心の内からバリアフリーに「標準」を見直せ~私の想い。かつて自分自身への投げかけ言葉<27~29> | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

自分が属する組織の人たちは「みんな仲間」。

仲間の私なりの定義は簡単。


助け助けられができる人たちの集まり

これだけです。


そんな想いの私・・・

沢山の仲間のみなさんに支えられてほぼ15年

間、国内外のいくつかの会社で社長を務めさせ

ていた時にとてもつらかったこと、悲しくなった

こと自戒含めてひとつあります。


それは仲間からいわゆる「うつ症状」の人を出し

しまったこと・・・・。


すごく悩みました。たくさん考えました。


         (無料イラストボックスより)

何がいけなかったんだろうか、どうしたらいい

んだろうか。


そんな深い悩みの中で私自身として「うつ」って

なんだろうか、どうして発症させてしまうのだろうか

・・・を考え、全く医学的ではありませんが一つの

気づきに出会い、以後、その気づきを「想い

として、いつも自分の心に仲間と接し続けてきまし

た。


今回はちょっと重いテーマなのかもしれませんが

組織を考えそして組織の一員として活動して

いく時にとても大切なこと、と私は思っております

ので私が想ううつ」と言うことに関して私の想いと

それに至った私の思考回路、気づきを書かせて

いただこうと思います。


かつて自分自身への投げかけ言葉<27>


     「うつ」って何?

  「うつ」は人間が創りだした

 たくさんの「標準」が原因なのでは

                by入道


 
      


  「うつ」は「肩書き社会適応ストレス」?


「うつ」になってしまった人たちは現実からの

離脱、なのではあるが決して「社会」からの

離脱なのではない

しかも、実は「現実」からの離脱でもない。


現実の社会にはたくさんの「標準」が人に

よって創りだされ存在している。


この標準からの離脱」、だけなのである。


社会で生きることはほとんどの場合、先ずは

その人本来から、なのではなく肩書き(性別・

年齢・社歴・役職・・・)で観てしまうことが

「慣れ」(慣習)になってしまっており、その肩書

きから「標準」を心に想い描いてその「標準」で

その人をみてしまう。


「うつ」はこんな肩書き社会からの離脱、だけ

のではないのだろうか。


社会で生きていくことからの離脱なのでは決し

ないそう想います。         by入道



上記の「想い」に至った自分のひとつひとつの小さ

ないくつかの「想い」を書いてまいります。

私は「だから」と自分のこころに「だから」の3文

がよぎった時には要注意としています。


だから、女だから、長男なんだから、新入社員

なんだから、もう3年目なんだから・・・

仕事だから、課長なんだから、部長なんだから・・

或いは高齢者なんだから、そして障がい者なん

から・・・・


組織(たくさんの人が集まって形成している群れ・

集団)には、実にたくさんの「だから」が実の言

しなくとも人々の心に存在している、のです。


そして多くの場合、「あの人は~だから、●●●

しなくちゃいけない」、「~なんだから○○○でな

ればいけない」と続きます。


この「だから」を心から消し去ることがとっても

大切ことだと私は思っています。


後程、触れますが

この「だから」の想いを消し去ることこそが必要

それこそが「心のバリアフリー」となると思い続

けています。


社会を優しく優しくしていくために必要なこと、

難しくはないと思います。


「心の中にあるバリアー」を消し去ることです。


なぜなら「だから」の次に連なる言葉は「~しなくて

はいけない」MUST DOとなります。


「~だから○○○しなくてはいけない」。


この組み合わせが「標準」ともなるのです。


     

相手を主体とする時にふたつの言葉が出てしま

ます。


「貴方は○○○なんだから◇◇◇できなければ

いけない」

「あの人は○○○なんだからあなたは◇◇◇しな

ければいけない」。

       

だめなんです!!両方共、後ろに続く言葉は

MUSTなんです。

私はMUSTではなく「WISH」の心でい続け

たいと思います。


突き詰めて言い切ってしまいます。


職場だけて「いい人」であってはいけないし、

私生活だけ活き活きしていてもいけない、

んです。


単純!!

私たちは会社員とか学生とか、「○○○だから」の

○○○以前に「みんなにんげん」なんです。


24時間365日

「にんげん」でい続ければいいんです。

「にんげん」でい続けたいと強く思います。

      

仕事だから」、これも「心のバリア」なんです。


同じように
「高齢者に席をゆずる」、これは「譲りなさい」、

「譲らなければいけない」となり、MUSTです。


「ほらあの人はおじいちゃんなんだから」

「あの人は足が悪いんだから」・・・・

強制的に教えられてきませんでしたか。


必要なのは「強制的」ではなく

同じ読み方ですが「共生的」、ここから出てく

自然な「WISH」の心なんです。


「譲らなければいけない」の心ではなくて

譲ってあげたいな」・・・・・の心からなんです。


そう想います。


「障害者」が「障がい者」と称されるようになって

まだそんなに時間が経っておりません。

     

「障がい者」もこれまた「人間が創りだした『標

準』に適合できない人」と私は感じ続けておりま

す。


人間が勝手に?作った「生活標準」に適用できな

人を「障がい者」と称しているだけなんです。


「普通の人ならこの10センチの段差であれば

問題なく登れるはず」!!!

これができない人を「障がい者」としているだけ

なのではと私は想います。


ものさしは「人間が創りだしている」んです。


この標準って奴は

動作(機能)+時間」で成り立っている、

私の想いです。


「普通のひとなられは5分でできるはず」

「入社3年目なら○○ができてあたりまえ」

「普通のひとならこの階段はのぼれるはず」


これが社会生活での「標準」なんです。


今の状況での嫌な言葉だと私は想うのですが、

「おちこぼれ」とか「障がい者」と言われている人

たちは一定の時間内で決められた手順の工

での作業遂行が困難な人

なのだけ、ではないのでしょうか。


そして、そのものさしは「普通の人」とこれもまた

よくわからない基準から成り立ってもいるので

は?

かつて自分自身への投げかけ言葉<28>

社会の物理的バリアー(ハードバリアー)は

 心のバリアー(=人間)が創りだしている。

「障がい」だけではない!!学校の場、ビジネス

  の場にも(=社会全体に)似たような標準が

         はびこっている、

   この現実を直視していきたい、と思う。

                    by入道


そんなように考え見ていくと組織(家庭・学校・地

域・会社・・・・社会)にはバリアーだらけ、だとも

思っています。


バリア―はなくせない!??


そんなことはありません。

社会バリアーは人間が創りだしている

のですから人間がなくしていけるはず

です。


ちょっと前後しますが、バリアーは人間が創りだ

したものこの私の想いの入り口で気付きを与えて

くれたのが「Barrier」(バリアー)、この英単語で

した。

     

私の得意のやり方でこの単語を分解いたします。


    Barrier=Bar+(i)er

Barは「障害」「遮断棒」そして(i)erは「~する

ですから、バリアーBarrierとは

      「邪魔する人」とか「遮断する人」。


私は瞬間的にそう感じとりました。


邪魔しなければいい、んです。

通せんぼしなければいい、んです。


それだけでないのでしょうか。


バーを掲げて「通れる人」と「通れない人」を

人間区分けしているんです。


できない人を社会では「落ちこぼれ」とか「障がい

者」と称してしまっている・・・・・・


おちこぼれとか障がい者の言葉自体をなくして

しまいたい

素直な私の想いです。


この人は「○○時間で◇◇できない」で分類?

してしまっているんです。

人間が人間を分類するって変じゃないでしょう

か。

人間は人間」これでいいじゃないですか。



太っている人もいれば痩せている人もいる、

足の速い人もいれば遅い人もいる、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いろんな人がいて「社会」が成り立っている

だから「できない」そこだけを決めつけるのではな

く、ひとつの特性=個性=らしさ」として感じれ

ばいいだけ、そう想います。

    

昔むかし、KDDIのコピーの一部を気に入りメモ

していたものが今も手許にあります。


「いろんな人がいる、

   いろんなことがある、

       だから地球は面白い」


人間が創りだした「たくさんの「バー=遮断棒」で

「できない人」と区分けされてしまう人たちを

社会で生活しにくくしているのは

人間が創りだしたバリアー」の存在なのです。


だから

「社会のバリアーをなくしていく」、

本当のバリアーフリー」が社会に必要なのだと

思います。

でも世の中で言われている「バリアーフリー」は

物理的バリア―」を少なくしていく動き、

例えば階段脇にスロープを設けるとか・・・


最初からスロープにしておけばいらない作業

(後述のこころのバリアフリーがあれば不要の

作業)です。

       

でも私は

そんなことではない、と思います。



「ものさし」の目盛をかえませんか!!


かつて自分自身への投げかけ言葉<29>


       


 できないことをさがしだすのではなく

     できることをみつける

 できないことをメモリにするのではなく

    できることをメモリにしよう

             by入道

そして今一つ。


他人と比べないこと』です!!!!

比べるのであれば

その人の昨日と今日、今日と明日

昨日までできていなかったことで

今日できるようになっていることは・・


      


そんな心で一人ひとりと相対していけばいい

のだと思います。



相手に合わせて。

相手の心に合わせて。

「適度の基準」は一人一人異なります、

だから

「標準は一人一人のもの」にしたいと思うのです。


   今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

           ありがとうございます。

         ひとり一人は異なる存在、

    だから一人一人への接し方、語り方は

         当然に異なるもの、

    こんなあたりまえのことを人間は忘れて

            しまいがち。

 世のなかに、家庭にも、そして会社にもたくさんたんさん

  人間が勝手に創ってきた「標準」が存在しています。

     そんな「標準」のものさしをぐっと低くするか、

             無くしてしまい、

ひとり一人の「ものさし」(会社であれば成長へのものさし)

    を「その人と一緒になって創造していけばいい」

           そんな自分の想いで

    沢山の仲間と接してきた「つもり」なのですが

             どうでしょうか。

           「まだまだ」ですね。

          ありがとうございます。

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)