(前回からの続き、です)
●アベノミクスで頻繁に用いられているフレーズが
「インフレターゲット」「2%のインフレターゲット」。
●政府と日銀が二人三脚で同じフレーズを共有し
ている、これまでにはある意味で考えられなかった
状態になっています。
●その実現のための一つの施策が日銀が市中
銀行が保有している日本国債を買い取ること
で街中に流通する「お金」を増やしていくこと
で産業・経済を活性化させていく、こと。
●新しいこと、ではありません。
中学が高校で学びました。「買いオペレーション」
(買いオペ)でしたでしょうか。
★でも・・・ここで単純な疑問が心に浮かんできます。
★「ただ」では買い取ることはできない、と、すれば
「そのお金はどこから」??
◆マスコミ報道によれば、2年間で約100兆円の
長期国債の買い上げそして新規発行国債の
約70%を買う・・・・。
★日銀、日本はそんなに使える「お金」を貯めてあ
るのでしょうか??あったのでしょうか?
(私の認識不足であれば謝ります、その方が嬉しい)
★日銀のひとつの機能に「日本銀行券(=円:お金)
の発行および管理」と言う項目があります。
★まさか、新たにお金を発行してそのお金で、では
ないと思うのですが、買いオペレーションに必要
なお金はどこからどう工面してくるのか、何を原
資とするのかを明確にすることも必要だと思いま
す。
●さて、脱デフレ=2%のインフレターゲットを実現
していくめたに「円安」がいい、のだと言われ続けマ
スコミ報道もそうなのですが、改めてなぜ「円安」が
いい、のだろうかについて自分なりに考えておきた
いと思います。
◆結論的には「現在の日本はまだ『輸出』に支え
られている国」なのだということになる、と思います。
◆でも、ここでも感ずる疑問は「これから未来も日
本は戦後からずっと変わらず『輸出』を国の成り
立ちの柱」にしていくのだろうか、と言うことです。
◆今は確かに「輸出」が好調になれば国も富ん
でいくのだと思いますが、次の世代・次の次の
世代、未来の日本も同じなのでしょうか。
◆いつまで「MADE in JAPAN」でいくので
しょうか。いける、のでしょうか。
★私は分岐点が「そろそろ」、日本の、日本(国際)
経済の成り立ちの変革を明確にしていく時期なの
では、と感じております。
★昨年の「円高」時期に苦労して「変えていこう」
、「円高でも元気な会社創造」の動きに入らざる
をえなかった、変革の入り口に入っていた各企業
の動きがアベノミクスによって中断、過去の動き
になってしまっている現象、企業トップの「考動」が
非常に気になります。
★もし、私がまだ企業トップを務めていたら、逆に
アベノミクス効果(利益)を原資として上記の企業
変革のスピードを一気にあげる動きを全社一丸
で行う、決断をしていた、と思っています。
●頭と心を整理しておきたい、と思います。
●「円高」と「円安」とは一体どんなことなのか。
ふたつの状態で単純に描いてみたいと
思います。
① 1ドル=80円
② 1ドル=100円
◆もうご存知のことの繰り返しとなりますが頭と心
の整理と言うことでお許しいただければ、と思いま
す。
●①から②のレートに変わるのが「円安」
1ドル 80円→100円
逆に②から①に代わるのが「円高」
1ドル 100円→80円
●上のシートに簡単に嬉しい顔と悲しい顔マークを
入れてみました。
●そして、「輸入」と「輸出」の二つの行動に分けて
記してみました。
円高 輸入 笑顔 輸出 悲しい顔
1ドル100円が1ドル80円に
(輸入)
1万円で買っていた100ドルの商品が
8千円で買える
(輸出)
100ドルで売っていて1万円もらえてい
たのが8千円しかもらえなくなる
円安 輸入 悲しい顔 輸出 笑顔
1ドル80円が1ドル100円に
(輸入)
100ドルの物が8千円で買えていた
のに1万円必要になる
(輸出)
100ドル売って8千円もらっていたの
が1万円もらえることに。
◆日本は「輸出」にかかわる人たち、会社だけで
なく「輸入」に関わっている人たち・会社も存在し
ています。
★現実的に既に、日本の電力産業とか輸入商品
・製品・食料品などを扱っている企業では「利益減」
「値上げ」の状況になってきています。
(2013.05.01日経朝刊)
★電気は「輸出商品・製品」を形作るに必要不
可欠な原価、でもあります。値上げして輸出して
も「円安」であれば、なのでしょうか。
★でも・・・・・
あたりまえですが、一般家庭など「輸出価格に転
嫁できない」電気消費は値上げを受け入れるだけ、
となってしまいます。
★国内販売の商品・製品の価格もアップしていくこ
とになってまいります。
★「値上げ」は「価格を上げること」ですので単
純に「脱デフレ」とはなるのでが、高くなった電気、
あるいは、高くなった商品を購入するための給料
がまだあがってはいない・・・・
やはり、裏で?一方で「悲しい顔」をしている人たち
がたくさん、存在していることも心に留めておく必
要がある、そう感じます。
★そちらへの「対応」をどうしていくのか、しっかり
と示されていない、と思います。
◆抽象的で私は嫌いなことば、なのですが正に
「綜合的に勘案して」『今は』円安歓迎なのだ
と思います。
◆「今は」なのだと想うのです。
◆でも・・・・未来を考えた時に、不安を正直に感
じています。
●その不安・疑問の入り口は
「あたりまえに「為替」を考えて」となります。
●「円安」「円高」・・・・・・・あたりまえに考えた時に
はどちらがいい、のでしょうか?
どちらを「目指していく」のでしょうか。
●日本が「経済的に強い国」になるということは
為替はどうなる、と言うことなのでしょうか。
●前回も書きましたが為替レートは本来の「国力」
とかからかけ離れてしまった『ゲーム的交換レー
ト』となっているように思いますが、こんな時にこそ
「あたりまえ」に考えていくことも必要なのだと感
じます。
●「円高」「円安」、この日本語表示を英語では、
どう表現しているのかをちょっと調べてみました。
★単純に
「STRONG」(高)と「WEAK」(安)。
強いと弱い、なんです。
★すごくすごく単純に考えます。
WEAKより STRONGがいいのでは・・。
★「円高」を求めていくものなのでは・・・・。
日本の国力が富んでいけば「円高」になってい
く、ものなのでは。そんな動きが自然なのでは・・
??
◆そして、これも単純に「ドルと円の交換レート」と
して為替レートをみれば1ドル100円よりは1ドル
80円の方が円の価値があがっていいのでは、
なんて思います。
◆1ドルのものを購入するのに100円必要だった
のが80円で購入できるようになった。同じ100円
使えば1ドル25セントの物が購入できるようにな
った、これが1ドル=100円⇒80円の円高なのでは。
◆ドルを「国際通貨」と位置付ければ「円高」は日
本は「金持ちの国になる」と言うことなのでは?、
とこれも単純に思えます。
●でも、そうじゃない?:「円安」を追い求める日本??
★直近の日本の置かれている現実から脱する、
近々のための施策であれば理解できますが、
「未来を考えること」を忘れてしまってはいけな
い、と想うのです。
★一方で、ややこしく?しているのはもはや「国力」
で「為替レート」が形成されているのではない、
ということだと思います。
★現状、為替レートは刻々と変化しています。
国力がそんなに刻々と変化するなんてことは考え
られません。
●大変に妙な表現で恐縮なのですが、為替レート
は「投機(敢えて「投資」とは言いません)ゲーム」
の世界の「交換レート」になってしまっている、の
では。
●今更、「金の保有残高に基づくレート」なんてこ
とを言うつもりは全くありませんが、正直、今の「為
替レート」は誰が何を基準として決めているのか、
ものすごく疑問を感ずるところです。
★あたりまえになっている「刻々と1秒の間にも変
化している為替レート」、これっておかしくないので
しょうか。そう考えることがおかしい、のでしょうか。
●逆に考えます。
●世界中での「円の買い」と「円の売り」の情勢に
よって「レート」は変わっています。しかも前述しまし
たように「刻々と」。
●これができるようになってしまったことに私は「お
かしさの源」があるのでは、と思っております。
「人間をおかしくさせた源」があると想うのです。
そして未来に向けて改めて考えることも必要なので
は、とも感じています。
「これからの為替レート」の在り方
固定相場制
↓
変動相場制
↓
??????????
変動相場制
外為市場(マーケット)における当該通貨に
対する需要と供給=買いと売りの関係に
任せてレートを自由に決める制度
★私が社会人になったころは「固定相場」でしたの
で「変動相場」になってからたぶん、まだ40年そこ
そこなのでは・・・。調べてみました。
★国際的に「変動相場制」になったのは1976年。
その3年前の1973年に日本を含んだ先進各国
は変動制に切り替えていました。
●私はこの世界の素人・・。背景にはさまざまなこと
があったとは思いますが、あえてここではそれを調
べることはしないで、「何で今のような投機的な形
の外為マーケット」、私の表現で言えば「外貨ゲー
ム的マーケット?」になってしまったのか、何で瞬間
瞬間でレートを変化させることができ.るのかを私は
考えることにしました。
●私の答えはひとつ「通信とコンピュータ技術」、
まとめてしまうと「IT技術」の発達、これなくしては
今のような「ゲーム的マーケット」は維持することは
できません。日本国内の「株式マーケット」も全く同
じだと思います
★「通信とコンピュータ(=IT)の驚異的な技術革
新があったからできること」「できていること」
なんだと思います。
★20世紀間もなく終わりのころから21世紀の
今まで、「この40年」でしかやられていないこと、
なんです。
●でも!!この40年が「人間は生活(=社会で生きる)
からかけ離れた『欲望』を満たす」ゲーム化経済
社会にしてしまった、のではないのかと感じてしま
います。
◆私の表現ですと「生活経済から欲望経済へ」、
経済に『金儲けゲーム』を組み込んでしまった、
のではとなります。
◆40年前の固定相場の時代、私が社会人生活
をスタートした42年前(1971年)、パソコンどころか、
コピーは青焼き、携帯電話もファックスも、確か
「電卓」もなかった、
仙台出張は夜行寝台で・・・
◆でも、そんな状況でも企業は国際ビジネスを
営んでいましたし、国内外の出張もありました。
◆忙しかったけれども言い切れば「人間性一杯」
の時だったと思います。それが今・・・・
「IT技術」の使い方を誤ってしまった、のではと
感じてもいます。
◆人間が「技術を使っていた」「技術を人間生活の
『手段』としてきちんと使っていた」状況が、いつの
間にか、わずか数十年の間に、
「IT技術に人間が使われてしまう」??状態になっ
てしまっているのではないのでしょうか。
私は素直にそう感じています。
◆「人間から人間らしさを取り去ってしまった」
大きな要因が「IT商品」だとも思っています。
コンピュータ・携帯電話・・・・
★でも、「IT商品・製品」に責任はありません。
責任はそれらを使う「人間の心」にあるのです。
私、そう思っています。
★「実生活を豊かにしていくために・人間性を増し
ていくために」の物差しで改めて考える時期にきて
いるのではないでしょうか。
★「脱ゲーム化社会」。「人間中心の生活社会」
へ。
●ゲーム・・・・この言葉で学生時代に学んだ「ゲ
ームの理論」を思いだしました。
●ゲーム理論の前提は
・各人は自己の利益を最大化するように行動
する
・その時に各人は合理的に判断して自己の戦
略を決定する
・他者=競争相手のとる戦略を予想して自己の
戦略をたてる・・・
こと。
●単純化してしまえば「ゲームはゼロサム」、
「勝ち負け合計はチャラ(=ゼロ)」。
「みんなが勝つゲームはない」のでは。
★社会をこんなゲームの世界にしてはいけな
い、のではと改めて感じております。
★『現実』と「通信とコンピュータが創りだした
『バーチャルな世界』が混在しており、徐々にと
言うか、勢い持ってバーチャルが現実を飲み込
み始めているのが今、」。言い過ぎなのか、とは
思いますが正直にそんな気持ちにもなっておりま
す。
(次回更新に続:けます)
今回も最終行までお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
アベノミクスからちょっと離れた感じもする
今回の終わり方となりましたが
このまま次回も「続き」を書いていきたいと
考えています。
自分の「想い」に正直に。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ
入道(入村 道夫)








