マナーに思う | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

http://www.sanspo.com/sokuho/0908sokuho045.html


このような記事がありました。どのようにお考えになるでしょうか。


車掌が電車内で携帯電話を使う人を注意しないのが気に入らずに、ダイナマイトに似せた物を7本、紙袋に入れ電車2両目のトイレに置いたというのですが、何とも微妙な構図です。


私は、これを見て、マナーというものを問い直す必要があるのではないかと感じました。


電車内での携帯電話の使用はマナー違反でしょう。車掌も注意すべきだったのかもしれません。しかし、それに憤慨して行われたこの行為は、より悪質です。マナー違反への憤慨で犯罪を行うというのは、一体どういうことなのでしょうか。


思うのですが、マナーというものが、自分の都合だけを基準に考えられてはいないでしょうか。自分が迷惑するから、マナー違反が許せない、という感覚が広がってはいないでしょうか。


マナーは、皆が皆のために守るものだと思います。決して、自分が気に入らないことを攻撃する口実としてあるのではないでしょう。それを履き違えると、今回のようなおかしなことになるようにも思えます。


マナーやルール、守られるべきものです。しかし、それは皆が幸せであるためのものです。まずはわが身を振り返り、自分のなすべきことを冷静に問わねばならないでしょう。