丸亀城 人柱と井戸の伝説 | 落人の夜話

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城跡紀行家(自称)落人の
お城めぐりとご当地めぐり

私よくYouTubeを観るんですが、城跡で検索するとそこそこの割合で「心霊系」の動画が出てくるんですよ。

まあ城跡といえぱ戦乱の時代の遺跡ですし、人死にや炎上が当たり前の場所。また各地の城跡に残る怪談奇譚をあつめれば、それこそ分厚い本になる分量でしょうからネタにしやすいんでしょう。

 

城跡の怪談といえば、特に多いキーワードが「人柱」と「井戸」。

まず「人柱」ですが、例えば白河小峰城(福島県)、磐城平城(福島県)、丸岡城(福井県)、長浜城(滋賀県)、郡上八幡城(岐阜県)、米子城(鳥取県)などなど、人柱伝説が残る城跡は挙げればキリがありません。

だいたいは石垣や地盤固めの人身御供にされる訳ですが、意外にも発掘などで物的証拠が出てくることはほとんどなく、確実なのは日出城(大分県)くらいとされています。

 

つづいて「井戸」。

代表的なのは姫路城(兵庫県)の「お菊井戸」ですが、実は「お菊井戸」って姫路以外にも米子城(鳥取県)や利神城(兵庫県)にもひっそり伝わっていて、ちょっとしたテンプレになってた可能性もありそうです。

他にも誰かを井戸に落として殺したとか、身を投げて云々といった話が伝わるのは、熊本城(熊本県)、増山城(富山県)、宇都宮城(栃木県)などなど、これまたキリがありません。

 

今回はその「人柱」と「井戸」の伝説が残る場所のひとつ。

「日本一小さい現存天守」と「日本一高い石垣」と「日本一深い井戸」をもつ、あの城へ行ってみましょう。

 

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丸亀城は標高66mの亀山を城地とする平山城で、別名・亀山城(はたは蓬莱城)。

本丸に建つ小さな天守(御三階櫓)が天守閣界における神「現存12天守」のひとつに数えられる四国の名城です。

訪ねたのはもう10年以上前になりますか。写真のカットが自分史的にも時代を感じさせます。

 

丸亀城 - 丸亀市公式ホームページ (marugame.lg.jp)

 

 

大手口より。

 

丸亀城の歴史はまず応仁年間(1467~69)、細川勝元の家臣・奈良元安聖通寺山城(宇多津町)の支城として亀山に築城したことに始まります。

奈良氏は戦乱の中で香川氏に追われ、また長曾我部元親の讃岐侵攻を経て、天正13年(1585)、豊臣秀吉四国征伐によって仙石秀久の持ち城となり、さらに尾藤知宣を経て生駒親正に…

と、調べてみればなかなか複雑な前史があるのですが、丸亀市のHPをみると、生駒親正による改修を丸亀城の始まりとしています。

 

確かに近世城郭としての丸亀城は慶長2年(1597)、讃岐高松藩12万石余を与えられた生駒氏が丸亀城を改築したことに始まります。

この生駒氏が元和元年(1615)、一国一城令の際に城を樹木で覆い隠して破却から守り、寛永18年(1641)には丸亀藩5万石に封じられた山崎家治が高石垣を築きました。

さらに万治3年(1660)、山崎氏の後に丸亀に入った京極氏が天守(御三階櫓)を建て、これが今に残る天守となっています。

 

 

今も城内の瓦などに見える「四つ目結」紋はこの京極家の家紋。

京極家の丸亀藩は万治元年(1658)、播州龍野から移ってきた京極高和にはじまり、幕末まで当地の藩主家でした。

 

 

 

そしてこれ。「日本一の高石垣」。

とはいえ総高(麓から再頂部までの高さ)の高さでの日本一で、1面の高さでいえば1位は大坂城(33m)、2位は伊賀上野城(30m)で、ここ丸亀城は3位(22m)になるそうです。

 

特筆すべきはやはり「扇の勾配」で、これは石垣の名手と言われた山崎家治が藩主時代のもの。

石垣の麓には「三の丸井戸」(写真上右)があります。

 

で、ここの石垣をめぐって人柱伝説がある訳です。

タイトルは…そうですね。

豆腐屋の怨霊”としておきましょうか。

 

むかし石垣工事が難航したとき人柱をたてようという話になり、ある雨の降る夕暮れ、城下を通りかかった豆腐売りを捕らえて無理やり人柱にしてしまった。

それ以降、雨の降る夕は「トーフー、トーフー」と声が聞こえ、人々は豆腐売りの怨霊であろうと…

 

という話で、丸亀では年配者を中心によく知られたご当地怪談だそうです。ただ出典は見当たらなくて、『生駒・山崎・京極史談』(山崎和喜治著)によると、「トーフー、トーフー」の声は梟の鳴く声をそのようにとらえたのではないかと推測されています。

あるいは遅くまで外で遊ぶ子供を心配する親心が作り出した怪談かも知れず、だとすれば、意外と発祥は古くないかも知れません。

 


三の丸から二の丸と天守を仰ぐ。

 

一説によると丸亀城の石垣には、大坂夏の陣(慶長20年:1615)のあと大坂城を修築した際に余った石材が使われたとか。

もうちょっと寄りの写真も撮っとけばよかったですねえ。

 

さて、石垣がらみの伝説はもうひとつあります。

タイトルは“裸重三殺しの井戸”。

 

石工・羽坂三十郎は名工で知られ、工事ではいつも上半身裸で働くことから「裸重三」と呼ばれた。

重三郎が積んだ石垣を見た殿様が、

「見事である。これほどの石垣を登れる者などあるまいな」

と感嘆するのを聞いた重三郎。よせばいいのに、

「なに、私ならば鉄の棒一本あれば登れます」

と言い、実際に鉄棒一本使ってすいすい登ってしまった。

彼が敵に通ずることを恐れた殿様は、後日、重三郎を謀って二の丸井戸の調査を命じ、上から石を落として殺してしまった…

 

 

伝・殺害現場の二の丸井戸。

城内では最高所の井戸で深さ36間(約65m)。

曰く「日本一深い井戸」。隣の案内板に羽坂重三郎の話も紹介されています。

 

思わず「雉も鳴かずば撃たれまいに…」の諺が浮かんでくる伝説ですが、こちらも出典はなく伝承です。

ただ現実的に考えるとどうでしょう。口封じなら討手にやらせればいい訳で、平時にわざわざ大事な水源を汚すような、こんな仕方をしますかね。

もしかすると落石事故だったんじゃないでしょうか。

 

ちなみに石垣の技術として、弧線を描く箇所などに石を積むとき隙間に鉄杭を打ち込み、石を重ねてゆく工法があったそうで、そこから考案された怪談ではないかという考察もあります。


 

 

さて、天守に到着。

前述のように「御三階櫓」が正しいんですけどもほぼ天守扱い。まあ近世城郭あるあるです。

写真でいえば左側の面だけ板張りがないのは、あちら方向に塀が続いてたんでしょうか。

 

そういえば「日本一高い石垣」と「日本一深い井戸」には怪奇伝説をもつ丸亀城ですが、「日本一小さな現存天守」にはそれがありませんね。

加助の怨霊が傾けたという松本城(長野県)の天守ほど大きくもなく、妖姫・刑部姫が祀られた姫路城(兵庫県)の天守ほど華麗でもない。

しかし貴重な「現存12天守」のひとつです。

 


ということで、今回は「人柱」と「井戸」の伝説を中心に、丸亀城をご紹介してみました。

思えば城跡の伝説ってのは、調べてみるとけっこう眉唾後世の人の脚本が入ってる痕跡もあって…


って、なんだか夢のない話ですいませんね。

おっさんは疑い深い生き物なのです。

 

 

本丸から望む“讃岐富士”こと飯野山。

平成17年には新日本百名山に選定されたそうで、讃岐平野のシンボル的存在です。

最後にこちらをご覧いただきながら、ひとまずおしまいといたしましょう。

 

それでは皆さん。またお会いしましょう。

おやすみなさい。。

 

 

 

クローバー訪れたところ

【丸亀城跡】香川県丸亀市一番丁