先日、あるテレビ番組で、生徒の保護者から教員に対する無理な要求が増えているという話が紹介されていました。その中で、「童話の中身を変える」というものがありましたが、そのタイトルを見たとき何のことなのか正直分かりませんでした。
その内容は、生徒の学芸会での役が気に入らないという保護者からの文句であり、一つの事例として、ある幼稚園の学芸会で「桃太郎」をやった際、保護者からの苦情を避けるため、園児全員に主役の桃太郎をやらせたということが挙げられていたのです。
どう思われるでしょうか。可愛い我が子の晴れ舞台なのだからという気持ちを分かる人もいるかもしれません。親バカが過ぎると言う方もいるでしょう。この番組でも、保護者のわがままという趣旨での言われ方がなされていました。
しかし、この事態には、もっと深刻な問題が隠されているようにも思うのです。
劇は、主役・脇役・悪役等がいて初めて成り立ちます。一見、全員に主役をというのは平等かもしれません。しかし、これはある意味、脇役・悪役といったものへの軽視・蔑視ともとれるのではないでしょうか。晴れやかな主役は誰でも憧れるものでしょう。しかし、目立たなかったり格好悪くても脇役・悪役は劇には不可欠であり、それを担うことは非常に大切なことです。
また、学芸会は、学園生活の1コマに過ぎません。その時主役になれなくても、別なところで主役になることもできます。
常に主役でいる必要もなければ、主役だけが重要なわけでもありません。さまざまな役割がどれも重要であり、それぞれの重要性を認識して取り組むこと、それぞれの違った役回りを理解・尊重することこそ価値あるもののように思えます。
社会もまた、花道を歩む人、目立たないところで頑張る人、それぞれの役割があってこそのものです。それぞれの重要性を認め合いながら、自分の立場で頑張れることこそ大切なのではないでしょうか。花道を歩む人ばかりに価値をおき、目立たない立場を蔑視するなど間違っています。そのような社会は決して安定しないでしょう。
全員を花道を歩む主役にしてしまうことは一見平等ですが、その背後には、それぞれ違った役割の重要性を軽視する差別的な見方が潜んでいるように思うのです。