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日曜日のキジバト

生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

怒鳴られるわけでも、叱られるわけでもない。
周囲から期待されているわけでも、放置されているわけでもない。
けれど、なぜか胸の奥に“静かな焦り”がじわじわとたまっていく。

  • 自分だけが遅れている気がする

  • 成果を出しても、手応えがない

  • 誰からも責められていないのに、うまく休めない

そんな感情を抱えながら働いている人は、意外と多い。

誰にも言えない“焦り”の正体

この焦りは、表面化しづらい。
怒りや不満のように表に出せないし、相談しても「そんなに悩むことかな」と流されてしまう。
むしろ、“がんばっている人ほど”静かに焦っていく

  • 昔ほど集中できない自分

  • 周囲がどんどん先へ進んでいるように見える

  • 情報だけがどんどん増えて、自分は立ち止まっている感覚

それは、変化に取り残されることへの不安と、
変化に乗り切れない自分への苛立ちが入り混じった、複雑な感情だ。

焦りを手放せないのは、“責任感の裏返し”

静かな焦りを抱える人の多くは、責任感が強い。

  • 周囲に迷惑をかけたくない

  • 期待されている役割を果たしたい

  • 誰にも迷惑をかけずに「うまくやっていたい」

そういう思いが、感情の“逃げ場”をふさいでしまう。
休むこと、立ち止まること、弱音を吐くことに罪悪感を覚えてしまう

その結果、外には出せず、内側で焦りが静かに燃え続ける。

感情を守る3つの視点

焦りを消すことはできなくても、その燃焼速度を落とすことはできる。
「感情を守る」とは、“焦らないようにする”のではなく、“焦っても揺らがない自分”をつくることだ。

1. 「何もしない時間」を、あえて確保する

焦っているときほど、何かをしなきゃと動いてしまう。
でも、思考や感情は、“何もしない時間”に整理される

  • 10分だけ、スマホを手放す

  • 目的のない散歩をする

  • 窓の外をぼんやり見る

これだけでも、「焦っている自分」を少し俯瞰できるようになる。

2. 「進んでいない」ことに意味を見出す

一見停滞しているように見える時期にも、内側では変化が起きている。

  • 考えが深まっている

  • 迷いを整理している

  • 選ばなかった選択肢を受け入れている

目に見えない「内的プロセス」を肯定することが、焦りからの回復につながる。

3. 「声に出せない感情」を、書いて残す

言葉にしにくい焦りや不安は、書くことで輪郭が見えてくる
他人に見せなくていい。
思考がまとまらなくてもいい。

箇条書きでも、キーワードでも、「今の自分の状態」を言語化することが、
感情の“保温”につながる。

おわりに

静かな焦りは、悪いものではない。
むしろそれは、「もっとよくしたい」「ちゃんと向き合いたい」という、健全な欲求の裏返しでもある。

ただ、それが行き場を失うと、知らず知らずのうちに自分を削ってしまう。

焦りを無理に消そうとせず、そのままの自分を守る習慣を持つこと。
それが、長く働き続けるための、静かで確かな方法かもしれない。

ファイルの名前をひとつひとつ変える。
似たようなメールに返信し続ける。
テスト項目を黙々とチェックする──。

日々の仕事には、「退屈だけど必要な作業」が多い。
効率化できるならしたい。でも、完全にはなくならない。
そしてときどき、ふとこう思う。

「この時間、無駄なんじゃないか」
「こんなことで、何かが進んでいるんだろうか」

けれど最近、その「退屈な作業」こそが、自分の思考を深くしているのではないかと思うことがある。

頭を“遊ばせる”時間の効用

単純作業をしていると、頭の中は自然と別のことを考えはじめる。
昨日の会話を思い出したり、読んだ記事の意味を咀嚼したり。
ふとした疑問が浮かび、それが思考の小さな種になることもある。

それはまるで、脳の「余白」にアイデアが宿ってくる感覚だ。

この“頭を遊ばせる時間”は、明確に「考えるぞ」と構えるよりも、自由で深い。
散歩や入浴、料理や掃除のときにも似たような状態が生まれるが、職場のルーティン作業でも同じことが起きている

情報に囲まれて「考えられなくなる」時代に

今の私たちは、常に何かを読まされ、答えを提示されている。
ニュース、SNS、AIの提案、検索結果──。
何かを「考える」よりも、「評価された思考に触れる」時間の方が圧倒的に多い。

すると、自分の言葉で考える筋力が落ちていく。
瞬発力はあるけれど、深く掘る力が育たない。

そんなとき、“退屈な作業”のあいだに生まれる自家発電のような思考は、とても希少な訓練になる。

「考える場所」としての単純作業

手が動き、口を閉じ、情報の入力が止まるとき。
思考のプロセスが、内側から静かに立ち上がる。

  • 「最近よく耳にするあの言葉、実はよくわかっていないな」

  • 「なんであの人の話は納得できなかったんだろう」

  • 「あのとき自分が選ばなかった選択、今ならどうするかな」

そうした問いは、読書や会議の中では出てこない。
“何もしない状態”に近い作業中にこそ浮かび上がる

それをキャッチできるかどうかが、思考の深さを分ける。

雑務や作業を、思考の場に変える

雑務や繰り返し作業を、「意味のないもの」と切り捨ててしまうのは簡単だ。
でもそこに、あえて意味を持たせてみると、見えるものが変わってくる。

  • 作業しながら思考メモをとる

  • 「これをやってるときに浮かびやすいテーマ」を意識する

  • 作業時間=思考時間とみなして、他の入力を意図的に減らす

そうすると、“考えるために手を動かしている”という感覚が生まれる。

おわりに

退屈な作業は、何の価値も生まないと思われがちだ。
でも実際には、その時間こそが深くものを考える余白を生んでいる。

効率化や自動化の波の中で、こうした“無駄に見える時間”はどんどん削られていく。
けれど、そこにあった思考の豊かさまで削られてしまっては、本末転倒だ。

目立たないけれど、思考の基礎体力は、そうした時間の中で育つ。
だから今日も、ファイル名をひとつひとつ変えながら、自分の中に浮かんでくる考えを、静かに拾い集めていきたい。

SNSをやっていて、思いがけず「伸びた投稿」があると、嬉しくなる。
いいね、リポスト、フォロー──反応が数字として可視化されることは、確かに気持ちいい。
その一方で、気づかないうちに自分の思考や表現の“幅”が狭まっていく感覚を覚えることがある。

それは、過去の成功体験に縛られていくプロセスでもある。

成功体験がもたらす“型”の形成

投稿がバズると、「なぜ伸びたのか?」を考える。
その答えが見えた気がすると、次からはその「型」をなぞるようになる。

  • このテーマなら受けた

  • この時間帯なら見てもらえた

  • このトーンなら共感された

そうして、自分でも気づかないうちに**“過去の成功パターン”に沿ってしか考えられなくなる**。

自由に発信しているようで、実はとても不自由な状態だ。

思考が「打率主義」に染まっていく

SNSは、発信に対する“数字の結果”が即座に見える。
それはとても便利な指標であり、モチベーションにもなる。
しかし同時に、「数字の高い投稿が“正解”」という感覚を刷り込んでくる。

すると、思考は徐々に「打率重視」になる。
意味のある問いより、反応のある問いを選ぶようになっていく。

そしてある時、こう思う。

「この話題、書いても伸びないからやめておこう」
「これは自分が考えたいことだけど、誰も興味ないだろうな」

そうして、自分の中にある“書きたいこと”“考えたいこと”を切り捨てていく。

成功体験の“副作用”に気づくとき

SNSの反応は、たしかにフィードバックであり、ありがたい指標でもある。
でも、それが「表現の主軸」になってしまうと、自分自身の判断基準が曖昧になっていく。

  • 「これは自分にとって意味がある」

  • 「これはたとえ読まれなくても残したい」

  • 「これは誰のためでもなく、自分のために考えたい」

そういう感覚が薄れると、アウトプットは“受け狙い”に近づき、思考は“再生産”に寄っていく。
その先にあるのは、「何を書いても、自分の言葉じゃない気がする」という違和感かもしれない。

思考の自由を取り戻すために

では、どうすれば「思考の自由」を守ることができるのか。
いくつかの試みがある。

● 成果を前提にしない記録の場所を持つ

反応や評価を受けない場所──たとえば、非公開メモや手書きノートなどに、自分の思考をまず吐き出す。
その中から、「やっぱりこれは書いてみたい」と思えたものだけを外に出していく。

● “誰にも届かないかもしれない投稿”をあえて出してみる

意図的に「伸びなさそうな話題」を書く。
それは、思考のバランスを回復させるリハビリになる。

● 成功体験を“棚に戻す”習慣を持つ

「これ、以前はウケたな」という感覚がよぎったときは、あえてそれを手放す。
「一度うまくいったことは、二度目の足かせになる」
そんな視点で見るだけで、選べる言葉が増える。

おわりに

SNSの成功体験は、たしかに貴重な経験だ。
でもそれは、“持ち歩くべき地図”というより、“一度使った旅程表”に近い。
そこに頼りすぎると、新しい道を歩く勇気を失ってしまう。

思考の自由は、「何を書くか」ではなく「何を書かないか」を自分で選べることから始まる。

過去にとらわれず、いまの自分の言葉に耳を傾ける。
それが、誰の反応にも縛られない、静かで強い発信をつくっていくはずだ。