きらく温泉に宿泊した年末の夜、私はまず宿自慢の露天風呂で一風呂浴びたあと、自炊部の台所に入って夕飯の準備をはじめました。
今夜はすき焼きです。
肉は宮崎県内のスーパーで買った宮崎牛。すき焼き用の立派なやつは高いので、うす切り肉を購入。これで十分美味いです。
他に平茸、ネギ、豆腐、春菊など具材もご当地のものを。
卵は鹿児島県「きもつきエッグ」の赤卵。
調味料も宮崎県のご当地メーカー「とむら」の「すきやき万能たれ」1本。これでいきます。
戸村のたれ|株式会社戸村精肉本店(公式ホームページ) (tomura.com)
備え付けの鍋を火にかけてうすく油を敷き、まずネギを焼きます。
それから牛肉、平茸、豆腐を投入し、万能たれをふた回しほどかけてフタを閉じ、少し火を弱めます。
あ、勝手流なんで見映えは気にしなくていいのです。味はいいに決まってるんですから。
ぐつぐつぐつ。
春菊はすぐ火が通るので洗っておき、火を落とす1~2分前にバサッと投入して追いたれを少々。
そのタイミングまで、あとは待つだけ。
( ´_ゝ`)フンフーン♪
いやー、楽しみですねえ。
あ、せっかくなのでこの間に、レトロ感あふれるこの宿の露天風呂をご紹介しておきましょう。
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鹿児島県の天降川沿いに点在する新川渓谷温泉郷は、平安時代にはすでに湯が湧いていたと伝わります。
その中心的な温泉地が妙見温泉で、こちらは明治45年(1895)の開湯という説があります。
しかし当地で最も歴史ある折橋旅館の伝承によると、明治10年(1877)の西南戦争で薩軍が傷を癒したと云いますから、実のところ定かではありません。
そして今回私がお世話になるきらく温泉は昭和45年(1970)ごろ、現オーナーの父である先代が掘削し開業されたとか。
自炊部入り口の脇に掲げられた看板は必見。
かすれた絵の侘び寂び加減といい、今どき出せない描写の昭和臭といい、もはや文化財に片足を突っ込んだ逸品と言えましょう。
素泊まりの宿 きらく温泉【公式サイト】 (kiraku-onsen.com)
ということで駆けつけの一湯。
露天風呂に行ってみると…
おおっと、貸し切りですな!
いそいそ脱衣して湯の縁にしゃがみ、桶で湯をすくってみますと丁度よい温度。まずは身体を流し、さらにざぶざぶと頭からかけてゆきます。
そしてゆっくりとゆっくりと、湯面に身を浸してゆきましょう。
お、おぉぉ…
うすく濁ったうぐいす色の湯、すこし金気を帯びた匂いがします。
泉質はナトリウム・カルシウム‐炭酸水素塩泉。
源泉は56℃あるそうで、加水して適温に調整しているそうです。
この広い露天風呂に今は一人。早めに宿入りした甲斐がありました。
わずか1泊のプチ湯治ながら、今宵はこの湯に癒されるとしよう…
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おっと。
すき焼きのいい匂いが漂ってきました。そろそろ煮えたかな。
棚からお椀を借りて、部屋のコタツに鍋敷きと箸をセットして、と。
さあ、鍋ごと部屋に持ってって食べましょう。
いただきまーす。
…うん。うんうん。
肉もネギも春菊も当然うまい。
そしてこの豆腐が程よくダシを吸ってまたなんとも…(´~`)モグモグ
思えばすき焼きがまだ「牛鍋」と呼ばれて文明開化のシンボルだった頃、今につながる妙見温泉が開かれたわけですよ。
そういえば西南戦争の末期、敗勢となった薩軍が可愛岳(えのだけ)を踏破して鹿児島へ帰ろうとしたとき、鹿川峠(宮崎県日之影町)で牛鍋を食ったという記録があります。
明治10年8月のことです。
官軍の追撃をのがれ、大将たる西郷隆盛を守って山中に露営した薩兵たち。
月光を浴びながら、官軍から分捕った牛を屠殺して牛鍋を作る兵をみて、西郷は言ったそうです。
「どうぢゃ、牛肉はうまいか」
「あまりうまくありません」
「そうか」
「塩も砂糖もない水煮であります」と言う。
すると西郷は黙って、薩兵の一人に、「掌を出せ」と言いながら、腰に吊るしていた竹筒の栓をとり、差しのべた掌の上に、何か白い粉を振り出してやった。それは焼塩であった。
(『西郷臨末記』)
西郷さんはいつも、和泉守兼定の愛刀とともに焼塩を入れた竹筒を携えていたそうですよ。
さすが西郷さん、どんなご馳走でも具材だけでなく、調味料の役割が重要という教え…
ではありません。
ここは目の前のすき焼きに、敗れゆく西郷と薩兵が囲んだ牛鍋を重ねてロマンを感じておきましょう。
さて、満腹になったら一休みして、さくっと後片付けをしてと。
ほの暗く照らされた階段をぼちぼち降り、次は内風呂へ行きましょう。
お、こっちも貸切だ!
さっそく入りましょう。
わ、すごい湯気。
奥まで見えないけど、なんだか鄙びたいい雰囲気ですねえ。
手前にある細長い水槽は、湯をすくって身体を流すための装置。
ちなみにカランはありません。洗身洗髪はここで行なうのです。
打たせ湯の手前の窓をご覧下さい。
窓の向こうはすぐ山の斜面で、そこから湧き出た湯が窓の下を通過し、鍾乳洞みたいな析出物を盛り上げています。すごい成分の濃さです。
フンフーン♪( ´_ゝ`)
いやあ、いい湯だったなあ。
おっと、ここだここだ、3番の部屋。
渡された鍵を差し込んで回したら、「ガチャコン!」と大きな音を立てて鍵が開きました。
ぶはー…
布団の上へ大の字になって天井を見上げたら、電灯から蜘蛛の糸みたいな紐が降りてきてました。
懐かしいこの風情。むかし修学旅行で級友どもと雑魚寝させられた部屋もこんな感じでした。
あの時の夕飯は覚えてないけども、今夜のすき焼きは記憶に残る美味さだったなあ…
撤退行のすえ故郷・鹿児島に帰って滅んだ西郷と薩軍も、鹿川峠で牛鍋を共にした夜のことを思い出したでしょうか。
奇遇ですねえ西郷さん。わたくしも明日、かつてあなた方が目指した城山に向かうのですよ。。
カチャ。
布団に潜り込む前に蜘蛛の糸を引っ張ったら、小さな音を立てて灯りが消え、私は意識を失ったのでありました。
訪れたところ
【素泊まりの宿 きらく温泉(妙見温泉)】鹿児島県霧島市隼人町嘉例川4385