「障害」、「障がい」の文字に思うこと①~必要なのは『心のバリアフリー』・・だからの想いをなくせ~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

前回のブログで介護・介助に関して「高齢者」そして「障がい者」の

文字を使っておりますが、私はずっとこの文字が嫌い、なので

す。


特に「障害を持った人」の意味での「障害者」これは大嫌い。


障害を持った人を見る人たちの心が、障害を持たれている

その人の存在自体が「障害」、「害」のように感じているような、

そんな気がするのです。


その人の存在は「害」でなんかありません。


昨今、ようやくと「害」の漢字ではなく「がい」とひらがな表示

することが多くなってきてはいますが、それこそが障害という

ハンデを持たれている人たちへの一般的な見方の事実を表し

ているのでは、と思いますし、ひらがな表記にするのも、

まだ、ごまかし?に過ぎないのでは、とも感じてもおります。

⇔障害というハンデを持たれている人たちを自分たちと

同類の仲間として受け入れる社会にまだなっていない。


そこで、今回から数回に分けて「障がい」、「バリア」ということ

に対しての私の想いを記していこうと思います。


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まず、私の想いの結論から書いていこうと思います。


      本当に必要なのは

「一人一人の心の中にあるバリア

      なくしていくこと

               =心のバリアフリー


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●心のバリアフリー。私の言い方にしますと

・・・だから」の「だから」を使わない状態にする、

「・・・だから」で自分の動きに変化をつけないこと

です。


●よくありますよね。


「仕事だから」「俺は客だから」「あなたは男

「俺は課長だから」「私は社長だから

「あなたは女性なんだから」「今日は休みだから

・・・・・・・

「あの人は障がい者なんだから」「お年寄なんだか

」・・・・・・


●実にたくさんあってあたりまえにたくさん使ってい

いでしょうか。「・・・・だから」の言葉。


●私の今回のテーマに関しての結論、それは

「バリアフリーの社会の実現のために必要不可

でありお金もかからない方法がある」。

 それは社会に生きる一人一人の心の中にある

「・・・だから」の考え方と行動をなくしていくこと=

心のバリアフリー」です。


段差をなくすとか、道路の凸凹をなくすとか、出入

を広くするとか、物理的にバリアを解消していくに

はお金と時間がかかりますが、心のバリアフリー

にはお金はかかりませんし、そう想ったときから

すぐにバリアフリーになっていくことができます。


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●この「・・・だから」の言葉とそれに基づく動きは

要注意なのです。


●「・・・仕事だから」。

仕事でなければやらない、のですか。仕事だから

我慢する、自分を後ろに追いやるのですか?


●「・・・アフター5だから」。

勤務時間から解放されれば、たとえば料飲店で

我が物顔で大騒ぎしていい、のですか?


●「・・・女なのだから」。

どうして男と女で立ち振る舞いに違い、差がある、

と思ってしまうのでしょうか。


●「高齢者だから」。

高齢者だから、助けてあげなければいけない、の

MUST DOの言葉になっていませんか?

あるいは、「高齢者だから仕方ない」の妙な心を

納得させる言葉として使っていませんか?


●「障がい者」だから。

障がい者なんだからサポートしてあげなさい、

サポートしなければいけませんよ、

MUST DOを教えるために「障がい者」の言葉を用い

ていませんか?そう教えられませんでしたか?


★私の想いである「心のバリアフリー」。

それはみんなの心の中にある「・・だから」の

言葉と「・・だから」から入る思考習慣をなくすこと

です。


★心のバリアフリーをすれば、段差とかの物理的な

バリアーがあったとしても「人の心がその物的バリア

を解消してくれるもの」だと思うのです。


★「高齢者」であるとか「障がい者」であるとかを

心に浮かべてから決心して自分の行動をする、の

ではなく、「困っている人がいる」「悩んでいる人

いる」、そんなときに『人間としての自然の動き』を

すればいい、のです。


★これが「心のバリアフリー」。


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●仕事の時と仕事以外の時の自分の考え方と動きを

変えるのはおかしい、のです。


●私たちは「24時間ずっと人間」なんです。


ずっと「人間らしい、自分らしい生き方・動きを

すればいい」「していけばいい」のです。


仕事の時も、仕事以外の時も、

障がい者に対する時も健常者(この言葉も障がい者の

言葉があるから作られた言葉だと感じておりますので正直、

嫌いです)に対する時も、相手の一人一人の「個性」

「特性」に自分を合わせて話動いていけば、それで

いいんだと思うのです。


恋愛の入り口、なんとかこっちに関心をもって

もらおうと

あなたが彼女に合わせて動いたように、

あなたが彼に合わせて動いたように。


私の使う心のバリアフリーの世界では高齢者

も障がい者も子供も妊婦さんも・・・

一人一人の「個性」「特性」として感じ取る、そこから

動きが出てくるのだと思います。


人間ってみ~んな一人一人違うんです。


●これが人間の当り前、なんです。

足の速い人がいれば遅い人もいる、

2メートル飛び上がる人がいれば10センチしか飛び

上がれない人もいる・・・・・

こんなふうに一人一人を考えると

「高齢者だから」とか「障害者だから」とか

こんな言葉は不要なのではないでしょうか。


★ヒトは一人では生きていくことのできない

          弱い動物

   だからヒトは群れ・集団を形成して

          生きていく

 ヒトが生きていくために形成する群れ・集団

          これが社会

     そして社会で生きることが生活

      社会で生活するヒトが人間

   だから社会の成り立ちのあたりまえは

          助け・助けられ


★人間としての「あたりまえ」を一人一人が

自分の動きにしていけばいい、んですよね。



今回はここまででいったん、筆をおきたいと思います。


ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


次回以降、さらに私の想いを書き連ねていきたいと

想います。ありがとうございます。

                    入道こと入村道夫