスタートしました。
朝食会場のレストランに長蛇の列ができてた時は、
時間通りにスタートできるか本気で心配したよ…。
県道を少し下ったところで住宅地に入りました。
しばらく進むと、道は東に向きを変え、緩やかな坂を下り始めました。
踏切を渡って、今日最初の駅・大田切駅に着きました。
大田切駅を出て国道に合流すると、まもなく大田切川にさしかかりました。
川の向こうは宮田村です。
大田切川と中央アルプスの山々です。
レンガ橋脚が歴史を感じさせます。
ここは有名な鉄道写真スポットなんだそうで。
…だったら、電車入れて撮りたかった。
大田切というだけあって、ここも田切地形です。
昨日見たような広い谷が思い出されますが、ここは控えめでした。
道路は一応迂回していましたが、線路は直線的に田切地形を越えていました。
丘を登り切ったところで国道を外れて、
宮田村の中心街へ向かう県道に入りました。
県道沿いには住宅地が広がっていました。
しばらく進むと歩道が現れ、次いで商店を見かけるようになり、
いつのまにか中心街を歩いていました。
中心街に入ったから駅はもうすぐ…と思ったのですが、
この中心街が県道に沿って結構続いていました。
駅が近くなると歩道が消え、建ち並ぶ建物がちょっと古くなりました。
旧市街と新市街…ってことなんでしょうか。
宮田駅に着きました。
文字通り宮田村の中心駅ですが、ここは完全な無人駅でした。
ホームは2面2線の相対式です。
辰野方面ホームへは構内踏切で行き来します。
宮田は伊那街道の宿場街として栄えました。
宿場には本陣も設けられていましたが、
建物は別の場所に移築され、跡地には入口だけが残されていました。
そのまま進んで、伊那市に入りました。
周囲は閑静な住宅地でした。
看板が立ってなければ、まさかここが境界だとは思いません。
少し開けた場所で、電車が来るのを待ってみました。
さらに進んで、踏切を越えたところに赤木駅がありました。
県道沿いの空き地には、
太陽光発電のソーラーパネルが設置されていました。
県道をさらに進みました。
元々あまり広くない道が途中で2つに分かれました。
地図見る限り、どっちに進んでも同じ場所に行き着くようです。
県道の方を歩いてみたんですけど、こっちの方が道幅狭いなんて…。
急な下り坂が現れました。
ここで段丘を下ります。
飯田線の線路は、この段丘をJR最急勾配の40‰で下ります。
最急勾配といえば、碓氷峠や板谷峠といった急峻な山越えをイメージしますが、
どこにでもありそうな河岸段丘の上り下りがJRの最急勾配というのはちょっと意外です。
小さな川を渡りました。
段丘を下った後も道なりに進みました。
周囲の民家が増えてくれば、まもなく沢渡駅です。
沢渡(さわんど)駅に着きました。
言われてみれば読めなくもないですが、やっぱり難読ですよね。
駅舎は、ぱっと見るだけでも、後から継ぎ足されたことが分かる造りをしています。
奥に見える建物が本来の沢渡駅の駅舎で、大正2年の開業時に建てられたものです。
いっぽう手前の建物は、高校の開校に併せて昭和42年に増築されたものです。
ベンチは旧来の駅舎のみに設けられ、増築された駅舎にはありません。
かつては駅舎を増築しなければならないほど利用者がいて、
現在も駒ヶ根駅と同じくらいの利用はあるそうですが、最近無人駅になってしまいました。
沢渡駅のホームです。
2つのホームは駅舎近くにある構内踏切で結ばれています。
下島駅寄りの踏切から、沢渡駅のホームを撮ってみました。
飯田方面に向かう線路は、
途中で踏切の真ん前から始まる線路を取り込み、沢渡駅のホームへと続いていました。
この線路にはホームも設けられていましたが、
かつては貨物ホームとして使用されていたのでしょうか。
はたまたこっちのホームが旅客用だったのか…。
(その9へ続く)
駒ヶ根市街から沢渡駅手前までのGPSログです(1/64,000)。
大田切駅先の田切地形を越えてから沢渡駅までは、
ずっと県道に沿って歩きました。