与党による安全保障関連法案の強行採決については、当然と言うべきか、多くの方々が様々な意見を述べています。
感覚としては、これも当然と言うべきか、批判的な意見が多いように思われます。どちらかといえば、法案の内容自体に反対というよりも、衆議院憲法審査会に招かれた憲法学者の憲法違反という意見を一向に顧みず、勉強会で議員が報道機関に圧力をかけることを望むような発言し、それに続いての強行採決ということで、その自民党の傲慢ともいえる態度が批判を集めているように感じます。
このような批判の声の背景には、この国の在り方は国民の意思なくして決めさせないという思いがあるのではないでしょうか。政治への当事者意識が国民の中で大きくなり始めているのだとしたら、それは大変望ましいことだと思います。
そのような中、大変気になる論調が目につきます。安倍政権は安全保障関連法の整備を公約にして選挙に勝利したのだから、安全保障関連法を成立させることが「民意」なのだというものです。
インターネット上の意見だけでなく、7月16日の産経新聞でも、「安倍政権は昨年7月、集団的自衛権の限定行使を可能とする憲法解釈変更を閣議決定した。それに伴う法制の整備を唱えて昨年末の衆院選で勝利した。」「与党が公約した政策を進めるのは議会制民主主義の常識だ。安保法制の整備は、野党の言うように突然、降ってわいた話ではないと改めて指摘しておきたい。」とされています。
http://www.sankei.com/column/news/150716/clm1507160003-n1.html
これは発想が逆です。
民意を政治に反映させるシステムが選挙なのであって、選挙で勝った政党の主張が民意なのではありません。もちろん、選挙が健全に機能すれば、民意と選挙で勝った政党の主張は一致する場合が多いでしょうが、民意を反映させるという選挙の機能は決して完全ではありません。
民意は、今まさに国民が持っている意思です。それに反していれば、選挙に勝った政党の主張であろうが、関係ありません。
「僕が気に入らなければ、選挙で落とせばいい。」と豪語した橋下大阪市長は、その大阪都構想を住民投票で否定されました。この件については、どちらが民意だったのかというのは難しいところでもありますが、選挙に勝った政党の主張と民意が一致しない場合があることを表す一例とはいえると思います。
確かに、民意は捉えどころのないものです。しかし、ある程度適切に時間をかければ、少しずつ、その民意は具体的な形になっていくでしょう。それを促し、そしてそれを政策に反映させることこそ、政治の役割なのではないでしょうか。
選挙で勝ったのだから、我が声こそ民意だというのは、詭弁的で自己中心的です。昨年の衆議院議員選挙の特番で、池上彰さんが、安倍総理に対して、「安全保障の話をあまりしていなかったのではないか。」と指摘したことをご記憶の方も多いでしょう。
これから目指すべきは、異なる意見を持つ相手も受け入れて、大いに議論し、民意を深め重くしていくことではないでしょうか。選挙で勝った政党とはいえ、その民意に基づかない、軽い判断を行うことを許してはいけません。



