戦時中の日本を一般人の視点から映画いた漫画、こうの史代『この世界の片隅に』で、広島から呉に嫁いだ主人公すずは、大切な人を失い、心と体に深い傷を負いながら終戦を迎えます。玉音放送を聴き、終戦を知ったすずは、納得できずに言います。
「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね。」
家の外に飛び出したすず。米軍の撒いた伝単が空に舞い、その空にはトンボが飛んでいます。
“この国から正義が飛び去ってゆく。”
すずは、終戦早々に掲げられた太極旗を見て悟ります。
「・・・ああ、暴力で従えとったいう事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。」
太平洋戦争において、日本には大義があったという主張も耳にします。そして、当時の欧米とアジアの状況を踏まえるならば、その主張にも一理あるように思います。
しかし、確かに、どこかで、何かを間違ったのです。
日本が無くしていたものとは、一体、何だったのでしょうか。“正義”の御旗は、なぜ簡単に飛び去ってしまったのでしょうか。それを持っていた手は、いつの間に朽ち果てていたのでしょうか。
いろいろな考え方があるでしょうが、この漫画の別の個所に、示唆的な場面があります。
冒頭で紹介した場面からさかのぼり、まだ戦争中、すずの幼馴染で、水兵となった水原が、すずの嫁ぎ先を訪ねます。そして、すずと2人きりの時間を得た水原は、すずに言います。
「軍人は命を懸けて戦うもんじゃ。これも当たり前のつとめじゃ。ほいでも、ヘマもないのに叩かれたり、手柄もないのにヘイコラされたりは、人間じゃのうてワラやカミサマの当たり前じゃないかのう。わしはどこで人間の当たり前から外されたんじゃろう。」
「すずがここで家を守るんも、わしが青葉で国を守るんも同じだけ当たり前の営みじゃ。そう思うてずうっと、この世界で普通で・・・まともで居ってくれ。」
人間としての誇りを懸けて、“正義”の御旗を手に持ったのかもしれません。しかし、人間は弱い。力を握ったその時から、次第に自分がカミサマのように思え、他人をワラのように扱うことが、人間の当たり前を外れたことが、当たり前になってしまったのではないでしょうか。
人間であることを長らく忘れていたその手に、逆境においてもなお“正義”の御旗を持ち続ける力は無かったのでしょう。
自虐的なワラである必要はありませんが、他者をワラのように扱えるカミサマになることを望むなら、それもまた弱さでしかありません。
普通の人間でいられる強さが、何よりも大切なのだろうと改めて思いました。
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