悲しい寂しい「いじめ自殺」報道から想うこと~気づこう日本人の心の『悪変化』を。そして頭から心へ~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

滋賀県大津市での中学生のいじめ自殺の報道が学校・

市・そして警察の対応など、連日の報道となっています。


いじめ、自殺。悲しいことに今、発生したことなのでは、

なく1970年代から続いてきている問題でもあります。


また

昨今、いじめ以外にも「子供」を当事者とする犯罪?が

増えてきていることも非常に気になっています。


「子供の責任」なのではなく「(私も含めての)大人

の責任」であり、学校の責任だけでなく「家庭(親)

の責任」なのだ、と私は感じ続けています。


責任のなすりあい、「悪いのはあいつだ」と犯人捜しば

りに、犯人さがしだけに終始しており、マスコミが

それにさらに拍車をかけているようにも思います。


悪いのは私ではありません、を正当化するために本来

、人間を守るはずの個人情報保護法まで持ち出す、

しかも世間の風当たりが強くなるととたんにそれまで

の言動を他人のせいにしながらすりかえる・・・・・

学校(校長)・教育委員会・市長そして警察・・・・・・・。


みんな「大人の集団」なんです。

悪いのは「大人」なんです。


その大人がマスコミを含めて「事件」だけをとりあげて

涙と怒りを誘う・・・・

そして

他で起きた悲しい事件を他山の石として日本のこれから

に社会全体として取り組むことをしない日本人。


これでは社会は変わることはあり得ません!!

変えていくことはできない、と思います。


なぜ

一人一人がみんな自分にも責任・原因ありのスタン

スに立つことを入り口として、どうしたら再発させない

『新しい仕組み』『手段』」を創りあげていくことに、

社会構成員全員が心に汗をかこうとしないのだろうか

とても気になってもいます。


以前、ブログにも書かせていただきましたが「悪い状態

・嫌な状態」の原因は必ず「関わっている全員、一人

とりにある」のです。


そこをスタート地点にすれば、きっと新しい状態への変化

つながるはず、だと私は思います。

(会社組織では20年以上その想いでやってきた事実から

の私の声でもあります)


なんで日本はこんな状態になってしまったのだろうか・・・!


 頭(かしこさ)対応から

     心(やさしさ)での対応に!!

~人間の当り前の心で「安心」な集団創造を

     社会・地域・学校・会社・・・・・・~


●日本人の心の「悪変化」。


●ここ20年ほどの日本の犯罪を特徴的に捉え

ると暴力性と残虐性が増してきている』こと、

そし『子供を当事者』としての事件が多発

してきていること、なのではと私は感じています。


●それまでも(これまでも)「子供を当事者とする

事件」は存在しております。

でも、それは子供=被害者であった、のです。


★最近は子供だけで事件が構成される(加

者も被害者も子供)」という大変に恐ろしい

・寂しい悲しい状況に変わってきております。


★そして「残虐性」。たくさん書きたくありません。


★いとも簡単に『人の命をまさにゲームの世界

のように遊び感覚(?恐ろしい!!)で奪って

しまう』しかも信じられないようなやりかたで・・。


★加害者の子供の家庭・親が悪い、先生が悪

い、学校が悪い・・教育が悪い・・。

こんなことで済ませられない状況なのだ、と思

いますし、日本人全体が心新たに危機感を

有し「日本を変えていかなければ」いけな

い状況にまできてしまっている、そう私は思う

のです。


日本人はこんな民族ではなかったはずで

あり、決してないはず。


◆「人の命」(=他人)を最も大切にする人間の

集団だったのではなかったのか。傷つけあい

殺しあうのではなく、まさに「助け合う」ことで日

本の社会は成り立っていたのではなかったの

か・・・・。


◆早急に「人間としての原点」に回帰して『お

互いに相手の置かれている状況に関心を持っ

補い合う(助け助けられ』、そんな日本人

社会(=日本)を、そしてさらに地球人社会

(=世界)を新たなる心で創造していかねば

いけない、と強く強く強く強く心に感じております。


★『安心』な地球社会の構築

これこそが21世紀に人類がなすべきこと

であり、大人が汗していくことなのでは・・。


●「安心」。それは自己のみの安心なのではな

全人類の「安心」につながるものでなければい

ないとも思います。


★この状態こそが「本当のグローバル化」なの

だ、と私は考えるのです。


◇安心=Σ(安全)。私の定義です。


◇「安全」とは、危害又は損傷・損害を受ける恐

のないこと。

一方、「安心」は心に気にかかる不安や心配が

なく心穏やか心安らかな状態。


★「安全とは『安心』のための仕組み・仕掛け・

装置などのこと(=ハード)であり、手段である」

は想い続けています。


★手段!?では何のための手段なのでしょうか。

それは安心の状態(=ハート♡)」を形成してい

くために」、であると思います。


人間、人類が地球の上で「安心して」楽しく、

活き活きとした満足の一日を積み重ねていけ

ように『社会の新しい安心の仕組み(安全)

創り』が急務だと思うのです。


●私は決して難しいことではない、そして難しく

頭で考えて取り組んではいけないのだ、と思

続けてもいます。


人間としての「あたりまえ」に立ち返れば

いい、のです。


★そして変えていく役割は「大人にあり」なの

す!!大人がただ怒りまくる、、あいつが悪

いと声をでかくしているだけでは何も変えられ

ません。


★また関わっている大人の動きも大切。

「みんなが原因を自分にみつけだし、一人

一人の言動をすぐに変えていくことのつみ

重ね」で世の中を変えていくことができる、

それが一番早いし、継続されていくやり方だ、

と私は信じます。

★人類は不幸にも「自然界の支配者」に自ら

置き換えてしまい、自然との「共存・共栄」

「美しい豊かな地球環境=自然があったから

こそ人類は誕生した」「美しい豊かな地球環境

がなければ生き物として人類は生存し得ない」

あたりまえのことと私は想うのですが、

このことをみんな忘れてしまっていた、ので

す。


★地球環境問題も難しく考えることはない、

京都議定書直前からの環境問題への世界の

取り組みはおかしい(賢さから入っている。

普通の人にはよくわからない)

これが私の想いです。


★ここに今日の「マイナスの原点がある」、と

私は想います。

人間は「心の豊かさ温かさ」を置き去りにし

「便利さ・楽(らく)さのためだけの賢さ」を

追求しすぎた、そしてその大きな「つけ」が

昨今、表面化してきてい

のだ、と感じるのです。


★早急に全人類・人間はこれまでの

「いきすぎた頭(=かしこさ)」から

「心(=やさしさ)(=助け助けられ)」への

転換に勇気をもって挑戦していくべき

であると想うのです。


★組織(2人以上の人間の集まり・集団)の

上位者からその動きをしていくべきであり、

それができる人をリーダーとして選出する

べき、それができない現上位者は自ら早く

辞した方がいい、のだと強く想います。

(政治の世界・ビジネスの世界・地域の世界・・共通)



  今回も最終行までおつきあいいただきまして

        ありがとうございます。


人はかしこくなければいけない、人は強くなければ

いけない・・・・・

戦後からここまでの日本人の目指してきた方向ですが

これからは

そうではない

「人って、どんな人でも弱いところがあって当たり前、

できないことがあってあたりまえ」

この当り前に一度、立ち返ってみたらいいのに

と本気で思っています。


        ありがとうございます。


      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ

              入道こと入村 道夫