先日、昔からの友人と長時間話しこみました。その人と初めて出会ってから10年以上、それぞれに、そして、二人の間にも色々なことがあったような気がします。
その人は、これまでも、そして最近も、決して楽しいとはいえない出来事を経験していました。しかし、その一方で、それを前向きに受け入れて、成長への歩みを進めていました。
そのような話を私にしてくれましたが、私はといえば、それに静かに耳を傾け、時折、感じたまま思ったままを少しだけ口にするくらいのことしかできませんでした。いえ、その人が生きる上で直面する悩みを解決する主体はその人自身であり、その人が苦悩とその解決の舞台の主役である以上、そもそも、私は出すぎた言動をすべきではないでしょう。私自身の未熟さから何も言えない側面もあるのかもしれませんが、どんなに経験があっても、その人を主役として尊重すべきであることは変わらないのだろうと思います。
その人は、どこか私と似たところがあります。生きる環境は違っていますが、その人の悩み、そしてその解釈には、私にも共感できる部分が多くあります。
その人には、以前から時々、生きていく上での悩みを打ち明けられることがありました。それにつけて、私は、自分がその人にとって価値ある人間であるとの自負を感じて、嬉しく思ったものです。その自負は必ずしも間違ったものではなかったかもしれませんが、もっと大切なことを見落としていたような気がします。
人が抱える悩みやその解釈を耳にすることは、自分にとっても生きる糧となります。そして、何より、私を信頼してその人の人生に深く関わる経験を聞かせてくれたのです。その人にとっての私以上に、私にとってその人がかけがえのない友人であったことに改めて気づくことができました。
人の悩みや苦しみを聞かせてもらっても、できること、すべきことは限られています。そんな中で、最も大切なのは、信頼してくれたことに、そして生きる上での大切な問題を共有させてくれたことに感謝することなのかもしれません。



