さて、「広島・昭和20年8月6日」を見て思う二つの示唆のふたつめです。
一人一人の市民などの目から戦争を描いているという点が顕著で、登場人物の生き方、生き様をかなり念入りに描いているという点を特徴として挙げましたが、これにより、イデオロギー対立を超えた反戦の訴えをすることができる可能性があるように思うのです。
現在の日本、特に昨今では、平和の主張=左翼という図式がやや強固に定着しつつあります。これは、戦後日本において、反戦平和運動が、主に左翼勢力を中心に行われてきたと同時に、左翼勢力の中心的主張が特に現在では、この反戦平和にあるからのように思えます。
しかし、このことは、ある深刻な事態を呼び起こしているように思えます。ありとあらゆる反戦・平和の訴えを左翼イデオロギーの主張として、排斥される可能性です。極端な話、反戦平和にとどまらず、人権や人間、命の尊厳を語ることさえ、左翼と一蹴されてしまうこともありうるでしょう。
ですが、人間の生命の尊厳、平和に生き幸福に暮らすことの大切さは、少なくとも単純なイデオロギーのひとつではなく、普遍的な価値を持つもののように思えます。政治的イデオロギーを通してでなく、出来る限り純粋にこれらの価値を語ること、それが今大きく欠けていると同時に最も求められているのではないでしょうか。
では、出来る限りイデオロギーを排して生命の尊厳を語るにはどうしたらよいのでしょうか。ひとつの答えが、この「広島・昭和20年8月6日」をはじめとしたドラマがよく使う、一人一人の市民などの視点ではないかと思います。誰もが送るような普通の日々を生きる人間の視点から描くことで、政治的対立を介せず、その価値をとらえることが、少なからず可能となりうるのではないでしょうか。