前回は「本来のやさしい社会」としていくために必要なのは、
段差とか角度とかの物理的なバリアをなくしていくことより
必要だと私が感じ続けているのは「人間ひとりひとりの心に
あるバリアをなくしていくこと」である、と記させていただきま
した。
前回の続き、としてなぜ私がそう思うのかを記していきたい
と思います。
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●今回も結論を先に記したいと思います。
●社会で生きていく上でいわゆる健常者の人
たちに比較して肉体的あるいは精神的に『弱
い』という特徴を持たれている人たちが、
「生きていきにくい」状態を作っているのは
「にんげん」である、のです。
★「生きにくくしている障壁・障害は、
にんげんが作り出したものなんだから
にんげんがなくしていけるはず」なんです。
私はそう思うのです。
●バリアは人間が作り出したもの。
●だから、
バリアフリーとは「人間が作り出したバリアを
解消していくこと」の前に「なぜバリアのある
社会を作り出してしまったのか」に戻り、人間
の心を変えていくことこそが必要なのだ、と私
は思うのです。
●段差をなくすとかエレベータをつけるとか・・
それを無駄とは言いませんが、もっともっと根
本を変えていく必要あるのが人間の心、だと
思います。
★人間の心が変われば、段差があったって、
立っていられない人が乗り物に乗っても、
きっと障がいにはならない状況が創造できる、
と思うのです。
●私にそんな気づきを与えてくれたのが
「BARRIER」(バリアー)の文字でした。
●障がいとかバリアとか高齢者の抱える生活
問題とか、いろいろと考え悩んでいた時に、
英和辞典を眺めていてこの文字をじっと眺め
ノートに何度も書き連ねているうちにいきなり
気づきました。
●私の気づきのひとつのパターンなのですが
漢字とか英語を勝手に分解してしまいます。
●BARRIERは「・・に対する障害/障壁」「遮断
棒」「改札口」「ゲート」あるいは「境界」とかを
表す英語。
●普通に辞書をみていては気づきに至りません。
至りませんでした。
★じっと見ていて急に感じたんです。
●ちょっと待って、すごく単純にこの英語を二つ
の英語の組み合わせとしてみたらどうなんだろう、
と。
●BARRIERを分解しますと「BAR」と「IER」に
なります。
●BARは「障害(物)」とか「障壁(物)」であり
「IER」は「ER}と同じで「・・する人」を表す言葉
です。
●単純に訳すると「バリアー」とは「じゃまする
ヒト」「通せんぼするヒト」になるんです。
私はそう解しました。そしてすっきりとしました。
★バリアーは「物」を指すと考えてはいけない、
バリアー、邪魔をしているのは「人間(ier)」
なんだと。
●ここまできて、考えました。
社会的に弱い人たちが生きにくい、生活しにくい
状況をなぜに作り出してしまった、のだろうか。
●どうして人間は他の人間が困るような
障がい、障壁を作り出してしまった、しまうのだろ
うか、を考え続けこれまた自分なりの想いにいき
つきました。
★障がい・バリアーは人間が組織(→私の組織
の定義は「二人以上の集団・群れ」)になると求めたが
る、作りたくなってしまう『標準』に問題がある、
のではないだろうか、ということです。
●こう想った瞬間に障がい、バリアーは会社組織
にも同じように存在している、と思いました。
★「標準」が設定されているところに全て「障がい」
「バリアー」あり、なんだと思います。
★標準に満たない人たちが「一般と違う弱い
ところをもった人たち」と区分けされてしまって
いる、のです。
★そして人間のさらに悪い?ところはそれらに区分
けした区分けされてしまった人たちを「ひとつの
言葉で括ってしまう」ところにあります。
●「高齢者」「障がい者」・・・・
会社組織であれば「落ちこぼれ」「ダメ人間」・・・・。
●「標準」は前回書かせていただいた「・・・なん
だから」と全く同じです。
●「男なんだから」「女なんだから」「入社5年目
なんだから」「課長なんだから」「いい歳なんだか
ら」「大人なんだから」・・・・・・
●会社・社会にものすごくたくさんある、
「・・・だから」こそが「標準」であると思います。
★ひとつのバー(こうあるべき、できるはず)を
設定し、それに満たない人たちに冷たい、
やさしくない会社・社会になっているのです。
★そして言い切ってしまえば「能力障がい」を
もっている人と区分けしてしまっている、ので
す。
●この「能力障がい」は「生活障がい」にもなって
しまっています。
★その区分けは
「人間が創った『標準(・・・だったら・・できるは
ず)』によって行われている」のですから、
単純にその「標準のバーを低めるだけ」で
区分けされるヒトは少なくなっていく、のです。
★そして今一つ、
人はひとりひとり違うもの、というあたりまえを無視
してみんなおんなじなんだの前提にたつ「標準」を
設定すること自体をなくしていけばいい、のだとも
感じ続けています。
(続く)
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今回も最後までお読みいただきありがとうございます。
あと1~2回、同テーマで書き続けたいと想います。
次回は今少し「標準」ということにたいして私の想いを
記させていただこうと思います。
「ありがとうございます」 入道こと入村道夫



