親鸞聖人 御命日 報恩講 | 岡本一志 幸せのタネまき日記

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 今日は浄土真宗の開祖 親鸞聖人のご命日です。


 聖人のお亡くなりになられたこの日の前後に行われるのが


 浄土真宗でもっとも重要な行事である。


 報恩講です。



 蓮如上人は



  この報恩講に参詣しないものは



  「石や木と同じだ、大変な恩知らずだ」



        といわれています。


 「毎年不欠にかの知恩報徳の御仏事においては、あらゆる国郡 その他 いかなる


  卑劣の輩までも その御恩を知らざる者は、まことに 木石に異ならんものか。」


 その親鸞聖人のお亡くなりになられるときの



    お言葉が有名な


        ご臨末の御書
       
                です。 


我が歳きわまりて、案養浄土に還帰すというとも、


和歌の浦和の片男波の、寄せかけ、寄せかけ帰らんに同じ。



一人いて喜ばは二人と思うべし。

二人いて喜ばは三人と思うべし


その一人は親鸞なり。



一度は親鸞、浄土に還るが、すぐに戻ってくるぞ。

すべての人が救われきるまで、活動せずにおれないのだ。


未来に生きるのが青年、


過去に生きるのが老人といわれます。


未来とは夢であり  理想であります。


魂の中に抱く、夢や理想の質や量によって、


青年であるか、老人であるかが分かれます。


年齢によって決まるものではありません。


たとえ肉体は70年80年であっても


すばらしい未来に燃える人は、青年だと

いえます。


無窮の波動のように、限りなき衆生救済の未来に

生きられた聖人は、永遠の青年でありました。



蓮如上人の


 御遺言も


 あわれあわれ存命のうちに
 

   皆々、信心決定 あれかしと
 

      朝夕 思いはんべり 
 

        まことに宿善まかせとはいいながら
 

              述懐の心しばらくもやむことなし。


              であります。



★おかもん 生きる意味 ってなんだろう