「賛成」と「容認」の間 | “迷い”と“願い”の街角で

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前原氏が民主党代表となったことで、憲法改正への動きが加速しそうな昨今です。それについて、当然ながら、三回に渡り独自の憲法改正案まで発表してきた読売新聞は非常に歓迎しています。そして、読売が改憲を主張する際によく言うのが、憲法改正賛成が多数となった世論調査の結果です。


しかし、そもそも世論調査の結果というものも絶対ではありません。とりわけ、憲法9条の改正の賛否を問う調査において、各新聞において結果に大きな差も見られます。また、何度かここでも触れたように、読売自身の調査でも、集団的自衛権の行使については、反対が賛成を若干ながら上回りました。改憲の世論が多数であることを再三主張する読売は、この結果については全く触れることはありませんでした。


ところで、少し違った見地から話をすすめましょう。「憲法改正に賛成か反対か」という質問の仕方に対して、疑問が呈されることがあります。何か問題がある部分について具体的に賛否を問うならまだしも、少ないとはいえ前文のほか103もの条文を有する憲法をひっくるめて「変えるべきか」というのは、有益な結果を導かない、というものです。


私も上記見解に賛成です。そして、ここで注目したいのは、「憲法改正に賛成」という回答の持つ「意味」です。普通に考えれば、「問題があるから変えるべきだ」という積極的な主張ととらえるべきかもしれません。個別具体的な事例についてならそう考えてもいいでしょう。


ですが、前述したような「憲法改正に賛成か反対か」という、包括的な質問の場合はどうでしょうか。改正すべきと思う点も、その理由も、どのように改正すべきかについても、かなりの幅が出てくるのではないでしょうか。さらに考えれば、「個々の条文のいずれかに何か問題があれば変えればいいのではないか」というような積極的な賛成というよりも「容認」というべき意見も含まれている可能性は否定できません。単純には解釈できない部分が、こういった世論調査にはあるように思います。