名舟城 天正5年の御陣乗太鼓 | 落人の夜話

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城跡紀行家(自称)落人の
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5年前の夏。

私は日本海の荒波が洗う奥能登の名舟町、名舟漁港に立っておりました。

ここにはちょっと面白い史跡がありまして、それが「御陣乗太鼓之地の碑」なんですが、この碑というのがかつて名舟城の城門に使われていた石なのだそうです。

 

天正4年(1576)11月。

“越後の龍“上杉謙信は2万の大軍を率いて能登国に駒を進め、当主の急死と政情不安が続く能登畠山氏の本城・七尾城を囲みました。

弱体化したとはいえ、そこは難攻不落の七尾城。容易には落ちないと見た謙信は作戦を転じ、先に能登国を平定して七尾城を孤立させるべく、各地へ軍勢を派遣しました。

 

かくして天正5年(1977)。

名舟村にまで姿を見せた上杉勢。沖に連なる軍船を望見した村人は、絶望的なこの状況でも郷土防衛の一念から、一か八かの奇策に出ました。

碑の案内にある由来をみてみましょう。

 

 

天正四年、越後の上杉謙信は七尾城を攻略しその余勢をかって奥能登平定へと駒を進めた。当時名舟村は舳倉島、七ツ島を有し山海の宝庫であったが、迫り来る百戦錬磨の上杉勢を前にし、農民漁民の集まりでは勝敗は明らか。しかし郷土愛の一念から古老の指示に従い、木の皮で面を作り海草を髪とし夜陰に乗じ太鼓を打ち鳴らし夜襲をかけた。これを見た上杉勢は奇怪な様に物の怪か神の化身かと驚き惑い余儀なく退散したと伝える…

 

当時の名舟村の民たちは、奇怪な面の雰囲気とおどろおどろしい太鼓の音で上杉勢を驚かせ、たとえ一時であっても撤退させたと云う。

これが石川県の無形文化財に指定される「御陣乗太鼓」の由来です。

 

 

ただ、名舟城については全く詳細不明。どうやらそれらしき城跡は名舟港から奥深く山に入ったところにあるらしいのですが、そうだとすると、戦の際などに村民たちが避難した「村の城」だった可能性もありそうです。

 

とはいえ、それもどこまで正確かわかりません。

いまのところ名舟城は、私にとって“謎の城”のひとつになっています。

 

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奥能登を旅した5年前は夏休みシーズンだったこともあってか、輪島の朝市は大盛況で、私も多くの観光客にまじってそぞろ歩きを楽しんでおりました。

輪島の朝市の魅力はなんといっても屋台を食べ歩くご当地グルメで、いま思い出してもあの時の楽しさがこみあげてきます。

 

 

と、その街中で見かけたこのポスターが、「御陣乗太鼓」を見学するきっかけとなりました。

 

御陣乗太鼓【オフィシャルサイト】 (gojinjodaiko.jp)

 

石川県の無形文化財になっている「御陣乗太鼓」。

名舟にまつわる由来も知った私は、ここから車で20分ほどの名舟の地へ行ったのが冒頭の一節。

夜にはまた輪島へ帰って来て、上演される「御陣乗太鼓」を観覧すべく、私は輪島キリコ会館へ向かったのです。

 

 

ということで、やってきました輪島キリコ会館。

この夜の上演もけっこうな人気で、整理券もすぐになくなった模様です。

まずは関係者の方から説明があって、いよいよ始まります。

 

 

夏の夜の漆黒にうかぶ灯りの中から一人の鬼が登場。

どろどろと太鼓を打ち始めます。

ここは「序」「破」「急」でいうところの「序」ですね。

 

かつて名舟の村民が夜陰に乗じ、木の皮で面を作り海草を髪として上杉勢の前に現れた天正5年の風情を感じましょう。

 

 

うおー、という感じでもう一人、金髪鬼が登場!

盛り上がってまいりました。太鼓もひときわ荒々しさを増します。

「破」ですね。

 

“金髪鬼”といえばあのフレッド・ブラッシー…あ、いやあれは“銀髪鬼”でした。

私が何を言っているか分かってしまった方は相当の年配遣い手とお見受けします。

 

 

どうやらこの鬼が大将のようですな。

静かに采配を振るようなバチさばき、貫禄があります。

 

 

勢ぞろいした4人の鬼が入り乱れての乱打乱舞。

まるで夜戦、「急」となりました。

 

前触れの「序」からはじまった太鼓の音が、いま怒涛烈風のごとく荒れ狂って腹に響いてきます。

ううむ、写真ではなかなか伝わりきらないと思うんですが、すごい迫力です。

その分、上演が終わったあとも余韻がすごい。

これは本当に観覧出来てよかった。

 

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令和6年4月29日現在。

ご存じの通り、輪島朝市は今年元旦のあの能登半島地震で全焼し、奥能登各地の道路も寸断されていて、あの時のように現地を観光することはできません。

「御陣乗太鼓」もその後どうなっているんだろう…

と心配していたら、記事をみつけました。

 

故郷離れてもたたき続ける 奥能登に伝わる御陣乗太鼓 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

 

ああ、頑張っておられる。

ともかくよかった。鬼の皆さん、どうかお体をお大事に。

 

オフィシャルサイトをみると、このGW中には宮城県石巻市へ遠征されるご予定もある様子。

私もいつかまたあの名演を見ることができますように。

 

 

それでもうひとつ思いだしたのがこちら、イカの塩辛ぱん

輪島の朝市で買ったご当地パンです。

 

珍しい組み合わせですが、これがまた塩辛さとパンのやわらかな甘さがマッチして美味い。総菜パンとしてかなり成功してると感じました。

あの時の店の方々はどうされているか…と思って調べたら、営業再開してる!

 

ニューフルカワ(@newfurukawa) • Instagram写真と動画

 

インスタやってらっしゃるんですね。

移動販売もしておられるとか。となれば、私もまたあの味に再会できるはずです。

 

 

能登半島地震で大きな被害を受けた能登半島。

復興に向けた動きはあると聞きますが、インフラや被災後の諸事情もあるようです。

私としても観光気分で訪ねてよいものか自信もなく、今はまだ様子をみています。

が、適切と思えるタイミングが来るその日まで、いつも通り経済活動を続けておきたいと思う今日この頃です。

 

 

 

クローバー訪れたところ

【御陣乗太鼓之地の碑】石川県輪島市名舟町(寄り道パーキング名舟)

【輪島朝市】石川県輪島市河井町1

【輪島キリコ会館】石川県輪島市マリンタウン6-1