似て非なるものに、指導者と支配者があります。一見同じように仕事に厳格な2人の上司がいるとして、1人の上司の下では部下が生き生きと仕事をしているのに、もう1人の上司の下では部下が生気を失っているとしたら、その違いかもしれません。
指導者は、他者と同じ地平に立って、導く者です。他者を本質的に対等な人間として認め、その個性を尊重しながら、あるべき方向へと案内していきます。自分だけでなく、自分と同様に価値ある他者の幸せを求め、喜びを分かち合います。
支配者は、他者の上に君臨し、抑え込む者です。他者を本質的に自分よりも劣った存在であるとみなし、服従を求め、自分の都合で動かそうとします。支配者が求めるのは自分だけの満足であり、他者はそのための道具に過ぎません。
人格や尊厳といった言葉はよく聞かれますが、そういった人間にとって本質的なものは、当然ながら、人間である以上誰であっても対等なはずです。指導者は、本質的に対等な人々の中における一つの役割にすぎません。対等な中であっても導いていけることが指導者としての資質なのでしょう。そこには苦しみが伴うはずですが、その苦しみを引き受けられることが指導者としての大きな資質なのかもしれません。
一方、支配者は、相手と対等であることを否定します。本人にそのつもりはないかもしれませんが、対等であることを否定した時点で、相手の人間としての本質を否定しています。自分は特別だと思い上がれば、凡人である他者の苦しみに鈍感になります。そして、自分が快楽を味わうために他者に苦しみを与えることが平気になっていきます。
ただ、個人差こそあれ、権力を持てば誰でも支配者に堕す危険性があるのではないでしょうか。他者にも自分と同じように人生があるということを常に意識しておく必要があるのでしょうが、それを本当の意味で実行することは、思うよりも難しいことかもしれません。



