人を相手とせず、天を相手とせよ。 | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

大学時代の恩師が、節目節目によく言った言葉があります。それが「人を相手とせず、天を相手とせよ」であり、西郷隆盛の言葉をほんの少し変えたものとのことです。


時に人は嫌な相手と接しなければならない時がありますが、それが世の中のためと思えば何とかなる。目の前の嫌な相手ばかり見るのではなく、その相手の背後にある、より大きな天を見ることが大事だと、そのような意味合いで使われていたと記憶しています。


このことは、嫌な相手と接する場合に限らず、大切な教訓として当てはまるものではないでしょうか。


先のイラク人質事件は極端な例にせよ、人が死んだとき、苦しんでいるとき、特にネットで、「自業自得」や「お前が悪い」などという言葉が安易に投げられている気がします。また、何か問題が起きたとき、「誰が悪いか」ばかりに議論が終始して、人を責めることばかりに熱中している状況があるように思うことがあります。


しかし、社会の幸福を考えたとき、より大きな「天」を考えたとき、それでいいのでしょうか。


自業自得だろうと何だろうと、人は幸せな方がいい、幸せな人が多い方がいい。人を責めることに終始するより、深刻な問題から社会や人を解放する方法を考えた方がいいはずです。綺麗事かもしれませんが、難しいことかもしれませんが、「天」を念頭に置くだけでも、何か変わるような気がするのです。