前回のブログで介護・介助に関して「高齢者」そして「障がい者」の
文字を使っておりますが、私はずっとこの文字が嫌い、なので
す。
特に「障害を持った人」の意味での「障害者」これは大嫌い。
障害を持った人を見る人たちの心が、障害を持たれている
その人の存在自体が「障害」、「害」のように感じているような、
そんな気がするのです。
その人の存在は「害」でなんかありません。
昨今、ようやくと「害」の漢字ではなく「がい」とひらがな表示
することが多くなってきてはいますが、それこそが障害という
ハンデを持たれている人たちへの一般的な見方の事実を表し
ているのでは、と思いますし、ひらがな表記にするのも、
まだ、ごまかし?に過ぎないのでは、とも感じてもおります。
⇔障害というハンデを持たれている人たちを自分たちと
同類の仲間として受け入れる社会にまだなっていない。
そこで、今回から数回に分けて「障がい」、「バリア」ということ
に対しての私の想いを記していこうと思います。
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まず、私の想いの結論から書いていこうと思います。
本当に必要なのは
「一人一人の心の中にあるバリアを
なくしていくこと
=心のバリアフリー」
●心のバリアフリー。私の言い方にしますと
「・・・だから」の「だから」を使わない状態にする、
「・・・だから」で自分の動きに変化をつけないこと
です。
●よくありますよね。
「仕事だから」「俺は客だから」「あなたは男だか
ら」「俺は課長だから」「私は社長だから」
「あなたは女性なんだから」「今日は休みだから」
・・・・・・・
「あの人は障がい者なんだから」「お年寄なんだか
ら」・・・・・・
●実にたくさんあってあたりまえにたくさん使ってい
ないでしょうか。「・・・・だから」の言葉。
●私の今回のテーマに関しての結論、それは
「バリアフリーの社会の実現のために必要不可
欠でありお金もかからない方法がある」。
それは社会に生きる一人一人の心の中にある
「・・・だから」の考え方と行動をなくしていくこと=
心のバリアフリー」です。
★段差をなくすとか、道路の凸凹をなくすとか、出入
口を広くするとか、物理的にバリアを解消していくに
はお金と時間がかかりますが、心のバリアフリー
にはお金はかかりませんし、そう想ったときから
すぐにバリアフリーになっていくことができます。
●この「・・・だから」の言葉とそれに基づく動きは
要注意なのです。
●「・・・仕事だから」。
仕事でなければやらない、のですか。仕事だから
我慢する、自分を後ろに追いやるのですか?
●「・・・アフター5だから」。
勤務時間から解放されれば、たとえば料飲店で
我が物顔で大騒ぎしていい、のですか?
●「・・・女なのだから」。
どうして男と女で立ち振る舞いに違い、差がある、
と思ってしまうのでしょうか。
●「高齢者だから」。
高齢者だから、助けてあげなければいけない、の
MUST DOの言葉になっていませんか?
あるいは、「高齢者だから仕方ない」の妙な心を
納得させる言葉として使っていませんか?
●「障がい者」だから。
障がい者なんだからサポートしてあげなさい、
サポートしなければいけませんよ、
MUST DOを教えるために「障がい者」の言葉を用い
ていませんか?そう教えられませんでしたか?
★私の想いである「心のバリアフリー」。
それはみんなの心の中にある「・・だから」の
言葉と「・・だから」から入る思考習慣をなくすこと、
です。
★心のバリアフリーをすれば、段差とかの物理的な
バリアーがあったとしても「人の心がその物的バリア
を解消してくれるもの」だと思うのです。
★「高齢者」であるとか「障がい者」であるとかを
心に浮かべてから決心して自分の行動をする、の
ではなく、「困っている人がいる」「悩んでいる人が
いる」、そんなときに『人間としての自然の動き』を
すればいい、のです。
★これが「心のバリアフリー」。
●仕事の時と仕事以外の時の自分の考え方と動きを
変えるのはおかしい、のです。
●私たちは「24時間ずっと人間」なんです。
★ずっと「人間らしい、自分らしい生き方・動きを
すればいい」「していけばいい」のです。
●仕事の時も、仕事以外の時も、
障がい者に対する時も健常者(この言葉も障がい者の
言葉があるから作られた言葉だと感じておりますので正直、
嫌いです)に対する時も、相手の一人一人の「個性」
「特性」に自分を合わせて話動いていけば、それで
いいんだと思うのです。
●恋愛の入り口、なんとかこっちに関心をもって
もらおうと
あなたが彼女に合わせて動いたように、
あなたが彼に合わせて動いたように。
●私の使う「心のバリアフリーの世界」では高齢者
も障がい者も子供も妊婦さんも・・・
一人一人の「個性」「特性」として感じ取る、そこから
動きが出てくるのだと思います。
●人間ってみ~んな一人一人違うんです。
●これが人間の当り前、なんです。
足の速い人がいれば遅い人もいる、
2メートル飛び上がる人がいれば10センチしか飛び
上がれない人もいる・・・・・
こんなふうに一人一人を考えると
「高齢者だから」とか「障害者だから」とか
こんな言葉は不要なのではないでしょうか。
★ヒトは一人では生きていくことのできない
弱い動物
だからヒトは群れ・集団を形成して
生きていく
ヒトが生きていくために形成する群れ・集団
これが社会
そして社会で生きることが生活
社会で生活するヒトが人間
だから社会の成り立ちのあたりまえは
助け・助けられ
★人間としての「あたりまえ」を一人一人が
自分の動きにしていけばいい、んですよね。
今回はここまででいったん、筆をおきたいと思います。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
次回以降、さらに私の想いを書き連ねていきたいと
想います。ありがとうございます。
入道こと入村道夫


