撫養城 登竜門とくるくるなると | 落人の夜話

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城跡紀行家(自称)落人の
お城めぐりとご当地めぐり

少し前の週末、愛鳥のスダチちゃん(アキクサインコ:5才)の避難訓練を兼ねて1泊旅行したんですが、あまり負担をかけすぎてもいけませんので、車での移動は概ね1時間半まで、もしくは頻回に休憩を入れることとしましてね。

行先は徳島県の鳴門市にしたんです。

 

私の住む兵庫県からみれば、徳島県は海峡ひとつ隔てた隣県。まして神戸市にとって鳴門市は淡路島の対岸で、高速道路の整備された今や、県内の日本海側へ行くよりも近しい存在です。

 

 

ということでやってきました今宵の宿。

ファミリーロッジ旅籠屋、鳴門駅前店です。

ここにはペット同宿可の部屋がありまして、予約しておきました。

 

鳴門駅前店 | 素泊まりのロードサイドホテルチェーン「ファミリーロッジ旅籠屋」 (hatagoya.co.jp)

 

今回の旅は山城の予定なし。昼前に家を出て、途中サービスエリアと道の駅で休憩を入れつつゆっくりペース来ましたから、宿に着いたらもう夕方です。

さっそくチェックインして夕飯にしましょう。 

 

 

はい、今日の夕飯はこちら。

途中、鳴門の道の駅「くるくるなると」で購入した「すだち鰤(ぶり)の海鮮丼 」です。

 

「すだち鰤」は徳島県のブランド鰤。

普通ならお高いんですが、閉店前に駆け込んだ甲斐あってありがたい御札つき。

ご利益により半額で購入できました。

 

 

うわあ贅沢。

美味しそうな鰤ですねえ。

まずは刺身の上に乗った徳島県名物すだちをぎゅ〜っと絞ってですね、醤油をさっと垂らしていただきます。

 

うむ、適度に脂が乗って旨い!

半額だったと思うとなお旨い。

さっそくご当地グルメを頬張って、旅の気分も高まってまいります。

 

スダチちゃんの入ったカゴを横に置いて、すだちを絞り、すだち鰤を喰らう飼い主。

いや、虐待してる訳ではありません決して(;´Д`)

スダチちゃんもカゴの中で一所懸命ゴハンを食べてますから…

 

そういえば。

まだ小さなヒナだったこの子がウチにやってきたのは、ちょうど徳島のすだちが出回る旬の季節だったのでした。

 

 

なんてことを思い出しつつ、食後、スダチちゃんに少しばかり部屋で留守番をしてもらい、散歩がてら宿近くの銭湯へ行くことにしました。

宿の目の前はJR鳴門駅。JR四国鳴門線の終着駅です。 

 

ちょっと調べてみましたらこの駅、できた当初は「撫養駅」でした。

この辺の地名が撫養(むや)町だからですが、それが昭和22年(1947)、鳴門町、撫養町、里浦村が合併し「鳴門市」が誕生したため、今の駅名に変更されたようです。

 

 

古来、鳴門海峡越しに淡路島をのぞむ撫養の地は、畿内への登竜門でありました。

それはこの地がいわば四国の玄関口で、中央につながる港をもつばかりでなく、前面にうずまく鳴門の渦潮が、伏魔殿のごとき中央政界から身を隔てる防壁となったからでもありましょう。

 

引用:鳴門の渦潮の魅力 | 渦の道 (uzunomichi.jp)

 

一方でこの地はしばしば、逆巻く竜門を潜り抜けることができず、傷ついた貴人が流れ着く点額の地でもありました。

例えば人皇第83代・土御門天皇承久の乱(承久3年:1221)の余波を受け、阿波へ流されてこの地で崩御しました。

また大永3年(1523)には「流れ公方」こと室町幕府第10代将軍・足利義稙がこの地で力尽き、45年後の永禄11年(1568)には「阿波公方」こと同14代・足利義栄が摂津から退く途中、ここで没したと云います。

 

 

…そんなことを考えながら歩いていると到着しました。

鳴門市のレトロ銭湯、東湯です。

ここは一度閉店しながらも、なんと6年の時を経て復活したという珍しい銭湯なのです。

 

<鳴門市の「東湯」、6年ぶりに営業再開>

https://t.co/SO8dokDFMl https://t.co/sAa5tGN7L5」 / X (twitter.com)

 

 

 

板札式の下足箱とか、今どき少なくなりましたよね。

駐車場、すべり台付きプール、電気風呂、薬湯(バスクリン風呂)あり。

力強く復活した街なか銭湯の存在はちょっと嬉しくなります。

 

登竜門みたいな番台で入浴料450円を支払い、いざ浴室へ。

むろん写せないのでお見せできませんけども、ここの風呂、湯は少々熱めで、すべり台のあるプール(水風呂)がぬるめ。

キンキンに冷えた水風呂が好きなサウナー方には恐縮ながら、いま心臓の病を抱える私にはこのぬるめの水風呂が丁度良く、しばし浸かって過去の城めぐりを思い出しておりました。

 

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撫養城(別名・岡崎城)を訪ねたのは6年前。

築城年代は不明。元々は小笠原氏の居城であったのが、戦国期には三好氏配下の四宮加賀守が城主となったと伝わります。

 

天正10年(1582)、長曾我部元親の阿波国進出の際に落城し、長宗我部家中の真下飛騨守が入りましたが、天正13年(1585)、豊臣秀吉四国征伐によって長宗我部勢は土佐へ後退。

翌天正14年(1586)、阿波18万石に封じられた蜂須賀家政の持ち城となりました。

 

 

ということで、まずは本丸跡に建つ妙見神社へ参拝しましょう。この城山が妙見山と呼ばれる所以の神社で、社伝では先に登場した足利義稙の創建となっています。

 

こちらは二の丸跡になるようでして、本殿の奥に石垣が残っているようです。

 

 

お、けっこうしっかり残ってますね。

江戸期の天保年間(1830〜44)のものだそうで、勾配美しい石垣や石段、櫓台が確認できます。

お城ファン的にこの辺は必見です。

 

 

切岸の上は「千畳敷」と呼ばれる削平地。

切岸の下に駐車場。公園化に伴って全体的な破壊を受け、この辺りの遺構はちょっと確認しづらいようです。

 

 

 

主郭跡に建つコンクリ製模擬天守に登ってみました。

この日は天気もよく、鳴門海峡から淡路島方面を望むことができました。

ちなみに手前に浮かぶ細長い島には土佐泊城跡があります。

 

主郭はかつて「太鼓櫓」と呼ばれる城内最高所だったと云いますが、戦後の景気のいい時代、この模擬天守を建てる工事で破壊されて旧状を留めていません。

なお城跡には「将軍塚」と呼ばれる塚があり、従来、足利義稙の墓と言い習わされてきたそうです。が、現在それは古墳と判明しています。

 

 

天正14年、阿波徳島18万石に封じられた蜂須賀家政は、豊臣秀吉の没後徳川家康に接近し、徳島藩の初代藩主となりました。

家政は徳島城(徳島市)を本城とし、領内に「阿波九城」をもうけましたが、撫養城もそのひとつとして益田正忠が城番に入っています。

が、慶長20年(1615)の一国一城令により廃城となりました。

 

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翌日、またやってきました道の駅「くるくるなると」。

施設正面、鳴門金時のモニュメントが目印です。

 

道の駅くるくるなると (kurukurunaruto.com)

 

 

今日の目当てはこちら、生絞りすだちソフト(1日10食限定)。

いやあ、これのために珍しく並びましたよ。

ご当地ソフトハンター(自称)としては外せない一品ですからね。

 

スライスされた徳島産すだちがこれでもかとてんこ盛り、爽やかな酸っぱさと濃厚ミルクソフトの組み合わせは美味しく映えます。

私のご当地ソフトの旅はこれからも続くのです(⁠^⁠^⁠)

 

 

ちょうど昼前だったので道の駅のレストラン「ホレタテキッチン」でお聞きしたところ、テラス席ならスダチちゃんも同席可とのこと。

グリルのランチを注文したら、シェフがこんなサプライズプレートを出して下さいました。

 

「うわ、ありがとうございます!」

 これは私にとっても本当に嬉しいサプライズで、上はその時に撮った1コマ。

帰り際、シェフとスタッフの皆さんに改めてお礼を申し上げてきました。

 

スダチちゃん…いや、スダチくんの避難訓練も無事に成果を得て、このあとまたゆっくりペースで帰宅したのでありました。

 

 

 

クローバー訪れたところ

【旅籠屋 鳴門駅前店】徳島県鳴門市撫養町小桑島字前浜277-2

【東湯】徳島県鳴門市撫養町小桑島日向谷27

【道の駅くるくるなると】徳島県鳴門市大津町備前島字蟹田の越338-1

【撫養城跡】徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町147