障害、障がい、バリアー・・・・これらの言葉からの私の想い②~バリアーは人間が作るもの~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

前回は「本来のやさしい社会」としていくために必要なのは、

段差とか角度とかの物理的なバリアをなくしていくことより

必要だと私が感じ続けているのは「人間ひとりひとりの心に

あるバリアをなくしていくことである、と記させていただきま

した。


前回の続き、としてなぜ私がそう思うのかを記していきたい

と思います。

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今回も結論を先に記したいと思います


社会で生きていく上でいわゆる健常者の人

たちに比較して肉体的あるいは精神的に『弱

い』という特徴を持たれている人たちが

「生きていきにくい」状態を作っているのは

「にんげん」であるのです。


★「生きにくくしている障壁・障害は、

にんげん作り出したものなんだから

にんげんがなくしていけるはず」なんです。

私はそう思うのです。


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●バリアは人間が作り出したもの。


●だから

バリアフリーとは「人間が作り出したバリア

解消していくこと」の前に「なぜバリアのある

社会を作り出してしまったのか」に戻り、人間

の心を変えていくことこそが必要なのだ、と私

は思うのです。


●段差をなくすとかエレベータをつけるとか・・

それを無駄とは言いませんが、もっともっと根

を変えていく必要あるのが人間の心、だと

思います。


★人間の心が変われば、段差があったって、

立っていられない人が乗り物に乗っても、

きっと障がいにはならない状況が創造できる、

と思うのです。


私にそんな気づきを与えてくれたのが

「BARRIER」(バリアー)の文字でした。


障がいとかバリアとか高齢者の抱える生活

問題とか、いろいろと考え悩んでいた時に、

英和辞典を眺めていてこの文字をじっと眺め

ノートに何度も書き連ねているうちにいきなり

気づきました。


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●私の気づきのひとつのパターンなのですが

漢字とか英語を勝手に分解してしまいます。


●BARRIERは「・・に対する障害/障壁」「遮断

棒」「改札口」「ゲート」あるいは「境界」とかを

表す英語。


●普通に辞書をみていては気づきに至りません。

至りませんでした。


★じっと見ていて急に感じたんです。


●ちょっと待って、すごく単純にこの英語を二つ

英語の組み合わせとしてみたらどうなんだろう、

と。


BARRIERを分解しますと「BAR」と「IER」に

なります。


●BARは「障害(物)」とか「障壁(物)」であり

「IER」は「ER}と同じで「・・する人」を表す言葉

です。


●単純に訳すると「バリアー」とは「じゃまする

ヒト」「通せんぼするヒト」になるんです。

私はそう解しました。そしてすっきりとしました。


★バリアーは「物」を指すと考えてはいけない、

バリアー、邪魔をしているのは「人間(ier)」

なんだと。


●ここまできて、考えました。

社会的に弱い人たちが生きにくい、生活しにくい

状況をなぜに作り出してしまった、のだろうか。


●どうして人間は他の人間が困るような

障がい、障壁を作り出してしまった、しまうのだろ

うか、を考え続けこれまた自分なりの想いにいき

つきました。


障がい・バリアー人間が組織(→私の組織

の定義は「二人以上の集団・群れ」)になると求めたが

る、作りたくなってしまう『標準』に問題がある

のではないだろうか、ということです。


●こう想った瞬間に障がい、バリアーは会社組織

にも同じように存在している、と思いました。


★「標準」が設定されているところに全て「障がい」

「バリアー」あり、なんだと思います。


★標準に満たない人たちが「一般と違う弱い

ところをもった人たち」と区分けされてしまって

いる、のです。


★そして人間のさらに悪い?ところはそれらに区分

けした区分けされてしまった人たちを「ひとつの

言葉で括ってしまう」ところにあります。


●「高齢者」「障がい者」・・・・

会社組織であれば「落ちこぼれ」「ダメ人間」・・・・。



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●「標準」は前回書かせていただいた「・・・なん

だから」と全く同じです。


●「男なんだから」「女なんだから」「入社5年目

なんだから」「課長なんだから」「いい歳なんだか

ら」「大人なんだから」・・・・・・


●会社・社会にものすごくたくさんある、

「・・・だから」こそが「標準」であると思います。


★ひとつのバー(こうあるべき、できるはず)

設定し、それに満たない人たちに冷たい、

やさしくない会社・社会になっているのです。


★そして言い切ってしまえば「能力障がい」を

もっている人と区分けしてしまっている、ので

す。



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●この「能力障がい」は「生活障がい」にもなって

しまっています。


★その区分けは
「人間が創った『標準(・・・だったら・・できるは

ず)』によって行われている」のですから、

単純にその「標準のバーを低めるだけ」で

区分けされるヒトは少なくなっていく、のです。


★そして今一つ

人はひとりひとり違うもの、というあたりまえを無視

してみんなおんなじなんだの前提にたつ「標準」を

設定すること自体をなくしていけばいい、のだとも

感じ続けています。

                       (続く)


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今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

     あと1~2回、同テーマで書き続けたいと想います。

      次回は今少し「標準」ということにたいして私の想いを

     記させていただこうと思います。

      「ありがとうございます」  入道こと入村道夫