衆議院選挙 | “迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

衆議院議員選挙は、ご存知の通り自民党の圧勝となりました。しかし、この状況は、喜ぶべきことなのか、むしろ悲観的な要素が強い気がします。


悲観的な要素としては、二つの点を挙げることが出来ましょう。ひとつは、自民党勢力の強大化した中での政治の方向、そしてふたつめは、政治をめぐる国民意識のあり方です。


まず、ひとつめですが、自民圧勝の下、当然郵政民営化はなされるでしょう。これは国民の多くが支持したこと、それはそれでいいかもしれません。しかし、多くの人が指摘するように、政治課題は山積しています。今回の選挙で自民党は郵政のみに争点を絞って戦い勝ちました。よって、小泉流改革が、全ての分野において今回の選挙で支持されたわけではないといえます。しかし、この状況では、自民党が、他の分野でも、やろうと思えば、自民党が望む改革を押し切れる可能性が高いでしょう。小泉流改革の基本的な流れは、悪く言えば、極端な話、弱者切捨てによる効率化にもつながりかねません。今後の動向が気になるところです。


ふたつめは、今回のような結果を導いた国民の投票行動です。さて、現在の政治状況下で、自民党は大勝できる、大勝すべき政党だったのでしょうか。確かに、民主党はやや頼りなく、代わる政党もないのなら、自民が勝つことはあったにせよ、ここまで実際支持されてよいものでしょうか。そんなに、自民党は評価され期待されているのでしょうか。


今回の自民党大勝の理由として、小泉純一郎のカリスマと主張のわかりやすさが挙げられています。しかし、この理由から大勝したとすると、これも微妙なところです。個人のカリスマが政治をよい方向へ向かわせるとは限りません。また、確かに主張が分かりやすいに越したことはありませんが、本当に現実の問題が、そんなに分かりやすい単純な方法で解決されるのでしょうか。分かりやすい主張が、実際良い主張であるともいえないでしょう。すると極論、今回の大勝について、自民党の主張内容や実績がどれほど考慮されているのかという不安も感じます。


小泉首相の解散に端を発し、造反・刺客といった言葉が踊り、多くの国民を投票に向かわせた今回の劇場型選挙ですが、今後に不安を残すものです。国民は、劇場型政治の単なる観客ではありませんし、あってはなりません。国民は、選挙を通じて国のあり方を決める権利があり、それはやがて自分に返ってきます。国政のあり方を自分たちが決めるというプライドを持って、政治を考えるところから始める必要があるように思います。