今回はちょっとテーマが変わります。
社会保障と税の一体改革関連法案が6月26日に
衆議院採決、民主党分裂??9月に総選挙??
この動きの中で「マニフェスト」の言葉が頻繁に使われて
もいます。
そこで、今回はこの言葉に対する私の想いを書き込んで
いきたいと思います。
「マニフェスト」への私の想い
●マニフェストの言葉が明確に使われ始めるこ
とになったのは今から9年前の2003年10月3
日衆議院本会議で可決されたひとつの法案。
●その法案は『公職選挙法改正案』。この法案
の可決によって日常用語?になり、その後の選
挙は「マニフェスト選挙」となったものです。
★この法案の可決の時には、私も「地縁・血縁」
が大きな財産となっている日本の選挙が大きく
変わるかもしれない」との淡い??期待を持ち、
各政党の第1回目のマニフェストが公にされる
のを心待ちにしていたことを思いだします。
★でも・・・発表された各政党の内容は、私が学
んだり見たりしていた欧米のマニフェストとは明ら
かに違う、そして当然に期待していたものとは、
全く違うものでした。
★正直、当時発表されたマニフェストは
従来の選挙の時だけの「公約」を紙に落とし込ん
だだけ、そんな残念な感じを受けてしまいました
・・・・・・。
(そんなスタートだったから今も、なんでしょうね、きっと)
★では日本型?マニフェストのどこに物足りなさ
を感じたのか、感じているのか等々・・・・
マニフェストに想うことに筆を進めていきたいと
思います。
マニフェストは「お約束」
「お約束には
必ず3つの数値基準が必要」
●マニフェストは「政権公約」と訳されています
が私は単純に「お約束」と解したいと思います。
●「私(わが党)を当選させていただければ、
○○をいたします」。これまでも選挙の度に何度
となく耳にし、大体いつも期待を裏切られてきた
「口先だけ、その場だけの言葉・文字」ですし、
2003年秋以降に始まったマニフェスト選挙の
度に出てくるたくさんのマニフェストの構成は、
ほとんど変わってはいません。
(お金をかけたのでしょう、美しい冊子にはなってきていま
すが内容に変化なし。外見より中身にエネルギーかけれ
ばいいのにと感じ続けております)
★では、発表されているマニフェストのどこに
私はがっかりしているのか・・・。
●それは相変わらず日本的抽象的な表現ばか
りが目につき、『できた・できなかった』を明確
に評価・判断するための指標(=数値)<=
=私の表現だと自己責任指標となります>、
そしてなぜできるのか、どのようにして実現
していくのかの「根拠」が明記されていない』、
ところにあります。
●書かれている、説明での発言は「段階的に・
思考を重ねて・有識者のかたがたの意見も参考
にして・できうる限り・精一杯の努力を」、などなど
・・・。
●そして、次の選挙になると前回のマニフェスト
で実現できていない事に関しては
「私たち××党は◇◇を目指して精一杯がんば
ってまいりました。これからもみなさまのために
がんばりますので国民みなさまのご支援をお願
いいたします」
・・・・。
これではマニフェスト選挙以前と全く同じであり、
掲げた事ができなかったとしても次の選挙の時
には「時間が足りませんでした」「私(わが党)に
今一度、改めて機会と時間を与えてくだい」と言
い続ける・・・・・。
★(んんんん!?これって私たちも使っている
フレーズでありませんでしょうか?注意、注意)
●どうしてこんなことがまかり通っているのか、
まかり通っていけるのでしょうか。
●それは『できた・できなかったの明瞭な基
準が最初に示されていないから』だと思いま
す。
★明確な基準。それは数値基準をここでは使
いたいと思います。具体的には「3つの数値基
準」となります。政治でのマニフェストにはこの
基準が明記されておりません。
★各党ともに数値そのものはかなり入れてはあ
りますが、、その数値自体の信ぴょう性が疑わし
い、即ち、その実現のための具体的アクション
プログラム(どのようにしてそれを実現するのか、
伴う痛みはあるのか、あるとすれば何なのか等
=具体的思索)が欠けているが故に「絵に描い
た餅」「選挙対策のための総論美辞麗句マニフェ
スト」となっている、と感じるのではと思うのです。
★必要な3つの数値基準。それはビジネスの
世界でも全く一緒だと私は感じます。
具体的には
①納期に関する数値(基準)
②品質・内容に関する数値(基準)
③コストに関する数値(基準)
この3つだと思うのです。
★負担が伴わないのであれば③はなくとも構
いません。但し、そのこと(負担なし)も明確に
約束するべき項目だと考えます。
●この数値化された3つの基準は「もし、仮に
実現できなかったら自分で責任をとります」の
宣言指標でもあり、そして実現できたのであれ
ば次の選挙の時には胸を張って「私たちはお約
束させていただいた以上に実行いたしました。
具体的にはこれこれです」と宣言すれば誰も疑
問を呈することはできないものとなります。
◆この3つの基準(○○を××までに実現しま
す、そのためにかけるコストは△△億円です。
この△△億円は☆☆することで調達いたしま
す)を明確にしてこそ、初めて「お約束」となりえ
るものだと強く思います。
◆それがないのは単に「その場しのぎ」でしか
ないのだと改めて思います。
☆ビジネスの世界で私たちがお客さまとさせ
ていただいている約束。残念ですが「その場し
のぎ」がおおいと思われませんか。
(頑張ります、なんとかできるかも・・改めて
伺います・・・。「(今は)できません」と言え
ばいいのにそれが言えない、んですね)
★お客さまに対しても「3つの数値」を示して
いないから、そこに逃げ込んでいませんでしょ
うか。それとも・・・逃げを確保しておきたいから
3つの数値を示さないのでしょうか。
★またできもしないことを承知でその場を逃げ
るために納期・金額などを提示することなく、
抽象的な約束にしていませんでしょうか。
(自分と相手でその約束の解釈が違うような
言い方、表現=自分の逃げ場確保したうえ
でのその場しのぎの約束?)
★お客さま(私はビジネスにおいてはかかわる
人間で自分以外をお客さまと認識するべき、
と思い続け、お願いし続けてきています。
会社の同僚、協力会社のみなさまもお客さ
ま、なんです)とする約束に関しては
①いついつまでに、の「納期」(時間)が
きちんと示すこと
②そして何をどうするのか、の品質・内容が
明確になっていること
③それを行うことは無償なのか有償なのか、
有償であればいくらなのか、コスト提示を
明確に行うこと
この3つが入っているお約束をしていくことを改
めて徹底したいな、と思います。
●そうしないと多分、何もしていない自分を守
るために自分以外の人を責める、責める相
手を探すことに力を注ぐようになってしまいま
す。
●テレビの政治討論会を思い起こしてみれば
すぐにわかると思います。
自分の非を認めようとはせずに、矛先を自分
以外にむけるべく他人の欠点を指摘する・・・。
こうなってしまう、のです。寂しいですよね。
★マニフェスト(お約束)は
『自己責任で宣言そのもの』である、
私はそう思います。
そしてそうあるべき、と感じます。
今回もここまでお目を進めていただきまして
ありがとうございます。
今回は昨今のマスコミ報道で気になっていることの中から
「マニフェスト」を取り上げましたのでこれまでのブログテー
マとはちょっと趣を異なっておりますが「これも私の想い」、
です。
ブログの中でも用いました「自己責任」。20世紀終わり
から日本人は「自己責任のあたりまえを忘れてしまった」
と感じております。なんで、何かこうしたのか・・・
私の想いですと、前回の「携帯・ネットワークの状況」と
深くかかわってまいります。
次回以降で書いてみようかな、と今、感じております。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道