人の不幸は蜜の味 | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

人の不幸を喜ぶことは悪徳とされますが、同時に、人間の持っ逃れ難い性のようにも思います。
だからこそ、その性が暴走しないように、きちんと向き合い続けなければならないのでしょう。

しかしながら、現実にはその反対に、人の不幸を望み、それを喜ぶ大きな力が徘徊・暴走する場面が増えてきているようにも感じます。
この力の持つエネルギーは凄まじく、標的にされた人間は簡単に蹂躙され、最悪、生命の危機に陥る可能性さえあります。

また、直接他人を不幸にするだけの権力を持った時、自分と合わない人間を不幸にしたい欲望に、人は容易に溺れてしまいます。
そして、政治システムを通じて、人を不幸にすることに酔いしれる権利者と、人の不幸を喜ぶ有権者の利害が一致したとき、強固かつ醜悪な社会が生み出されるのではないでしょうか。

政治には必ず利害関係のしがらみがまとわりつき、誰かの利益が他の誰かの不利益になることもしばしばです。
しかし、少なくとも、誰かを不幸にしたいという願いを持って政治に関わってはならないと思います。

(追伸)
仕事で今年度2回目の横浜でした。

やはり、独特の雰囲気がよいですね。