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『派閥』って何?
『派閥』と言う言葉から想うこと
「排他的」集団、
『派閥』は国政の世界には不要!!!
~私の想い~ by入道
日本人は3人集まれば派閥ができる人種である。
イラストはYAHOOイラスト無料より
かつてどこかで聞いた言葉です。
『派閥』とは
●出身や利益を共にする人々がつくり、「他と対立する
集まり」だということです。
・集団の内部において出身や縁故、特殊な利権などに
よって結びついた排他的な集まり(大辞林 第三版)
・ある集団の中で出身、資格、利害、主張、好悪などを
共通にする者が集団全体の動向に影響を与えるため
に形成した小集団。特に政党内の私的な人的結合を
党の合理的な意思決定、実際行動、人材配置を阻害
するものとして派閥と呼ぶのが一般的である
(日本大百科全集<ジャポニカ>)
イラストはYAHOOイラスト無料より
多数意見と少数意見、多数意見「対」少数意見であるならば
わかるのですが、
ここのところの国会の動き、そしてそれを報道するマスコミ各
社の報道の在り方などから感ずるのは・・・
もしかしたら日本中が「排他的な派閥社会」になってしまって
きているのでは、と感じたりもしていますし、
単純に言うと『おかしいよ』と感じてなりません。
同じ政党の中の「派閥」だけでなく
同じ国会の中、としてみると単純、「政党」も『派閥』なんだと
私は想います。
でも!!
政界に置いては政党内の派閥と所謂「党」と言う名のおおき
な派閥では「排他的」と言うことに関して大きく異なっている、
と想うのです。
政党内派閥は最終的な「党」してのところでまとまり、行動も
ひとつになるのですが、政界に置いてのおっきな派閥である
(と、私は想っている)「政党」では最後の『日本をいい国にして
いく』と言う想いはたぶん「一致している」はずなのに
現実の動きに置いてはそうはいきません、
そうはなっていません。
反対のための反対の積み重ねとなっています。
派閥なんだから「他と対立する」ことが必要なのか・・・・・」。
違うと想うのです。
おかしいと感ずるのです。
その「おかしいよ」の入り口はすごく単純。
みんな日本人。
日本の明日のために」「明日の日本のために」は少なくとも
「共通のものさし」を持っているんだと想うのです。
「日本を良くしていきたい」「日本をもっといい国にしていきた
い」同じ意識なのではないのでしょうか。
『日本を国際社会の中のGood Countryにしていく』と言うこと
では、正解は本来的に「一致」しているはずのものだと想いま
すと何か、先の定義からして「排他的」を前提とする派閥が
政界に存在することは納得できない、
正に「おかしいぞ」となるのです。
大勢の「にんげん」がいれば「意見の違い」「意見の食い違い」
は絶対にあることだと思います。
なぜなら一人一人の人間は異なる存在なのですから。
しかし、重要なのは前記しました「Good Country」のような
『大きな方針が共有できているのか、掲げられている方針に
共感できるのか』であり、そこに行き着くまでの実現行動を
どうとるのかと言うことにおいて『のみ』「意見の食い違い」
があるのであれば、むしろそれは『組織として喜ばしい状態』
であるといえるのだ、と思います。
昨今の政界の動きから・・・
法律各論ではなく『日本と言う国をどんな国にしていきたい
のか」「どんな国でありたいのか」
この入り口部分をしっかりと議論して欲しい、議論するべき
なんだと感じてなりません。
『多数派と少数派』。
この色分けは永続的なものではなく少し長い目でみれば
「瞬間的」なものであると想います。
この色分けが「絶対的」であるという人は『世の中が動いて
いる、世の中は変化するものである」と言うあたりまえのこと
を忘れていると私は感じます。
と、すれば今は少数意見であっても、それが多数意見となる
可能性を持っている訳であり、従って、私たちが意思決定す
る際にはそのことをいつも心の選択肢に入れておかなければ
ならない、とも思うのです。
会社組織でも同じです。同じだ、と私は想い続けてい
ます。
組織で必要なのは
『大きな方針(exこんな会社にしていきたい)
の共感を大前提として、
その実効策の決定にあたってはむしろその時点での
少数意見を自らの意思決定にあたりきちんと確認して
おくこと』であると思います。
イラストはYAHOOイラスト無料より
『大きな方針の共感』
『共感された大きな方針』の存在を前提としての
「多数意見と少数意見のGood Mixing」です。
くどくなりますが
「反対のための反対は多数派にしろ少数派にしろ、絶対に
やってはいけないこと」なんです。
なぜなら
その瞬間に「大きな方針の共感が消える」てしまう、残るの
は「自分達」だけなんですから。
だから・・・・
「うん???おかしいな」「へんだぞ」と感じたら、その時(少数意
見の時)に大きく口にすることを全員に要求しなければいけ
ないんだと想うのです。
但し!!!!
ただ「やだよ!!」なのではなくどうして異なる視方、考え方、行動
の仕方を考えるのかを
「決して感情100%で言うのではなく、背景と共に
『代替解決策』をもきちんと理論立てて
表現すること」が必要になります。
それが組織人としての「役割」であり、それができるこ
とに『組織人としての生きがい』を感じられる時なのではないの
でしょうか。
多数意見と少数意見とが「お互いに相乗的に機
能を発揮しあう組織体」でありたいと想うのです。
そのためには・・・・・
改めて大きなところでの心の一致点、
『日本を良い国にしていく』この『良い国日本』を
より具体的に、箇条書きでも構わないと想います、
わかっているつもりを一旦勇気をもって捨て去り、
それぞれが明確にしていき
一致する「ありたい状態」を早く共有していくこと
である、
難しく賢く(賢そうに!!)抽象的に言葉遊びで考える
のではなく優しく易しく、一人ひとりの日本人の心
に感じられるものにしていくこと!!!!
そう想うのですがどうでしょうか。
今回も最終行にまでお目を進めていただきまして
ありがとうございます。
これまで意識的に「政治」に関することはブログで
触れずにきていますが
ここのところの国会での動きそして
マスコミ報道をみていて「日本大丈夫なのかな」と
感じてなりません。
それは
政界だけでなく、
「全てにおいて排他的」
それが今の日本であるような
動きとなっている、と感じましたゆえに。
「これしかない」「自分の想いと違うのは全て悪・間違い」
昨今のマスコミの報道にも
こんなことを感じさせる内容での
報道が多い、と感じています。
で、あるならばどうでしょうか、
新聞・テレビ・雑誌・・・・
報道する前に「自社の立場を明確に打ち出したうえで
報道をする」ことで読者、視聴者・・・
情報の受け手に「選択」をしてもらうことを
するべきなのでは・・・・・。
そうでないと
たまたま読んだ新聞、視たテレビ・・・・での
報道が「全て」と想ってしまうのですから。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)

