第67回国民体育大会から想うこと~多額を投じる大会、「目的」は今も正しいのか、脱形骸化?~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

         間もなく9月!!

9月には待ちに待った「国体の開催」だぁ・・・

今年は岐阜だからなんとか予定調整して観に行こう!!!


   ちょっと逆説的な書き方ではじめましたが

こんな気持ちになっていますか?

         こんな気持ち持たれていますか!??


ひょんなところから間もなく第67回国民体育大会が岐阜で開催

、このことを知りました。


正直、私、今日までたった今まで全く知りません、でした・・・。


検索してアクセスすると

きれいなホームページもありました。


  ・第67回国民体育大会 ぎふ清流国体

  ・9月29日~10月9日


この大会の合言葉が「輝け はばたけ だれもが主役」であり、

大会マスコットがキラキラした川の水面に住んでいる妖精・・・・

ミナモ」だったことを、みなさまはご存知でしたでしょうか。



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そこで今回はちょっとだけ国体の歴史を振り返って、そこから想う

ことに筆を進めてみたいと思います。

(注)今回のぎふ清流国体に対しての意見ではありません。



  「目的は今も正しいのか」

 ~目的の意味は既にないのに

   手段だけが形骸的に残ってはいないか~

    変化させていく勇気が必要では


●私が学生の頃(今から45年から50年前!)には大々的に報道さ

れていた国民体育大会なのに、昨今は今の私ではないけれど

まもなく「開催されること」を知っていない人たちも多々おられるの

では・・・。


●国・各自治体ともに非常に厳しい財政状態にある状況下で、

準備から閉会その後の整理まで入れると総計では「200億円

程度」(??収支報告などの詳細資料が見当たらず)のお金が必要

されるこの大会をなぜ今も続けている、続けていくのかな、と

正直に感じています。


★そんな自分の疑問を解く?ために国民体育大会を少しだけ

調べてみました。


◆<国体の目的>


 広く国民の間にスポーツを普及し、アマチュアリズムとスポー

精神を高揚して国民の健康推進と体力の向上をはかり

あわせて地方スポーツの進行と地方文化の発展に寄与する

と共に国民生活を明るく豊かにしようとするものである。

                         (国体開催基準要項)


◆第1回は昭和21年(1946年)に京都市を中心とする京阪神で

実施されています。

(私は昭和24年生まれですからほぼ私の人生と重なっていますね)


★今、平成24年、2012年の今現在の日本の状況で前記した「開

目的」に『もっともだ』『やらなければいけない』と感じられる方は、

ほとんどおられない、のではと思いますがいかがでしょうか。


★第二次世界大戦敗戦で下をむいていた国民の心を高揚させ、併せ

体力の増強(心身の健全化)の目的のために考え実践された手段

国民体育大会であったと推察いたします。


●今回の私がそうであったように

近年、その存在に国民の心が向いていないのも事実。なぜなので

しょうか。


◆それは前記した大会の「目的」がすでに存在していない、言い切

必要のない目的・・・・既にかなり以前に目的を達成してしまって

おり、今の国民の関心にない形骸化した目的だからだ、と思うので

す。


●一人一人がオフタイムにはスポーツクラブ・ジムに通って好きなス

ツを楽しむ。

東京マラソンなどのマラソンイベントでは10倍以上の競争率。。。


●一人一人が自分の好きな時に好きな形でスポーツを楽しむ、楽し

状況、やっている状況なのに『国』が音頭をとって

「さあ、スポーツで競い合い、

             体力を増進して前向きな心を持ちましょう」

(?)なのではない、と思います。


●事業仕訳の対象にもなりません、でした。


●まだ国・都道府県は国体を「必要だ」と捉え歳費をこのイベントに

投入続けていくのでしょうか。


★誰も正面きって『もう意味ないから止めましょう』『そこに投下

するお金を子供たちの実の教育に使いましょう』と言わない

から自動的継続していくのでしょうか。


●スポーツには「大会」(競い合う場)が必要。わかります。


●で、あれば種目別の日本選手権もありますし、世界大会

・オリンピックがあります。中学・高校・大学の選手権も・・・。


●都道府県の勝ち負けを競うことが必要なのでしょうか。


●今はグローバル。地球をひとつの国とみなして経済・社会が

成り立っている時代なのです。


●これまで67回もやってきているから・・・・・・ではなく、

まさに「目的」そのものの必要性から判断すればいいのだ

私は思います。

 (ビジネスの世界の「あたりまえ」ですよね!?)



◆今まで書いてきたことと同じ視点で(私の表現だと「心線」と

なります)会社・組織に向けて同様に今やっていることを一旦

「ゼロベース」で見つなおしたら、と思います。


◆少なくとも年に一度の仕事などの棚卸し!!!!


◆仕事のやりかた・流れ・組織・制度・伝票・帳票・担当・時間・

会議・・


★単純に三年間、やり方が変わっていないことがあれば「疑問」

から見つめなおしたらいい、見直すべき対象と私は感じ、実践し

続けてきました。


★これだけ環境・状態が変わるビジネス環境が変わる、変わって

いるですから、「やり方」も当然に変わってしかるべき、なんで

す。



★OUTPUT / INPUT。


★目的を達するためにその手段が今も適切であるのか、

同じ目的を達するためのほかのもっと低コストのかからない

やり方はないのか・・・。


★「あたりまえのことをあたりまえに考え実践していきたい」と

改めて強く想います。



●たとえば、会議。


●この会議は毎月第二と第四の金曜日の夕方に時間と決め

られていから「会議をやらなければならないのだ」となって

はいませんでしょうか。



●会議をすることを目的化していませんでしょうか。



●会議をする「目的」以前に本来、手段としての会議が目的に

してきてしまっているのです。


●「会議」は「会して議論し決する場」。私の定義です。


●会する必要がないのであれば「中止決定」を早くするべきです

し、急ぎで議することがあるのであれば開催日まで待つことは

あってはならないことです。

(報告だけの会議は決定の背景を共有するのでなければ

                            意味ありません)


◆たとえば「伝票」。


◆わが社ではもう何十年もこの伝票を使ってきているから・・・。


◆一〇年前のビジネス環境と今のビジネス環境は全く変わって

ないのでしょうか。


◆単純に見ても要求されるビジネススピードは格段に早くなって

いるはずなのにどうして「変えようよ」の機運がまとまった声として

湧き上がらないのでしょうか。


◆たとえば・・・・。


☆わかりやすく表現すれば一か月前に決めたことであっても今一

「目的」に照らし合わせて見直し、変えていくべき、だと思います。


☆「変化への挑戦」に必要なのは「勇気」。


☆その入り口は「おかしいことをおかしい」と言う『少しの勇気』

です。


☆そしてそのために必要なのは

「おかしいことをおかしいと感ずる感性」なんだとも私は思います。


☆今までずっとやってきたことに身をおくことはある人にとっては心地

よいことにも通ずるところがあります。


☆慣れたやり方、なのですから。


☆でも、でも!!!!


☆「停滞した楽な(あるいは嫌な)状態から脱出しましょうよ」。


★そんなところから「小さな変化への冒険が始まるのだと思います。



    今回も最終行まで眼をすすめていただきまして

            ありがとうございます。


    数百億単位のお金を使うことで何が得られているのか、

             とても気になります。


      毎年実施することになっているからやる。

           そんな感じも受けています。


            過去から今日までを見て

       「これまで」をものさしにするのではなく

         ありたい「あした」から今をみて

          それを実現していくために

   「どこに優先的に限られたお金を投下していくのか」を

           考えそして実施していく

       正にOUTPUTを明確にしていきたい、

  そしてこの明確化されたOUTPUT(=目的)をしっかりと

    確認することが必要だな、と素直に感じています。


             ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)