●人間は誰だって一人じゃ生きてはいけない。大勢の
人達の助けがあって初めて自分の今日が成り立っている、
このことをきちんと認識することが活きていく上でも仕事をして
いく上でもとっても重要、必要なことだと私は思い続けております。
●と同時に今一つ忘れていけないことがあります。
●それは
「自分がいることで必ず他のヒト(だれか)の役に立って
いる」と言うこと。
★これが人間社会の変わらない真理、だと思うのです。
●他人(だれか)の役に立っている、と感じる生き方、それが「人間
らしい生き方」なんだと思います。
「人生って助けられたり、
助けたりの繰り返し」なんです。
●そして、
自分を助けてくれるのは
「自分以外の人間」なんです。
●だから私は
「人生って幸せ探し・夢探し」
であり究極
「人生って人探しの旅」なんだと
思っております。
●この世とサヨナラする時には
助けられた ≦ 助けた の状態でいきたい、
これが私の人生感情であり人生勘定?でもあります。
●自分が他人(だれか)をサポートしてあげられる・・・サポートさせて
いただく、この時に心しておくべきことがある、と思い続けています。
それは
「なんでもかんでもやってあげる」と思ってはいけない、
と言うこと。
★介護にも通じるものあり、と思います。(また違う時に改めて)
●大切にするべきは「その人の生き方」であり、それを
無視して自分の生き方を押し付けるなんてもってのほかだと思い
ます。
●ビジネスの世界でも全く同じです。
●相手の方(お客様)の想いを無視しての「押しつけ」は絶対に
やっては いけないこと、です。
●その人の生き方を大切にした上で、
何をサポートできるのかを
考え実行していくことが必要不可欠。
★「その人らしさを実現していくために
自分(私)が何をサポートできるのか」を
考え実行すること、
人生でも職場でも必要なことは全く変わらないと感じます。
●この場合、必要そして大切なのは
いろんなカタチで発せられている
『<助けて欲しい>シグナルを感じとる」力』
です。
★感じとるチカラはどこにあるのか。頭にはありません。
感じ取れるのは「心」だと思います。
だからここでも、「頭から心へ」。
●このチカラ、言葉で言えば「感性」とか「想いやり」
とかの表現になると思います。
(私、思いやりでなく想いやりと現しています。)
★他人の心の状況を敏感に、
しかもその人の立場にたって感じられるチカラ
それが「感性」なのでは・・。
●感性・・「性」を「感ずる」と書いて「感性」。
●「性」は「心に生」。
私は「生きている心」即ち、「今の心の状態」
を感じとることのできるチカラが「感性」なんだと思います。
●「お客様満足」の入口もここ「感性」にある、のです。
★感性豊かな人達が現場に存在すれば
お客様満足活動なんて多分、
何もしなくても大丈夫だ
とさえ思い続けています。
●だから、
頭で学問的に
「顧客第一」「お客様満足」を
組織で考えるなんてことを
私は行ってきませんでした。否定しています。
●単純に、一人ひとりの会社の仲間が
お客様の心を心で感じとる、
これだとこだわり続けてきました。
●お客様の心の状態を敏感に感じとれることがお客様満足
のスタートなんです。
★もし、本屋さんに沢山の本を買いに行くこと、
ネットで検索することがスタートだったら
もうその動きはやめた方がいい、
そう想います。
●人間は必ず
「助けて欲しいときには何らかのシグナルを発している」
もの、です。
●但し、そのシグナルは目に見えることはほとんどなく
無言・無形のシグナルである場合が多いもの。
●この無言の
「助けて、何とかして。お願い」シグナルを感じとれるか、
ここが重要ポイントです。
★顔とか声とかお客様の表面にそれが現れたときには
「なんで解ってくれないんだ」と一挙に「怒り」にまで
昇華してしまっている
場合が多くなってしまいます。
◆「今その場で敏感に!!」感性のポイントです。
●一時間後に「ああそうだったのか」では何もならないのです。
●
感性の「チカラ」を育てていくと
人間はみんな「仙人」になっていく
社会を仙人集団にしていきたい
●妙な表現で恐縮ですが
私はいくつかの会社でそう語りその実現をお願いし続けて
きていました。
●「人は誰でもが仙人であり、
同時に俗人である」。 入道
●その人が置かれている「満足の状態」によって
仙人・俗人のいずれかが
その時その時で現れる。
私の想いのひとつです。
●「俗」と言う字は「谷にいる人」、
そして「仙」の字は「山にいる人」。
●この「山」と「谷」は地理的な山谷ではなく
「心の状態を表している」んだと
私ははるか前から想い続けております。
●「心が谷の状態」(下位の状態)とは『自分のことだけしか
考えられない」状態であり、
「心が山の状態(上位の状態)」は
他人のことを思いやれる、心にゆとりのある状態。
●自分のことだけ、自分さえよければ。。
自分のために他人が何をしてくれるのかを期待する・・・・・
こんな時の人は誰でも「俗人」。
●自分以外の人(他人)のことを
自分と同じくらいに、むしろ優先して考えられる時に
人は誰でもが「仙人」となれる、
のだと思っています。
●どんな時に・・・。「物的な満足」の程度によって、
変わるのではと感じています。
★お金も含めて自分の物的な満足感が得られると心は
優しく他人にむかう、
他人を気にすることができる精神的な「ゆとり」が
出てくることで
「仙人への道」を上り始めるのだと思います。
●俗人、はその逆と考えていただいていい、と思います。
●でも・・・・
昨今の人間の「満足のものさし」の際限のなさから
すると「仙人」を期待するのが難しいような現実にもなって
きちゃったのかな、とさびしい気持ちになっております。
(欲望社会・欲望経済下では仙人への道は閉ざされる!?)
●私は自己に「仙人であったか」と自らに問いかけ続けて
いきたいな、と強く強く思うのですがいかがでしょうか。
★大切なのは「自分は何ができるのか」。
自分のために誰が何をしてくれるのか、ではない、のです。
●職場においても、社会においても
『ひと(他人)がなにをしてくれるのか』を
期待し、いらいらしながら待つのではなく、
ひとりひとりが『自分は今、何ができるのか』を
自己に問いかけ続け、すぐに行動していくこと
が単純に必要なのでは、と思います。
★『やさしさ』をもって。
●組織を会社をそして社会を「仙人集団にしていきたい」。
いつもいつもそう「考動」してきました。
21世紀「これから」
日本を仙人集団の国にしていくことで
日本発で
世界を仙人集団にしていきたい。
そのためには・・
誰かがやってくれるのを待っていてはダメ
先ず自らを仙人としていくことである。
(入道)


