障害、障がい、バリアー・・これらの言葉からの私の想い③~「標準」をやめよう、相対比較からの脱出~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

前回は人間が創りあげた「標準」ということが、実は「バリア

ー」形作っているのでは、との私の想いを記してきました。


そこで今回は社会いたるところに存在している、その「標準」

とはなんなのだろうか、私が考え想いになったことを書かせて

いただこうと思います。


 標準に偏るな、

    標準に心を染めてはダメ

      標準をものさしとするのをやめよう


●小学校から始まり大学までの学校、就職しての

会社、そして地域社会においてたぶん、人が生ま

れてから永眠の時まで、いたるところに「標準」

いう考え方が根を張っています。


●生まれてすぐにも「何日目」に眼を開ける、「微

笑む」「寝返りをうつ」「飲むミルクの量」・・・・・・・

から既に「標準」ものさしの世界で生きることを私

たちは余儀なくされているがゆえに逆にこの「標

準」という考え方に心が染まっているのでは、と

私は感じています。


★ずっと「社会のものさし」としての「標準」に照

わせて「いい子だねえ」とか「ダメな子だね

ぇ」分類がされている、のです。分類してきている、

のです。


★私の想いでは「標準とは人間を二分(にぶん)

ための「ものさし」となります。


★単純に表現してしまうのならば、標準のものさし

される区分け、それは①「賢い(人)グループ」と

「だな(人)グループ」あるいは②「できる(人)グ

ループ」と「できない(人)グループ」そして③「強い

(人)グループ」と「弱い(人)グループ」と言った

二分です。


なんで分けなければ、いけないのでしょうか

不思議だとずっと疑問を持つ続けています。


■「賢い人グループ」「できる人グループ」「強い人

グループ」がこの「標準」を創ってきたのでしょうか?

ちょっと疑問です。



●さて、では、ずっと使ってきています「標準」とは

何なのでしょうか。

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★私は

「標準は機能と時間で構成されているもの」

と思っております。


●機能は「動作」という言葉に置き換えても、また

「動作機能」と置き換えてもいいかもしれません。


★「○○○ということは△△時間でできる(は

ず)」これが「標準の基本」なのでは、と思うのです。


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●これに「○○才」とか「男」とか「女」とか場合に

よっては「課長」「部長」とかの役職も或いは「○

○年も会社にいるのに」などの標準を導き出す

形容詞がつくのかな、とも思うのです。


●私たち人間が勝手に作り上げてきている沢山の

「標準」の達していないと前記のように「だめな人」

「できない人」そして「弱い人」としてしまっているだ

けなのではないのでしょうか。


  ◆現実(社会)が求める(=要求する)

標準機能を発揮することができない、

      発揮することが困難な人たちを

         区分けしてしまっているのでは。

                  (by入道)


◆一定の時間内で決められた手順の

    工程での作業進行ができない人

              作業進行が困難な人 

                     (by入道)  



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障がい者、高齢者・・・こんな人間を区分

する言葉はいらない、と思います。


●こんな区分けする言葉を使わなくとも、「困って

いる」「しんどそう」「大変そう」と感じたら相手が

であっても自分がサポート(助け)行動をすれば、

いいだけ、何で区分けすることが必要なのだろうか、

と想い続けています。


サポート(支援)は「MUST Doの

心」から、でなく「WISHの心」から

でありたいと感じますがいかがでしょうか。


●「標準」は人間が創りだしてきたもの、「標準」は

人を区分けするためのものさし、繰り返しますが

私はそう思います。


●「人に対する標準」をなくせば

いい、なくならないのなら「その

ものさしの目盛を下げればいい」

「目盛を変えていればいい」のでは

ないでしょうか。


●標準は「できる」「できない」を尺度にしています。


●そして寂しいことに「できないこと」だけに眼を当

ている、のです。(私にはそう感じられます)


どんな人でも必ず「できること」があります。

その「できること」にスポットを充てていけばいい

のにとも想います。


●社会においても会社においても。


●職場での「うつ」などの原因の多くは「その会社

職場の標準にある」と思っていますので、同じよう

ものさしを変えていく、あるいは「できないこと」

をあらさがしするように見つけ指摘し続けるので

はなく、その人の「できること」を発見し、一人一

のできることで職場・会社の仕事を組み立て、

そしてその人のできることを一緒になって一つず

増やしていけば、いいんです。


●私、会社所属時代、そう心がけてきました。

●だって「今、ダメ」と言われている人たちだって、みん

な入社試験を通ってきた、「いいと思って採用してきた

人たち」なんですから。



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●「標準」は「相対比較」で出来上がっています。

個々人、一人一人違うんだ、の当り前をある意味で

放棄している、忘れてしまっているのです。


●だから「今を変えていく」ひとつのやり方は「他人

比べない」「くらべない」ということだと思います。


●単純に言ってしまえばくらべるのなら「その人

の昨と今日」「その人の今日と

明日」を比べてあげれば、いいのです。


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次回に続きます。




今回もここまで読んでいただきましてありがとうございます。

「標準」、本当に世の中のいたるところに存在しています。

私はこれからも、「標準」、特に「人区分で用いる時の標準」

に対しては不要、そして惑わされることな「個々人」を見続けて

いきたい、との想いで動いていきたい、と思います。

   ありがとうございます。

                   入道こと入村 道夫