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日曜日のキジバト

生成AI/創発/しごでき(にあこがれる)/うまくいく単純なアルゴリズム/読書/職場のストレス

「やりたいことが見つからないんです」
キャリアや生き方に悩む人の多くが、そう口にする。

けれど本当に必要なのは、“やりたいこと”を探し続けることなのだろうか?
それよりも、“戻ってきたくなる場所”を持つことのほうが、今の時代には合っている気がしている。

「やりたいこと」は更新されていく

たとえば、昔やりたかったことを、いま本当にやりたいかというと、そうでもなかったりする。
興味の対象は変わるし、環境や体力も変わる。
まして、社会の仕組み自体が流動的になっているいま、ひとつの「やりたいこと」に固執すること自体が、リスクでもある。

それなのに、「やりたいことを見つけなきゃ」と自分を責めてしまうのは、少し酷だ。

一度離れても、また戻ってこれる場所

ふと思う。
大事なのは、ずっと走り続けることではなく、疲れたときに戻ってこれる場所があることなのではないかと。

それは仕事でも、人間関係でも、自分の趣味や思考の拠点でもいい。
・「あそこに戻れば、自分を取り戻せる」
・「またここから始めればいいと思える」
そんな場所があれば、無理に“やりたいこと”を決めなくても、不思議と動き出せる瞬間が来る。

「戻ってこれる場所」のつくり方

では、そんな場所をどうつくればいいのか。

1. 評価されなくても続けられることを選ぶ

「成果」や「評価」がなくても続けたくなるもの。
たとえば、誰にも見せないメモを書くこと。
散歩する道を決めておくこと。
本棚に並んだ本を、気が向いたときに読み返せるようにしておくこと。

それが、思考や感情の“帰ってこられる場所”になる。

2. 自分だけの“秩序”を持っておく

部屋の片隅にある小さな整理整頓。
仕事を始める前の一杯の飲み物。
使い慣れたツールや、心地よい言葉。

そういった「ささやかな秩序」は、心が迷ったときの地図になる。

3. つながりすぎない関係を持つ

人とつながることは大切だけれど、ときには「ひとりでいられる関係性」も必要だ。
自分を取り戻せる静けさを、誰にも邪魔されずに持てること。
そうした関係の中で、“戻ってこれる感覚”が生まれる。

おわりに

「やりたいことがない」と焦る必要はない。
むしろ、変化の激しい時代においては、それはごく自然なことだ。

それよりも、「またここに戻ってこれる」と思える場所を少しずつ増やしていく。
それが、結果的に「やりたいこと」へとつながっていくこともある。

目的より、拠点。
成長より、回復。
「出発する理由」より、「帰ってこれる理由」。

そんな視点を持つことが、静かで強い生き方につながるのかもしれない。

職場でもSNSでも、「評価されること」が前提になっているような感覚がある。
自分の価値は、誰かの反応やフィードバックによって決まる──そんな構図に、じわじわと疲れがたまっている人は少なくない。

一度立ち止まって考えてみたい。「評価されること」は、本当に自分を支えてくれるものなのか。

評価が“脳”に与える影響

脳科学の観点から見ると、人間は「報酬」や「注目」に対して強く反応するようにできている。SNSの“いいね”や、職場での“承認”は、ドーパミンの分泌を促す。

しかし、報酬が“当たり前”になると、今度はそれが得られない状態が強いストレスになる。
つまり、「常に評価され続けないと不安になる脳」になってしまう。

評価を求めることで、思考が浅くなる

誰かに評価されることを前提にすると、発言も行動も“外向き”になる。
「これを言えばウケるだろう」「このテーマなら“いいね”がつくはず」──そんな選択を繰り返すうちに、自分が本当に考えたいことや、立ち止まりたい場所からどんどん遠ざかっていく。

その結果、情報は増えるのに、思考は浅くなる。
アウトプットは増えるのに、内側の納得感が薄れていく。

静かに再起動するための3つの手がかり

では、評価疲れの脳を静かにリセットするにはどうすればいいか。
以下のようなアプローチが有効だと感じている。

1. 評価を一切受け取らない時間をつくる

SNSを見ない、通知を切る。
誰かに見せることを前提としないメモを書く。
他人のリアクションが一切入らない空間に、自分を置いてみる。

たとえば、散歩中に頭の中でだけ考えごとをする時間。
紙に手書きでメモを書き、誰にも見せずに破って捨てる──それだけでも、脳は“自分のための思考”を取り戻しはじめる。

2. 「誰にも伝えなくていい考え」に価値を置く

評価されない思考は無意味なのか?
実は、そうした思考の中にこそ、自分の本当の輪郭が隠れていることがある。

頭の中で「これ、他人に言っても意味がないな」と思ったこと。
それをあえて、誰にも伝えないまま育ててみると、自分の“判断軸”が太くなる。
外の価値観に振り回されにくくなる。

3. 「やめたことリスト」をつける

頑張って続けていることよりも、思い切って“やめたこと”のほうが、脳に余白を生む。

  • 毎朝ニュースサイトを見るのをやめた

  • 全部読まないと気が済まなかったメルマガを解除した

  • コメント欄を見ないことにした

やめることで、「何に評価されずに済むか」がわかってくる。
その結果、評価に対して過敏だった脳の反応が、少しずつフラットになっていく。

おわりに

評価されることで得られるものは確かにある。
けれど、それだけに頼りすぎると、自分の芯が揺らいでしまう。

「評価されなくても、これは自分にとって大事なことだ」
そう思える時間を、少しずつでも増やしていくことが、脳の再起動には必要なのかもしれない。

ときどきは、外の目線から降りて、自分だけの思考に戻ること。
それはきっと、次に誰かと関わるときにも、良い形で影響していく。

都市の暮らしに慣れていると、「待つ」という時間がどうしても苦手になる。電車は数分おきに来るもの。コンビニはすぐそばにあるもの。移動も買い物も、予定どおりスムーズに進まなければ、なんとなく「うまくいっていない」気がしてしまう。

 

でも、バスの本数が少ない町に来ると、その感覚が静かに崩れていく。

 

たとえば、1時間に1本のバス停。時刻表を見て、すでに出たばかりだったとき、30分後の次の便までどう過ごすかを考えなければならない。最初は面倒に思う。でも、あてもなく歩いてみたり、小さな公園のベンチに腰掛けてみたり、近くの無人販売所をのぞいてみたりしているうちに、「この時間も悪くない」と感じ始める。

 

時間に縛られないというより、「時間の流れ方が違う」とでもいうような感覚がある。

 

人や車の行き来が少ない午後、どこかの家から漂ってくる煮物の匂い、田んぼの向こうに広がる山の稜線。誰も急いでいないし、誰もあなたを急かさない。

 

バスの本数が少ないというだけで、時間はゆるやかになる。そのゆるやかさは、暮らし全体をゆるめてくれる。なにも成し遂げなくていい時間、なにか始めなくていい時間。ただその場所で、風を感じたり、木漏れ日を見つけたりするだけで満ち足りていく。

 

そういう時間が、ふだん見えなくなっていた自分の輪郭を、そっと浮かび上がらせてくれることもある。

 

「急がない」という選択を、環境が用意してくれているような気がする。

 

バスが来るまでのあいだ、スマホを見ずに過ごせた日は、小さな達成感すらある。誰にも見られていないけれど、自分のためだけの時間が、そこには確かに流れていた。

 

そして、ようやくバスが来る。ひとりかふたり乗せて、のんびりと走り出す。その後ろ姿を見送りながら、「こういう時間の中に、もう少し身を置いてみたい」と思う。

 

スケジュールで埋まった毎日を少し離れて、バスの少ない町に身をおいてみる。

 

そこには、取り戻したい時間の流れがある。