2011年マスコミ報道から想うこと・感ずること②~何かがおかしい!大丈夫か日本(人) | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

●3月11日以降ほぼ5月位までの報道を見て聴いていて

 多くの被災されたみなさまの心身の状況に心を失くして

 おりましたが、その一方で「何か変だ」と感じ始めたりも

 しました。


●それは言葉で行ってしまえば「報道姿勢」?の問題なの

 かと思います。


被災直後でご本人もまだ何が起こってどうなっている

 のかを掴めずに「茫然とされている」ところに

 「泣いてください」と強要するような報道からのもちかけ。


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★むやみに「大変だあ」の繰り返し・・。


◆視聴率を高くするために、販売部数を延ばすために、競争相手

 競合に勝つために・・・・


★日本人の心をとらえる報道?ポイントは「3つの言葉」だと私は

 ずっと感じております。


  その3つの言葉とは・・・

    『悲』『涙』そして『怒』なのではと思います。

               ↓

  もっと単純に言ってしまえば「たいへんだぁ!!」


 どうしたら人々に「悲しさ」を誘えるのか

   どうしたら人々に「涙を流させられるのか」

    そして「怒」は違う言葉をみつければ「犯人探し」

      誰が悪い彼が悪いの相手を見つけ出して

         みんなで叩きまくる・・・・


(悪いのは貴方じゃない、あいつなんですよ!!)

(全てあいつが悪いんですょ)

こんなこと言ったって起こった事は変わらないのに

     延々と・・・・・


 そんな報道風潮がほとんど全てのマスコミのものさしとなって

 きてしまっているのではないのかな、と正直に感じます。




●東日本大震災とそれに伴う「大津波」によって発生した

 東京電力福島原子力発電所事故。


●このとてつもない事故に関してもほぼ最初から「犯人探し」の

 スタンスを感じてなりませんでした。


人々の「安全をどう確保していくのか」が後回しにされて

 いるようにも感じました。


★「犯人探し」・・・。

★「東京電力が悪い」「悪いのは東京電力だ」。


マスコミの音頭で世の中一丸?となって東電を叩く・・・

 それで放射能漏れが止まるのならやっていいことだと

 思いますが、でも、そんなことはあり得ない、

       報道する「べき」内容の順番が違うとも思います。


  先ずは「放射能漏れの実体と影響そしてその対策・対応」

  (=人間、未来人まで含めた人間の命への対応)が第一義

  であるはず。




    建屋?水素爆発?制御棒?シーベルト?放射線量積算?

ヨウ素?データ解析?


  いままで全く使ったことのない言葉・単位を使ったり、

  延々と時間をかけて何度も何度も解説したり・・・

      勉強しないと事態がわからない・・・・・

       これってあり、なのでしょうか。

  

そして「大丈夫」と「非常に危険」のいずれも専門家の人達の

意見を単純に何度も・・・


どっちを信じればいいんだよ。

どちらを信じてどんな行動をとればいいのか・・

        これが受け手側の素直な気持ちなのでは。


     頭で考えさせる報道ではなく

     誰でもが事の重大さを

 心で感じられるような「やさしい」報道

    これこそが必要なんだと私は思っております。


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★もし、もしマスコミが報道の最初から「悪いのは国(政府)」

 あるいは「国(政府)+東電」が悪いのだ、

 もっと言ってしまえば

「私たち日本人全員が悪かった」

 だから今は犯人探しに大切な時間を使うことなく

 再び「安心な生活が営めるよう事に当たってもらう

 のは国と東電」的なニュアンスで報道していたら、

 たぶん今とは全く違う動きになっていたと思うのですが、

 いかがでしょうか。


★正に

 『マスコミがどんな報道をするのかで「日本人の心」が

 決まってしまう』、のだ、と怖さを感じながら思っております。


●東京でのガソリンコンビニでの商品買いだめ・・・・

 これも報道が更にそんな行動に拍車をかけた、とも

言えるのでは。

(はるか昔のオイルショック時のトイレットペーパー騒

  原因は異なっても報道の大きな影響を同じように思いだし

  ます)



●同じ想いで

 「義援金・義捐金」そして「ボランティア」についても

 その報道スタンスに対して感じたことがあります。


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●感じたポイントは上記のシートにいくつか書いております。


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●私がよく使うフレーズなのですが「目的と手段」をとり間違えて

 いる」と感じてなりません。


★「集めること」「集計金額」大きくすること」が、さも『目的』のように

 報道されています。


★そして、この時の各社のホームページを見ていると「当社は

 〇〇〇万円の寄付をいたしました」と『金額の提示』を行っている

 ところが多々見受けられました。


〇私の想いとして

  私が社長時代に寄付をしたとしてその事実は記載しても

 「金額は記載しない・記載させない」と思います。


金額の大小で義援の大きさが異なる

                     とは私は思いませんので。


★本来の「目的」である「使い方・使われ方」についてきちんとした報道

 ってありましたでしょうか。


〇これもおかしい、と感じるところです。


★でも・・・マスコミの報道姿勢だけの責任でもない、と思います。


●おかしい、と言えば

 「東京電力」そして「政府」の動き方、トップの

 決断の仕方・指示の仕方にも私は「オカシイナ」

 「それがトップの動き方なんだろうか」トップ自らが自己

 責任で『決断していない』」などなど感じてしまいました。


●会社も社会も国も「組織」であり、その組織をリードしていく

 トップとしての動き・指示はどうだったんだろう

 どうなんだろう、の観点からの私が感じた素直な「おかしさ」

 です。

 
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なぜ『現場』で決断しないのだろう、と

言うことです。


●事は現場で起きており、その対応を考える入口は

 「トップ自らが現場にどっぷり入り現場を心で感じ

         現場で『決断する』」

 ことであり、そこにこそ

 「非常時のトップの役割がある」との私の前々からの

 想いとのギャップから感ずる「おかしさ」でもあります。


●あり得ませんし、現実ではないのですが

 もし私が時の東電のトップだとしたら「役員の大半は福島に

 常駐させ本社には一人か二人を置く」、現実と真逆の状態

 にするだろうな、しただろうな、したいな、と思い続けております。


●政府も言い切っちゃえば同様。

 非常事態時対応として国会議員を東北、福島に一時的にでも

 みんな住まわせ、そこで「国会議員一人ひとりが直に自分の

 眼と心で見て・感じたこと」を元に「調整不要」で素早く決めて

 いくような動き方がいい、と個人的ですが思います。

 (思っていました)


●当事者じゃないから何を勝手なことを、と言われることは覚悟の

 上で感じたことを正直に素直に書いております。

<<正解・不正解なんてことでなく、

      あくまで私個人がそう想う、そう感ずると言うことです>>


★「自分の感じていること、

   自分で思っていることを素直に表現する」

 このことは一方で大切なことである、と思います。


●私が感じていた(.る)こと、書き続けていきます。


●それは「節電」に関しての一連の動きについて。


★状況からしての「節電の必要性」はもちろん解りますし、現実として

 いろいろな不便を感じながらも私も家族も節電の動きはとってきて

 おります。


★おかしいな、と感ずるのはその「節電のお願い」の仕方。


★「お願い」となってはいますが私の感覚では

     「ちっとも『お願い』にはなっていない」と感じています。


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「お願い」ではなく「命令」と言ってしまった方がむしろ

 すっきりとする、そう想います。

●これも「経営者としてこんな状態になって、

 『お客様に」尋常でないご迷惑をおかけしてしまったら

 自分だったらどうするのか」との簡単な置き換えから生まれた

 疑問です。


★「お客様認識が全くない」のでは、と感じます。


★「あたりまえの『お客様認識』」があれば絶対に今回のような動き

 にはならない、と私は思います。


●単純、

 私たちは「無料で電気を使わせてもらっいる」のではない。

 契約をきちんと締結して有償で(お金を払って)

 電気を使っている、のです。

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★上下はなく「契約当事者として対等」であり、

         国民はみんな「お客様」なんです。


★だったら

   「お客様が心で「仕方ないな、今回は協力しよう」と

          心から感じていただけるまで

  何度も何度も納得していただけるような具体的な施策を

  入れながら何度でもお願いし続ける」ことからやっていく

 のではないのでしょうか。


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◆普通の企業(活動)だったら・・・。


◆契約通りの仕様の製品・サービスが実施されずに

 「相手側のすいません」だけで契約通りのお金を支払う、

 ってあまりない、普通はないことと思います。

でも、

 これも世の中の報道によって「節電に協力しない奴はダメなやつ」

 との風潮?がいつの間にかできあがってしまい

 疑問を口にしないどころか、

 更に自分のお金をつぎ込んで節電グッズを

 買い求めに出かけに行く・・・・・

 そしてマスコミは

 「こんなグッズがいい」とそんな動きをぐいぐいと増長していく

  ・・・。

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普通の企業とお客様の関係で普通に考えればかかった費用は

 「提供者負担」ではないのでしょうか。(契約概念)


★こんな「あたりまえ」をきちんと解ってそれなりの「言葉と条件?提示」で

 最初から動いてくれていれば、

 私のこんな「おかしいな」は生まれなかったと思うのです。

●簡単すぎるとは思いますが例えばこんな↓。

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●契約対等ではなく東電も政府

 『電気を使わせてやっている』

 『電気なけりゃ困るのはお前たちだろう』、

 こんな感覚からしか考えていない、

 だからこんな動きになってしまっているのだと

 感じるのです。


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●現在、冬を迎えてマスコミ各社から報道では

『今年の冬の電気需給は夏よりも厳しい』「より厳しい節電を」

が繰り返されておりますが一体、どうなのでしょうか。


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◆節電に関しては今一つ「おかしいな」と感じていることがありますが

それは次回に。


今回(も?)

長いブログになってしまいましたことお詫びいたします。