『人生』そして『一生』==ひとりの人の生==~私の想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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ちょっと間があきました・・・。


前回の更新は8月17日の「お盆明け」に『お盆』に対して私の『想うこと』を

書いています。


  お盆とは

    自分が今日、この時を正に生きていることを父母そして

   祖父母・・・・・ご先祖様に『感謝する日』


私のお盆に対する上記の勝手な自己定義を書きました。


今回は

そんな「想い」の源となった(なっている)『人生』そして『一生』と

言うことに対してのこれまた私の勝手な「想い」を書いていきたい

想います。



       

 『人生』そして『一生』って何?

    想いの形成ワードそれは

      「一人」の人の「生」

     ~変わらない私の想い

                        by入道



『「一人」の人の「生」』。

人生』そして『一生』ということに対しての私の想いは

ある時に単純にノートに書いていた上記した短い短い

文章が形成してくれました。


難しく考えることはなく、

人生』も『一生』も、ありまえのことなのですが「人が

生きること」なんです。そう行き着きました。


      


冒頭に書きました、の人の」。


この短文から「」と言う字と「」の文字を連ねれば

 『人生になりますし、

「ひとり」の「」と「」を連ねると『一生』と言う言葉に

なります。


人生」と言う言葉そして「一生」と言う言葉は共に

人の「誕生」から「死去」までの間』のこと。


人生そして一生・・・・・


よく『自分の人生』あるいは『自分の一生』とか言います

私はある時(今日書いている想いに行き着いた25年

前の1990年)

      

   ん???不思議だよな。


      自分の人生とか自分の一生とかの表現を

      するんだけれども

      人生あるいは一生の一番初めの「誕生」と

      一番終わりの「死去」・・


      初めと終わりは『自分の意思ではできないこと』


      自分の意思で早くしたり遅くしたり

                     止めたりできないこと」


      『自分の想いを働かすことができないこと』。


これで自分の『人生』『一生』って形成されている。


このことに対してとっても「不思議」と感じたのです。


           


人生そして一生のスタートとエンドは自分では誕生そして

死去の時を延ばしたり、自分の意思で決めることはできない

ものです。(死去は自然死を想定しています)


   でも!!!!!!!!!!!!!!!


誕生と死去の間のたくさんの時間については

『自分の想いと動き』で創造していける、形成していける・・・

自分で考え自分で動かないのは「もったいない」・・・

そう想ったのです。


そんな想いに行き着いた、のです。


誕生と死去の時は自分で決めることはできないけれども

この二つ、スタートとエンドの『間』については、自分で

形成していける・・・・

人生あるいは一生の大半、ほとんどが「自分で形成していけ

る」んです。

(「間」とはいますが、現実的には幼少期を超えてある程度の分別力が身につい

てから、となります)


そのためには『自分で自分の人生目的、一生目的を明確に

して、それを実現していくために何をすることが必要なのか

を考え、考えたら沢山の人たちの助けをもらいながら行動

していくこと』⇔「こうどうしていくこと」⇔『考動していくこと』。


これが私のその後の変わらない自分の「人生ものさし」と

なりました。



       今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

                 ありがとうございます。


              人の一生の始まりと終わり

          その人の人生の始まりと終わりなのに

            その人の意思は一切働かない


         自分の意思が働かない「誕生」によって

            自分の「一生」「人生」が始まり、

        自分の意思で延ばすことのできない死去で

          自分の「一生」「人生」が終わる・・・・・・・・


       本当に不思議、この想いは今でも変わりません


          こんな気持ちから「生かされている

       「生かしてもらっている」の想いに連なります。



   25年前の1990年に上に書いたような「自己整理」?の時

  ちょっとだけ「動物の『生』について勉強しましたが」止めました。


     人間を誕生させたのは何か、にまで行ってしまうんです。

     「人間はどうして誕生したのか」にまで行ってしまうんです。


              止めてどうしたのか・・・・

        人間とか人類とかの起源を考えるのではなく

            「自分の誕生」を考えればいい

                  すごく単純

               父と母の存在です。


         父と母にもまた「誕生」がありますが

 どんどん遡ることなく「父そして母」に留めた方がいい、とも思いました。

      (現実の生活を考えると祖父母までなのでしょうか!?)

    

        父と母が「自分を誕生させてくれた」のです。


           あたりまえのこと、ですが

          いつも「感謝の気持ち」と共に

        心に置いておきたいと思います。


              ありがとうございます。 

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道 (入村 道夫)