日本人の心の変化とはやり歌の変化は相関あり?~私の想い。かつて自分自身への投げかけ言葉22~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

世界が憧れる日本、そして世界の人たちが

憧れる日本人。


そんな状況を改めて現実にしていきたい、

そのためには日本人一人一人が自分が働い

いることに誇りを持ち、日本人の集団(=国)

生きていることを「いいな」と思うこと・・・・

前回のブログに書かせていただいたことですが

本気でそう感じております。


かつては、そうだったのでは?


生活は貧しかった、

一億総中流と表現される以前、物的な豊かさに

ついては貧しい状態であったにも関わらず、みん

なが「自分が働くことで今日より豊かな、今日よ

も良い状態の明日」を目指して動いており、

世界でも「MADE IN JAPAN」がひとつの

ブランドにもなっていた。


朝から晩まで、働くこと、働けること自体に嬉しさ

感じて「家族の明日のために」汗を流し続けて

いた父母。


そんな時を今の人口ピラミッドの最大部分を占め

いる私たち所謂、団塊世代はみんな経験してき

います。


そんな感覚から昨今の日本を、日本人を改めて

見つめていくと・・・・・・

前回のブログのような想いに突き当ります。


単純に表現してしまえば、

日本人一人一人の心の状態』が大きく変わっ

きたのだ、と思います。


『日本人の「しあわせのものさし」が、がらりと

変わった』のです。


だから、単純!!!

心の持ち方を変えていければ、また世界が憧

れる日本、日本人になっていける、とも思うの

です。


日本人一人一人が心を変えて行けば、「想い」を

変えていくことで憧れの日本人、日本になって

いける、と想い続けています。


日本人が「しあわせのものさし」をしっかりと考え

自分の行動にもあらわしていく、この一人一人の

ひとつひとつの動きの積み重ねで変えていくこと

ができる、本気でそう考えてもいます。


決して、GNPを大きくしていくとか、統計的な国力

を挙げていくこととの相関ではない、と思います。


そんな日本人の心の変化を考えていたある時に

ふっと自分心に浮かんだことがあります。


それは、「流行歌(はやり歌)」の変化に見ること

できるのでは、と言うこと。


もっと言い切ってしまうと「演歌の衰退と共に日本

らしさの心が変わってきている」「日本人の心

の変化が流行歌(はやり歌)に現れている」ので

、と言うこと。


「しあわせのものさしの変化」が「流行歌(はやり

うた)を変えて行った」。そう想いました。


今回は前回の続き的にそんな私の想いを書いてい

こうと思います。



自分自身への投げかけ言葉たち<22>


   演歌の廃れ(すたれ)と共に

    日本人の心が変わった?

     日本人の心の変化が

   演歌の廃れ(すたれ)に現れた?

  心の豊かさにこだわりたい!!!

      ~会社経営にも言えること~

                   by入道


     


   日本の流行歌がどうだ、とか、演歌がいいとか、

   悪いとか、そのようなことを言う気持ちは全くあ

   りませんし、そんな議論をする知識も私にはあ

   りません。


   ものすぐく表面的なことを取り上げることに

   なりますがお許しを。


演歌・・・多分1980年代の後半から廃れてきてい

るのでは、と感じます。


カラオケブームが世の流れになった頃、歌って

いたのはほとんどが演歌であり、ムードコーラス

、歌謡曲だった、

ちょっと気取ったような時にプレスリーとか洋楽?

を・・・・・なんて、そんな記憶があります。


演歌は歌詞が大切。

個人的にそう感じてもおります。


      


取り上げられている内容は・・・

「海」「酒」「涙」「別れ」「失意」「恋」「女」「雪」

「北国」「旅」・・・

これらを「男女とか家族とか友人とか、『人と人

との関係』を絡ませて歌にしていく」

「切ない心」とか「明日のために」とか、今はしん

どいけれども明日のためにあなたのためには

・・・・


私なりにまとめると

小さな幸せを求め続けての旅

  出会い探しの旅

   今の悲しさ、しんどさの『向かう』に何を

   求めていくのか、を探し続けて行く


しんどさ、悲しさの向こうには

    きっと小さいけれども「幸せ」がある


●自分の幸せをものさしとするよりは

       相手の幸せをものさしとする

   そのために自分は身を引く


悪いのは貴方ではなく、・・・。


●あなたのしあわせのために私身を引きます・・


●「人情


●ちょっとずつ幸せになろう


等身大の幸せ


●私だけでなくみんないっしよ


・・・・・・


そんな構成でできているのでは、と思います。


正に一時の日本そして日本人の心の状態と

イコールだったのでは。


そうです、想い出しました、

言われていました、演歌は「人生の応援歌」とも。


ガンバレバ、身体に汗して働けば、「ちょとで

今よりもいい生活ができる」「ちっちゃな幸

せを実現できる」・・・・

演歌の歌詞そのものであった、演歌が自分たち

の応援歌であったのだと思います。


多分なのですが、一億総中流と表現される日本

になっていく過程で

演歌の歌詞と現実の自分達の生活感が一致

しなくなってきたのが演歌衰退に連なったの

ではと想うのです。


べつにガンバらなくても

誰かが面倒を見てくれる、面倒を見てくれなくて

おかしい・・・

そんな社会になれば

「自己犠牲?」「先にしんどさ悲しさあり」は受

入れられなくなったのでは。



    


そして

小さな幸せを感じることができなくなってしまっ

日本人がいる、と感じています。


日本人の「しあわせのものさし」の変化。

もしかしたら、

「しあわせのものさし」が無くなってきている

のかも・・。


昨日できなかったことが今日はできるようになっ

た、昨日よりもおいしいものを食べられるように

なった・・・

ガンバって働いて○○を買うことができた・・・

このようなことでは満足できなくなってしまって

いる、

自分よりももっといい生活をしている人がい

これが何か「ものさし」になってしまっている

ように感じてなりません。


だから自分は昨日よりもちょっと良くなったこ

とに満足することなく、

「もっともっと」を際限なく追い求めている日本


多分、自分でも「どんな状態になったら満足・しあ

わせ」なのかのものさしを持っていないのでは、

単純に「いい生活をしている人」と「自分」の比較

で終えてしまうようになっているのでは、とも想う

ことがあります。


そして「お金」が「ものさしのすべて」になりつつ

あるのが日本なのかも、と感じることもあります。


しかも

「何のためにお金が必要なのか」「何を買うため

に○○円必要」なのか、ではなく

「とにかくお金、お金」・・・

そして、できたら「楽してたくさんのお金を得た

そんな想いの日本人が少しずつ増えてきて

しまっているのでは、とも正直に感じます。


寂しいです。


お金は手段。お金を得ることは目的ではない

です。

○○したいから××円、稼ぎたい、貯めたい・・

○○が人生の目的になりますし、働く目的にも

なります。


     

お金持ち=幸せ」となりつつあるような、そんな

社会潮流が今の日本にはあるように思えてなり

ません。


寂しい。




人間、ヒトとしてみれば行動には3つの動きが

ある、と学んだことがあります。


①本能的行動

②学習行動

③知能行動


私が大切にしていくべきと想い続けているのは

動物として、弱い=食べられてしまう側、の存在

である「ヒト」が生きていくための動き、それが

①の本能行動だと思っています。


これまでもブログに書いてきています、

「助け合って生きていく」これが本能行動だ、と

想うのです。

優しさ、です。


①が土台としてしっかり存在していて

②学習行動③知能行動が重なっていけば

いいのですが、どうやら今の日本では、土台で

あるべき①がどんどん小っちゃくなってしまい、

上に重なっていくべき②③がどんどんでかく

なってしまっている、

だから「ギスギス」とした社会に・・・・・


お金なくとも人と人とが支え合う、助け合う

ことで

活き活きと安心した生活ってきっとできる

はず。


なぜなら単純!!!!

お金は人間が暮らしを初めてかなりたってか

人間が生み出したしたもの、なのですから。


初めにお金ありき、ではないんです。


人と人の関わりがなくて

お金をたくさんもっていれば自分の人生は

万々歳、文句なし・・・・・

そんなことはない、と私は想うのです。


逆はあり得る、そうも思います。


しあわせのものさし」を

表だって語り合い、しっかりと形成していく、

そんな動きが今の日本には必要なのだ、と

言い切りたい、と思います。


ブータンの人たちの「しあわせのものさし」と

「今の日本人のしあわせのものさし」は

違う、のです。

ものさしが違うことを横に置いて「しあわせ」を

競うことには全く意味なし、です。


日本人のしっかりとした幸せのものさし」を

改めて形作っていくこと、それをしていくことが

私たち、大人の責任なのではないのでしょうか。


物的豊かさと心の豊かさの両立!!

心の豊かさを犠牲にしての物的豊かさ追求

動きをもう変えていく時、なのでは。


そう想うのです。


未来の日本人のために。

日本の未来のために。


私の想いです、がいかがでしょうか。


  今回も最終行にまでお目を進めていただきまして

          ありがとうございます。


  一昨年の紅白で美輪明宏さんのヨイトマケの唄

           流れていました。


     私、昔からこの唄を聴くと涙が流れます。


    私の両親も、いや世の中の大人たちみんなが

      「子供のためなら」「家族のためなら」と

     辛いしんどい仕事に年がら年中、汗していた

         自分の身体を削っていた、のを

       体験しているから、知っているから・・・。


     「貧しいけれども『しあわせの物差し』

     しっかりと持っていたのではとも思います。


       給料でたら、給料もらったら・・・

    正に家族全員が給料日を待ち望んでいて

       給料を持って帰ってきくれる父母に

           感謝していた・・・・・・


           今の日本の状況、

 私も属している団塊世代、大人の責任なのかな、と

         これも正直に思っています。


       「はたらくことを目的にしていた」

     「働いていることを言い訳にしていた」

      「忙しいこと=自分の存在価値」

              ・・・・・

   「子供の教育はすべて母親任せにしていた」

    そんな私たち大人の「つけ」が今になって

     日本の現実となっているのでは、とも

           感じるのです。


            だからこそ、

  一緒になって『日本人の「しあわせのものさし」』

      沢山たくさん議論し語り合いながら

        形成しなおしていきたい、

          生きている間に・・・・・

        そう感じております・・・・。


  楽して瞬時に設けることを目指すのではなく、

     汗を流して働くことに喜びを感じる

      ひとつの方向かな、と思います。


        ありがとうございます。

  にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)