そういった中、日本で、世界で、新自由主義による競争の激化がみられますが、果たして社会は発展しているでしょうか。
思えば、私が子供の頃から「これからは競争の激しい、厳しい世の中になる」というようなことが言われていた気がします。
しかし、そこで言われている競争は、誰かが設けた小さなスタジアムの中で、相対的な優劣を競わされるようなもので、ただただその誰かに認められるための窮屈で無味乾燥なものに感じました。
このような競争は、自ずと蹴落とし合いを招く陰湿なものとなります。
競争が人間の本能としてあるとしても、それだけが人間を形成しているわけではなく、様々な側面から成り立っています。
だとすれば、競争だけを至上視するのではなく、全体として望ましい人間社会を実現するために、一側面である競争を統制する必要があるのではないでしょうか。
しかしながら、無味乾燥な競争に慣れすぎた、あるいは、疲れすぎたのでしょうか。
競争の先にあるべきものは全く見えず、どんな残酷な不幸も対処すべきものではなく、競争の結果として、諦められ、正当化され、見捨てられています。
競争の先を描くことがもはやこの社会でできないとしたら、陰湿な競争の果ての滅亡を待つしかないのでしょうか。
(追伸)
埼玉県のミュージアムスタンプラリーで草加市を訪れました。
松尾芭蕉の奥の細道ゆかりの地、歴史の痕跡が伺える街はいいものですね。


