雛祭りが終わり、ニュースとかブログ、フェースブックコメント等
に「さくら」の文字と写真がちらりちらりと見えるようになってきて
います。
確実に冬から春へのバトンタッチが長いバトンゾーンで行われ
ているように感じます。
(2012.03.03 河津桜まつり事務局ページより)
さくらの花は日本人に冬から春への季節の移り変わりを報せ、
人の心に不思議な変化(活動への転換?)を与えてくれる花
だとも感じていますが、私はこの花に「組織」(会社・会社組織・
地域・社会・・)のあり方を気付かせてもらい1994年4月に自分
への警鐘?として次のように文章化しています。
さくら花から想うこと
~1994年4月にむけて~
●さくらの花の美しさは『集合の美しさ』
さくらのひとつひとつのハナビラが五枚集まり
ひとつの『花』をかたちづくり
花がたくさん集まって
一本のさくらの木をかたちづくる
そして
多くのさくらの木々が集まって
ひとびとのこころに
暖かさと嬉しさ、喜びを
かくれんぼしていた
『春』まっさかりを
報せてくれる
●さくらの花のうつくしさは『集合のうつくしさ』
ひとつの花は五枚のハナビラで構成される
その五枚のハナビラをもった
ひとつひとつの花が
ドドド~ンと集まって
一本の木になって
うつくしさを更にひきたてる
●おたがいの存在によって
おたがいのうつくしさを
おたがいに増幅しあう
それがさくらのうつくしさ
★ひとつひとつのことがらを大切に
そして
ひとりひとりのにんげんを大切に
ひとりひとりのもつ「そのひとらしさ」を大切に
ひとりひとりのにんげんが集まって
たとえば会社なら『課』という組織をかたちづくり
課がいくつか集まって『部』という組織を
構成していく
部の集合が部門であり
部門の集合が『会社』となる
★組織の基本は『こじん』
ひとりひとりの『に・ん・げ・ん』
★『ひとりひとりのにんげんと
ひとつひとつのことがらを
徹底的に大切にしていきたい
★そしていつも自分に問い続けたい
「今、花は咲いている。
但し、明日も咲かなければ
今日の開花は 瞬時のもの
永遠に組織として花を咲かせ続けるために
何をしていくのか、
何をして行くことが必要なのか」を。
●花を咲かせ続けるためには
今、満開の状態にこころの全てを
奪われるのではなく
次の連続しての開花にむけて
自分で土壌を耕し
水をやり
新い『種』を蒔いていくことだ
●組織としてのにんげんには
さまざまな役割があることを忘れてはいけない
だから組織には
いろんな個性、「らしさ」をもった に・ん・げ・んが
いることが必要なことを忘れてはいけない
●組織として自己問答しつづけていこう
「今、花はさいている
続いて花を咲かせ続けていくために
明日の『種』を自分で蒔いて
自分で育てているのか、ということを」
★いろんなことがあり
いろんなひとがいる
いろんな課題に対して
いろんなひとが
いろんな個性「らしさ」を発揮して
その「らしさ」を集合、結合することによって
事前対象していく
そんな組織にしていきたい
そんな組織であり続けたい
★いろんなことがある
いろんな人がいる
★だから仕事が
だから組織が、
だから会社が
だから社会が
だから「生きる」ってことが
オ・モ・シ・ロ・イのだと思います。
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◆ひとりひとりがさくらの「一枚一枚のハナビラ」と書きましたが
展開していくとそうではない、とも思います。
◆さくらの木を思い浮かべてみませんか。
ハナビラだけでは成り立っていません。
◆「土壌」があり「根」があり、「幹」があり「枝」があり「葉っぱ」が
あり・・・そして「花」があり、「オシベ」があれば「メシベ」もある・・
◆多くのハナビラが集まって『さくらの美しさ』を構成しているのも
事実ですが、それでもまだ表面的にすぎないと感じます。
さくらのハナビラでは同じ種類の仕事をしているひとだけであり
そのハナビラの仕事がきちんと果たせるように
『根っこ』とか、『根っこ』でも本根と枝根とか様々な存在がある
◆また次の花を咲かせるために人々が『花』よりは気を寄せない?
『葉っぱ』の果たす役割も大切なもの・・・。
◆だから、組織を考える時、私は例えば100人の人間がいれば
それぞれがそれぞれの部分でのナンバーワンであって欲しいと
思います。
◆みんなが美しいハナビラであっては
決して『きれいなさくらの花』にはなりません。
葉っぱのおおきさナンバーワン
葉っぱの緑の色でナンバーワン
枝の太さのナンバーワン
根っこの貼り方のナンバーワン
更に
隣の期との今日制度ナンバーワンなどなど・・・
◆いろんな部分でのナンバーワンが集まってこそ
そして
各々が調和されてこそ
ナンバーワンの美しさを誇れる
さくらの木に、組織になれるのだと思います
◆自分と違う沢山の人がいることは
「あたりまえ」のことであり
組織・集合体として好ましいことなんだと思います。
◆但し、必要なのは
全体として「一本のさくらの木」であることを
自分がその木(=全体)を構成しているのだと
言うことを
構成するひとりひとりがきちんと認識していること
『想いの共有集団』である、ことだとも思います。
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日本人は3人集まれば「派閥」ができる、と言われます。
派閥とは『出身や利益を共にする人達がつくり、
他と対立する集まり」と聴いたことがあります。
『多数意見と少数意見』ならば解りますが
例えば政界・・
「日本をGood Countryにする」ことでは
政界全体として本来、一致しているはずのものだと
思いますが、先の定義?からすると政界に派閥が存在する
ことは納得できません。
大勢のにんげんがいれば意見・想いの違いは絶対にある、と
思いますが、『大きな方針が共有できているか、掲げられている
方針に共感できるか』であり、そこに行き着くまでの実現行動、
アクションプログラムをとうとるのかと言うことに於いてのみ、
意見の食い違いがある、のであればむしろそれは
「組織として好ましい状態」であると感じます。
「多数派と少数派」。この色分けは永続的なものではなく
「瞬間的」なものであるとも思います。
この色分けが絶対的である、と言う人は
「世の中が動いている、変化するものであるということを
忘れている」と思います。
組織・集団で必要なのは「大きな方針の共感を前提として
その実施策の決定にあたってはむしろその時点での
少数意見を自らの意思決定にあたりきちんと確認しておくこと」
であると思います。
(多い、少ないの問題ではない、んですよね)
長いブログとなりました
ここまでお読みいただきありがとうございます。
感謝!!!! 入道
