障害、障がい、バリアの文字から想うこと④~人間ってみな弱いに戻ればストレスはなくなる~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

(前回からの続き)


●世の中に存在する「たくさんの標準」。


●私の勝手な解釈では、「標準」とは「行為動作+時間」

で組み立てられているもの。

そして「標準」は人間が創りだしたもの


●この標準に照らし合わせて「ある行為動作」が「標準と

した時間内にできない人」と「できる人に人間を勝手に

二分してしまっていることが本来の「優しい人間の心の

動き」を阻害してしまっているんだ、と私は思い続けてお

ります。


★そして世の中では上記区分の「できない人たち」に対し

「できる人たち」が「助けてあげる」とか「手を貸してあげ

る」・・・・「助けてあげなさい」「手を貸してあげなさい」・・

みんな、そんな風に子供のころから教えられて大人になっ

てきている。

  ○○○しないとダメ。○○○しなさい。

          MUSTの教えなんです。


★入り口から『対等』になってはいないのです。


★みんな同じ人間。


★「誰でもみんな弱いところを持っているのが

人間なんだから、誰に対してでも、自分のできること」で

サポートして、同時に自分も自分以外の人たちにサポート

してもらうことで初めて一人一人の「生きる」が可能になっ

いる、こんな「あたりまえ」の想から考え、敢えて私の

嫌い「障害者」「障がい者」の文字を使えば、 人間は

みんな障がい者こう想えばいいんだと思うのです。


★「健常者括り」に入っている私もそしてあなたも実のところ

「障がい者」(=弱いところを持っている人)なんです。


       障がい者=弱いところありの人



★そしたらたぶん、「○○しなくてはいけない」から「○○し

てあげたいな」に心が変わり、その結果として行動の仕方

体が変わってくるのでは、とも思います。


    MUSTからWISHへの心の変化


 心(=想い)と動きが一体となってくる、のです。

自然な動きになってくると思うのです。


★そして・・・・

そうなれば、肉体的・精神的に弱いところを持たれている

人たちを区分する言い方である(と私は思っている)「障がい

者」とか「高齢者」とかの「一人一人違うんだの根本を無視

して「一括り」として言わなくなるのでは、と感じ続けいま

す。

   

●人間の心の中にある「バリアー」こそ、なくして

いかないといけない、と思います。


●そう考えていきますと「最大のバリアー」は人間

の個々の中にあるバリアー」と思うのです。


にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ


人間(他人)こそが最大のバリアー。


★このバリアーに適応できない時に人は「ストレ

ス」を感じることになるのだと思います。


●「ストレッサー」と「ストレスサイン」。


●ストレッサーはストレスの原因、ストレスサイン

ストレスの表し方(現れ)


●いきなり「ストレスサイン」とはなりません。

●その間に「ストレッサーに対する『適応」が存

しています。


●単純に言えば「自分が反応できない・適応でき

ないストレッサー」に対した時に人は「ストレスを

感ずる」のだと思います。


にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ


●ですから、ことは簡単。


●一人一人をよく見て、「その人が反応でき、適

できる」刺激(ストレッサー)を投げかけていけ

ば、いいんだと思います。

(あいつができたんだからお前もできなくてどうす

る、絶対にやれ、はダメなんです)


●「反応」は「その人が『どう感ずるのか』」に置

換えてもいいかな、と思います。



★ストレスは誰にでもあるもの、でもあります。

★ストレスは「ちょっとガンバらなければできな

こと・刺激」なのかも知れません。


★この「ちょっとガンバらなければ」のものさしが

人間一人一人異なるもの、なんです。


★逆に

「ちょっと頑張ればできること」でストレスを構

していってあげれば、やがてその人に「ストレ

耐性力」育っていくものなのではないでしょうか。


★繰り返します。障がい者、高齢者だけでなく

「人間はみんな誰でも弱いもの、弱点をみんな

持っているのが人間」。この「あたりまえ」に戻る

こと、いつもこのことを心に留めておくこと、だと

思います。特に「上位者」と言われる人たちは。


★人が人に与えるストレスは「その人にとって

明日への変化の活力」となる程度にしませんで

しょうか。



にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ


★なぜなら・・・

 私たちは「ビジネスマン」「組織人」である前に

ずっと「人間」なんです。


★ビジネスの場でも組織の場でも「いつも人間」

でいたいと思います。


★そのためには「肩書き」なんかいらないし、

「肩書きのない人間と人間の関係」で居続けたい

と感じます。


●「肩書き」は会社名とか役職名だけではありま

せん、この項の最初のころに書かせていただい

「男だから」「女だから」「長男だから」「課長だ

から」「3年生だから」・・・「障がい者だから」「高

齢者だから」の「・・・だから」も私は肩書だと

思っています。


★会社にいるとき、仕事をしているときとそれ

以外の時とで動き方を変えるのはおかしい、と

思いませんでしょうか。


★『私たちは24時間、人間なんですから』。


★だから持つものさしは「いつも人間として」、

これだけでいい、と私は思うのです。


にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ


●一日の目を覚ましている時間」のほとんどが

「肩書き社会での生活」なっています。


●この「眼を覚ましている時間」を生きていくに

望ましい人物像」が「社会」に「標準」としてでき

しまっている、のです。

(アフター5の飲み会の付き合い・・含めて)


★「この肩書き社会での標準的な生き方」(人間

が創ったもの、です!!)にできない部分が多くなる

と「うつ」になってしまうのでは、と感じています。


●このように考えていくと

「うつ」とは「肩書き社会不適応ストレス」と言っ

いいのでは、と私は想います。


にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

●「うつは現実からの離脱かもしれないが決し

社会からの離脱なのではない」。


●現実も実は本当の「現実」なのではなく

   「標準からの離脱だけ」なのだと思います。


●社会で生きていくことのほとんどが、まずは

その人本来から、なのではなく肩書き(性別・

年齢・社歴・役職・・・)で見てしまうことが私たち

の「慣れ」(誤った思い込み)になってしまってお

り、その肩書きから「標準」を心に想い描いて、

その標準で、ひの個人を見てしまっている。

 「うつ」はこんな

肩書き社会からの離脱だけでなの

であり、社会で生きていくことからの離脱なの

はない、私はそう思い続けてきております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回もここまでお読みいただきましてありがとうございます。


このテーマに関してはあと1回、筆を進めてみようと、想い

ますのでお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

       ありがとうございます。

              入道こと入村 道夫