前回は人間が創りあげた「標準」ということが、実は「バリア
ー」を形作っているのでは、との私の想いを記してきました。
そこで今回は社会いたるところに存在している、その「標準」
とはなんなのだろうか、私が考え想いになったことを書かせて
いただこうと思います。
標準に偏るな、
標準に心を染めてはダメ
標準をものさしとするのをやめよう
●小学校から始まり大学までの学校、就職しての
会社、そして地域社会においてたぶん、人が生ま
れてから永眠の時まで、いたるところに「標準」と
いう考え方が根を張っています。
●生まれてすぐにも「何日目」に眼を開ける、「微
笑む」「寝返りをうつ」「飲むミルクの量」・・・・・・・
から既に「標準」ものさしの世界で生きることを私
たちは余儀なくされているがゆえに逆にこの「標
準」という考え方に心が染まっているのでは、と
私は感じています。
★ずっと「社会のものさし」としての「標準」に照
らし合わせて「いい子だねえ」とか「ダメな子だね
ぇ」の分類がされている、のです。分類してきている、
のです。
★私の想いでは「標準とは人間を二分(にぶん)
するための「ものさし」となります。
★単純に表現してしまうのならば、標準のものさし
でされる区分け、それは①「賢い(人)グループ」と
「だめな(人)グループ」あるいは②「できる(人)グ
ループ」と「できない(人)グループ」そして③「強い
(人)グループ」とと「弱い(人)グループ」と言った
二分です。
●なんで分けなければ、いけないのでしょうか。
不思議だとずっと疑問を持つ続けています。
■「賢い人グループ」「できる人グループ」「強い人
グループ」がこの「標準」を創ってきたのでしょうか?
ちょっと疑問です。
●さて、では、ずっと使ってきています「標準」とは
何なのでしょうか。
★私は
「標準は機能と時間で構成されているもの」
と思っております。
●機能は「動作」という言葉に置き換えても、また
「動作機能」と置き換えてもいいかもしれません。
★「○○○ということは△△時間でできる(は
ず)」これが「標準の基本」なのでは、と思うのです。
●これに「○○才」とか「男」とか「女」とか場合に
よっては「課長」「部長」とかの役職も或いは「○
○年も会社にいるのに」などの標準を導き出す
形容詞がつくのかな、とも思うのです。
●私たち人間が勝手に作り上げてきている沢山の
「標準」の達していないと前記のように「だめな人」
「できない人」そして「弱い人」としてしまっているだ
けなのではないのでしょうか。
◆現実(社会)が求める(=要求する)
標準機能を発揮することができない、
発揮することが困難な人たちを
区分けしてしまっているのでは。
(by入道)
◆一定の時間内で決められた手順の
工程での作業進行ができない人
作業進行が困難な人
(by入道)
●障がい者、高齢者・・・こんな人間を区分
けする言葉はいらない、と思います。
●こんな区分けする言葉を使わなくとも、「困って
いる」「しんどそう」「大変そう」と感じたら相手が
誰であっても自分がサポート(助け)行動をすれば、
いいだけ、何で区分けすることが必要なのだろうか、
と想い続けています。
★サポート(支援)は「MUST Doの
心」から、でなく「WISHの心」から
でありたいと感じますがいかがでしょうか。
●「標準」は人間が創りだしてきたもの、「標準」は
人を区分けするためのものさし、繰り返しますが
私はそう思います。
●「人に対する標準」をなくせば
いい、なくならないのなら「その
ものさしの目盛を下げればいい」
「目盛を変えていればいい」のでは
ないでしょうか。
●標準は「できる」「できない」を尺度にしています。
●そして寂しいことに「できないこと」だけに眼を当
てている、のです。(私にはそう感じられます)
●どんな人でも必ず「できること」があります。
その「できること」にスポットを充てていけばいい
のにとも想います。
●社会においても会社においても。
●職場での「うつ」などの原因の多くは「その会社
職場の標準にある」と思っていますので、同じよう
にものさしを変えていく、あるいは「できないこと」
をあらさがしするように見つけ指摘し続けるので
はなく、その人の「できること」を発見し、一人一
人のできることで職場・会社の仕事を組み立て、
そしてその人のできることを一緒になって一つず
つ増やしていけば、いいんです。
●私、会社所属時代、そう心がけてきました。
●だって「今、ダメ」と言われている人たちだって、みん
な入社試験を通ってきた、「いいと思って採用してきた
人たち」なんですから。
●「標準」は「相対比較」で出来上がっています。
個々人、一人一人違うんだ、の当り前をある意味で
放棄している、忘れてしまっているのです。
●だから「今を変えていく」ひとつのやり方は「他人
と比べない」「くらべない」ということだと思います。
●単純に言ってしまえばくらべるのなら「その人
の昨日と今日」「その人の今日と
明日」を比べてあげれば、いいのです。
次回に続きます。
今回もここまで読んでいただきましてありがとうございます。
「標準」、本当に世の中のいたるところに存在しています。
私はこれからも、「標準」、特に「人区分で用いる時の標準」
に対しては不要、そして惑わされることな「個々人」を見続けて
いきたい、との想いで動いていきたい、と思います。
ありがとうございます。
入道こと入村 道夫




