(前々回そして前回からの「つづき」です)
●人間の生活を豊かにしていくための手段として
人間の「賢さ」がこの世に生み出し、どんどん技術
革新がみられている『IT(=通信+コンピュータ)』が
経済そして社会を「バーチャル化」「ゲーム化」して
しまっているような現実・・・・・
●では、どうしていくのがいいのでしょうか。
★私の想いは単純。
★前回も記させていただきました「欲望達成を
目的としてしまっている経済・社会を生活基準
の経済活動に戻していくこと」なのでは、と感じ
ております。
★欲望経済から生活経済に戻していくこと、
です。
●別の言い方をしますと
「あたりまえに戻るが大切」なのでは、
となります。
★「あたりまえ」とは何?
★私の想いはこれも単純です。
「にんげん」に戻ればいい、のだと思います。
★「人間回帰」、「ビジネス・事業なぜ産まれた
のか」を学問的に考えるのではなく、「にんげん
のあたりまえ」として心で感じとればいい、のだと
思うのです。
★社会もビジネス・事業は決して学問から誕生
したのではない、賢さが創りだしたものなので
はない、人間は「一人では生きてはいけない」と
言う、たったひとつの事実からの「優しさ」が創り
だしたものである、私の強い想いのひとつです。
(このことについては、かなり前のブログに書いておりますので
以下、ポイントのみの記載といたします)
●自分一人では生きていくことができない、誰
かが自分のために何かをしてくれることで自分
の「生」が成り立つ、自分の「生」のために誰か
が何かをしてくれたことに対して人間が発明した
「貨幣」を用いて「ありがとう」の気持ちを精算す
る、単純表現ですがこれが社会そしてビジネス・
事業・経済の成り立ちのスタートだと私は想い続け
★学問は「後付(あとづけ)」なんだと思います。
●そして、今一つ「価値」と言うことに関しての
日本人の考え方が偏りすぎている点です。
◆結論だけ書かせていただこうと思います。
「所有価値」から「利用価値」に戻していくことが
必要なのでは、「所有」から「利用」に日本人の持
つ価値観を変えていくことも必要かな、と感じたり
もしています。
◆「所有」も『利用」も『手段のひとつ』なんです。
◆だから、単純に「所有することを『目的」とする
風潮はおかしい」と想うのです。
◆でも・・・今の世の中は「所有することを『目的』
にしている」と私は感じます。
◆大きな借入を起こして無理してでも「所有するこ
と」を目的とするのではなく、「所有」が「利用」
(住宅であれば賃貸)よりも上、なんていつの間にか
染みついた「考え方・想い」がすべて、なのではなく、
場面場面・時によって「人生を楽しく豊かにしていく
ため今は何をどう利用していったらいいのか」
「所有することが自分の「人生目的を実現してく
ために本当に必要なのか」「所有でなく利用の方
が柔軟性において今はいいのでは」と言ったよう
なことをつど都度に徹底的に考えそして動いていくこ
とをあたりまえにしていきたい、と思います。
●日本人の『価値観を変えていくこと』なのでは。
◆そんな日本の社会に変えていくことがひとつ大き
な「変化」を生じさせると思うのですがどうでしょうか。
★そして、今一つの「おかしな現代の価値観」は
「働く価値観」だとも想います。
●現代の日本人、身体に汗して働くことを拒否
している、そんなようにも想います。
●みんな「楽して儲ける」仕事に就きたがってい
る、これでは「これから先、未来の日本の変革」
はできないのでは、と思うのです。
●狭い狭いといわれる日本、現実的に「遊休地」
はたくさんあります。
●農家・酪農家・・・やすみもなく朝から真夜中まで
働き続けても「食べていけない」現実、休みもとれな
現実が「日本国内の生産者を減らし続けている」
のではない、でしょか。
★一次産業で飯が食え、楽しい人生も重ねて
いける状態を実現したい、して欲しいと私は思い
ます。
●一次産業で働きたい、そんな人たちがたくさ
ん、こんな状況であって欲しいと思います。
●やれないのか、そんなことはないと感じます。
●現実に工場などでは24時間365日稼働もあ
りそれは「3交代制とかの工夫の中で休みもとれ
て楽しく働ける状況を創りだしたから」です。
●同じことを例えば酪農家でもできるようにしてい
くにはどうしたらいいのか、を考え実に変えていけ
ばいい、のです。
●酪農家一世帯だけで多分、できないことだとは
私も想いますが、何世帯化集まってひとつの組織
体として・・或いは農業もそうですが、株式会社化
などができていけば更に工夫の余地は出てくると
思います。TPPとも絡んで意見・議論だけでなく
早く現実にしていけばいい、もはやその段階に
きている、と私は想います。
★そんな意味合いで『農地法の見直し・生産法人
・協同組合などの見直し』などには勢い持って取り
組むべき、とも感じています。
★一次産業の『自由化』なのでしょうか。
★そして日本社会、「楽して儲けることを称える
風潮はもうやめませんでしょうか」。マスコミ各社
にもお願いしたい、と思います。
★「楽してもうける」ゲーム化経済には
何のProductもCreatもないのですから。
◆長い人間の歴史の中で「投機的な金融ビジネス」
の歴史はコンピュータ・通信の発展に伴ってのもの
ですのでまだたかが40~50年のもの、なのです。
◆と、言うことは「投機的な金融(ゲーム
化)ビジネスはもともと人間が社会
で生きていく」ことに不可欠なビジ
ネスなのではない、のですから。
◆継続的に発展し続けて欲しいビジネスは私の
表現でいけば『生業ビジネス』。人間が活き
活きと楽しく「満足の「生」の一日を重ねて生きて
いくために」必要なビジネスとなります。
◆生業を称えた正しい業にし、盛り上がる業に
してそこに就く人たちの人生が成り立つ業にして
いくべきなのでは。
★そんなことを考えていると「ビジネスは元々、
他者(=顧客)満足」によって成り立つもの、そう
なりますが現在のITゲーム化金融ビジネスは
他者満足はありません、唯一存在しているのは
「自己満足(だけ)」なのです。
★だから、ビジネス・事業ではない、そう想うので
すがいかがでしょうか。
★他者(顧客)満足を追い求めない、自己(欲望)
満足のみを追求し続けていく、そしてそれに関わ
る人たちがどんどん増えてきているので社会
そして経済が、「欲望経済」化してしまったのだ
と思います。
●「目的」と「手段」を勘違いしている、それに
気づくことが必要なのでは。
●「お金を貯める」ことが『目的』ではありませ
ん。「何かに使いたいからお金を貯める」 のであ
り、お金を貯めることは『手段』なのです。
●使い道がある、「あれをしたい」「こうありたい」
その実現のための一つの手段がお金、あたりまえ
のこと、ですよね。
★この世とサヨナラする寸前に「もっとお金を貯
めておけばよかった」と言う人はたぶん、いない
のではと思います。
●「使う予定のない」「目的のないお金」をどう
してため込むことを目的としてしまうのでしょう
か。不思議でなりません。
生み出したゲーム的金融ビジネス(正直ここで
ビジネスの言葉を使いたくない、のですが)がいつ
の間にか「人間を飲み込んでしまっている、
繰り返しになりますがそう感じてなりません。
◆ITを使う「人間の心がおかしい」のだと昭和62年
以降、ずっと想い続けています。
◆人間が発明してきた機械類を機能の発揮面から
単純に区分けすると3つに分類していくことができま
す。
①スイッチを入れるとかオスとか誰でもできる動作
で機能を発揮していく機械類
テレビ・ラジオ・電灯・エアコン・・・
②使う人間の「操作性」によって発揮する機能に
差が出てくる機械類
自動車・飛行機・・
そして・・・
③使う人間の「想い=意思」によって機能に差
が生じる機械類
コンピュータ・・・・・・・・・・・・
●「今の状態はコンピュータを使う人間の想い
=意思によって形成されている」のです。
●だから、「人間の想い=意思」を変えていけば
いい、のです。
●私たちは今までコンピュータを使えば、「こんな
複雑なこともできる」、この「できる」をものさしに
してきている、してきてしまったのだと私は思って
おります。
★で、あるならば、判断のものさしを「できる・でき
ない」から人間として「やっていいこと・やるべき
こと」なのか「やってはいけないことなのか」に
ものさしを変えていくこと、なのではと想い続けて
おります。
★この「ものさし」は生きていくとき・働いていくと
き、そして経営していくときにも変わらないもの
さしとなります。私はずっとそれでやってきており
ます。
(一旦、置筆。次回に続きます)
今回も最終行までお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
コンピュータ使えば「できるからやる」
このものさしで実の行動に移す前に
「そのことは人間としてやっていいことなのか」
「人間としてやるべきことなのか」
そして
「できるけれども人間としてやってはいけないこと」なのか
『人間として』の尺度を
一人一人の人間がきちんと持ち続けて
いきたい、行くべき、改めてそう感じております。
さて、アベノミクスに想うことと題して
今回まで3回続けてきておりますが
次回で一度、結びにしていきたいと想います。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ。こころ
入道(入村 道夫)













